「非常に心外」 「私としては非常に心外だ」 小山被告は法廷で、自身の刑事責任をきっぱりと否定した。
検察側が背任罪にあたると指摘しているのは、平成22年3~4月の融資。
(1)3月30日に5千万円
(2)4月1日に2億5千万円
(3)4月19日に8千万円
と、立て続けに計3億8千万円が学園側から小山被告名義の口座に振り込まれた。
本来こうした融資を実行するには、同学園の理事会の決議を経る必要があるが、小山、高橋両被告は理事会に諮っていなかった。さらに、当時、小山被告は多額の負債を抱えており、返済は極めて困難だったにもかかわらず、担保もとらずに融資し、学園に損害を与えた-というのが起訴内容だ。
裁判長から認否を問われた小山被告は、無担保で融資を受けたことを認め、「無担保であったことを理由に、貸し付け時に損害発生の危険があったとされるのであれば、それ自体はやむを得ない。貸し付けも私に対するものなので、私の利益だといわれれば否定できるとは思っていません」と述べた。
だが、直後に、強い口調で背任罪に当たることを否定した。
「貸付金の回収が著しく困難と言われることは、私としては非常に心外。返せるという気持ちでいたし、現に返済している。私腹を肥やす意図はなかった」
「こっそりやればいい」
検察側証人として小山被告の公判に出廷した高橋被告の証言などによると、問題の融資では以下のようなやり取りがあったという。
「予定していた資金が間に合わない。3月30日までに5千万円用意してくれ」
理事長室にいた高橋被告に小山被告からの電話が入ったのは、22年3月下旬。「早いうちに返す」という小山被告に担保について尋ねると、「用意する」と返した。
だが、高橋被告は「半信半疑だった」。小山被告が当時、「銀行から借金できないほど資金繰りに困っていた」(高橋被告)からだという。
使途は聞かされなかったが、(小山被告が経営する)病院の運営資金と思い、「理事会に諮らなければいけない」と進言。しかし、小山被告は「こっそりやればいい」と言い、「融資せんといいことないぞ」とも発言した。
高橋被告は「理事長職を解任されると思った。解任され、教育活動ができなくなると残念で、不本意ながら貸した」と当時の心境を振り返った。
その後も、小山被告は追加融資を命じた。高橋被告が渋っても「すぐ入れて(振り込んで)くれ」「内々にやってくれ」と強引にねじ込んできたという。
「実質管理している人」
背任罪は、特定の地位にある人に対して適用される「身分犯」。今回の事件では、学園の資産を管理する立場にあることが、犯罪成立には必要になる。このため公判の争点は、被告が学園を牛耳る存在だったか否か、に収斂(しゅうれん)されていった。
検察側は、理事長だった高橋被告はもちろん、小山被告も学園の顧問として理事や職員の人事権を掌握しており、事実上理事長より上の立場だったと位置づけている。高橋被告の証人尋問も、こうした観点から、小山被告の学園内での立場がいかに強かったかを立証しようとしていた。
高橋被告の公判証言などによると、高校や大学で教鞭(きょうべん)を執っていた高橋被告が、樟蔭東学園の経営に携わるようになったのは21年1月。まもなく、関係者から「学園を実質的に管理している人」として、小山被告を紹介された。
高橋被告は、自分が理事長に就任した経緯について「経営上の考えの相違があった前任の理事長の解任を決定し、自分を新理事長にした」と証言、小山被告の意向だったと明かした。
また、「理事会で自身の意に反する発言をした理事を『反対するなら出ていきなさい』と怒鳴りつけた」などのエピソードも紹介し、小山被告が強大な力を持っていたと示した。
「背任罪の身分ない」
融資の背景に小山被告の権力があったとの構図を描く検察側。これに対して小山被告側は「背任罪が成立する身分はなかった」と鋭く対立している。
弁護側は、小山被告が学園にあまり顔を出さず、経営状況も把握していなかったことなどを挙げ、「学園を掌握してはいない」と反論した。
小山被告自身も被告人質問で、「学園には月1、2回しか行っていない」「(高橋被告からは)経営状況の概要しか説明を受けていない。全容を聞いても分かりません」と述べ、「強引なことは言わんようにしている」と強調した。
さらに、融資金は学園と関係する別の学校法人の学生寮建設費などに充てられており、学園にも利益があった▽融資金は、小山被告が株を売却した金などで返済した-とも言及。こうしたさまざまな理由から背任罪は成立せず、小山被告は無罪だと訴えている。
小山被告の判決は今秋にも言い渡されるペースで進行している。裁判所は果たして、一連の融資を背任罪だと認定するのか。鍵を握るのは、小山被告が「学園の支配者」だったかどうか、の判断だ。
検察側が背任罪にあたると指摘しているのは、平成22年3~4月の融資。
(1)3月30日に5千万円
(2)4月1日に2億5千万円
(3)4月19日に8千万円
と、立て続けに計3億8千万円が学園側から小山被告名義の口座に振り込まれた。
本来こうした融資を実行するには、同学園の理事会の決議を経る必要があるが、小山、高橋両被告は理事会に諮っていなかった。さらに、当時、小山被告は多額の負債を抱えており、返済は極めて困難だったにもかかわらず、担保もとらずに融資し、学園に損害を与えた-というのが起訴内容だ。
裁判長から認否を問われた小山被告は、無担保で融資を受けたことを認め、「無担保であったことを理由に、貸し付け時に損害発生の危険があったとされるのであれば、それ自体はやむを得ない。貸し付けも私に対するものなので、私の利益だといわれれば否定できるとは思っていません」と述べた。
だが、直後に、強い口調で背任罪に当たることを否定した。
「貸付金の回収が著しく困難と言われることは、私としては非常に心外。返せるという気持ちでいたし、現に返済している。私腹を肥やす意図はなかった」
「こっそりやればいい」
検察側証人として小山被告の公判に出廷した高橋被告の証言などによると、問題の融資では以下のようなやり取りがあったという。
「予定していた資金が間に合わない。3月30日までに5千万円用意してくれ」
理事長室にいた高橋被告に小山被告からの電話が入ったのは、22年3月下旬。「早いうちに返す」という小山被告に担保について尋ねると、「用意する」と返した。
だが、高橋被告は「半信半疑だった」。小山被告が当時、「銀行から借金できないほど資金繰りに困っていた」(高橋被告)からだという。
使途は聞かされなかったが、(小山被告が経営する)病院の運営資金と思い、「理事会に諮らなければいけない」と進言。しかし、小山被告は「こっそりやればいい」と言い、「融資せんといいことないぞ」とも発言した。
高橋被告は「理事長職を解任されると思った。解任され、教育活動ができなくなると残念で、不本意ながら貸した」と当時の心境を振り返った。
その後も、小山被告は追加融資を命じた。高橋被告が渋っても「すぐ入れて(振り込んで)くれ」「内々にやってくれ」と強引にねじ込んできたという。
「実質管理している人」
背任罪は、特定の地位にある人に対して適用される「身分犯」。今回の事件では、学園の資産を管理する立場にあることが、犯罪成立には必要になる。このため公判の争点は、被告が学園を牛耳る存在だったか否か、に収斂(しゅうれん)されていった。
検察側は、理事長だった高橋被告はもちろん、小山被告も学園の顧問として理事や職員の人事権を掌握しており、事実上理事長より上の立場だったと位置づけている。高橋被告の証人尋問も、こうした観点から、小山被告の学園内での立場がいかに強かったかを立証しようとしていた。
高橋被告の公判証言などによると、高校や大学で教鞭(きょうべん)を執っていた高橋被告が、樟蔭東学園の経営に携わるようになったのは21年1月。まもなく、関係者から「学園を実質的に管理している人」として、小山被告を紹介された。
高橋被告は、自分が理事長に就任した経緯について「経営上の考えの相違があった前任の理事長の解任を決定し、自分を新理事長にした」と証言、小山被告の意向だったと明かした。
また、「理事会で自身の意に反する発言をした理事を『反対するなら出ていきなさい』と怒鳴りつけた」などのエピソードも紹介し、小山被告が強大な力を持っていたと示した。
「背任罪の身分ない」
融資の背景に小山被告の権力があったとの構図を描く検察側。これに対して小山被告側は「背任罪が成立する身分はなかった」と鋭く対立している。
弁護側は、小山被告が学園にあまり顔を出さず、経営状況も把握していなかったことなどを挙げ、「学園を掌握してはいない」と反論した。
小山被告自身も被告人質問で、「学園には月1、2回しか行っていない」「(高橋被告からは)経営状況の概要しか説明を受けていない。全容を聞いても分かりません」と述べ、「強引なことは言わんようにしている」と強調した。
さらに、融資金は学園と関係する別の学校法人の学生寮建設費などに充てられており、学園にも利益があった▽融資金は、小山被告が株を売却した金などで返済した-とも言及。こうしたさまざまな理由から背任罪は成立せず、小山被告は無罪だと訴えている。
小山被告の判決は今秋にも言い渡されるペースで進行している。裁判所は果たして、一連の融資を背任罪だと認定するのか。鍵を握るのは、小山被告が「学園の支配者」だったかどうか、の判断だ。