結局「物に成った技術」或いは、と言うモノを持って居れば、何でも意味がある訳で。
その「物に成った技術」が何処にあるか?は、その人それぞれではあるのかも。
多くは、一般論での「難しい」を超えた先に、”それ”は褒賞の様なモノとして、あって。その時、他より先んじる、という事になるのか、「先生」それではあり、「物に成った」それは、それにどうも、シンクロする感覚ではある。
その「難しい」は、しかし、本当に何でもあり、と言うのが面倒なのか違うのか、ではある。難しいゲームを超えた人々は多くそのゲームで「プロ」と呼ばれたりする。そうなってないと、実況動画にもやっぱり意味が無い、面白くない、そう言う事には成るらしい。ただ?”その実況をする”ゲームの難しいを超えている必要は、無い。一般論での「難しい」を超えて先生である、なら。”それ”を付加する先には何やかやの「価値」がある様だ。
いわゆる「賢者の石」と言う奴、だろうか。
錬金術師の、確か一つの到達点ではある。
”それ”を持って居れば、あらゆる物には価値が産まれる、そう言う。
一応、「美鶴さんの長い妄想」これを一人で創った、と言うのは当時にしろ相応にエポックではあり。その点で、「物に成った」部分は、もちろんあるのだろう、”それ”が現状で使えない、そう言う事もまま薄い。「ゲームとは?」この位、である。それはWindows上でか、一人でも創る事は出来る。
とは言え、あくまでも、個人的な主観の世界ではある。
”そこ”で嘘を付かずに「難しい」を乗り越える先に、良くも悪くも物に成る、「自身が価値を持つ」その境目は有る訳だ。
そうなってしまうと、違う分野での低レベル?でも、そこにある価値はそれを補ってしまう、訳で。
前に実況?した奴もそうだが、結局自分も、自身の得意分野?を付加して実況を続ける、という感じには成っていて。実況者として相応の人々?と言うのは多くがそうだろう。一般的には評価されないかもしれない「難しい」を超えた先で身に付けた「物に成った技術」を足場に、彼らはそこで光を放つ、訳だ。そう言うのが無いと、そこに居る必要性が、無い。
同人で有っても、だ。
むしろ同人の方が、直接的にお金を要求しないだけに、そう言うのが色濃いのかもしれない。
単純に「人気が無い」それは、その”物に成ったモノ”が無い、そう言って良い気は、する。先人のトレース、だけでは、やっぱり物に成った事には成らない、のだろうか。
そこを今、カウンタ制御で歪めてしまっているから、”これ”は説明に成らない、感じは少しある、訳だが。
物理的事象、実感?それに屈するべきか、或いは。
不意に、前に道が無い時。