ずさんだったタイ警察の鑑識方法を一変させた一人の日本人がいた。その男の名前は戸島国雄。
「高い教壇の上から教えてやるという姿勢はではだめ」を信条に、血の通ったコミュニケーションの結果、真の国際協力を成し遂げた男の生き様に迫った。
タイは必ず所持携帯しなければならないIDカードの作成の時に指紋を取る。これはある意味では日本よりも捜査力が優れていることになる。というのは、もし殺人現場に遺留指紋があれば、100%、犯人を特定できるからだ」
スマトラ島沖地震の津波被災地に入ったタイ警察庁の鑑識班第一陣メンバーと戸島氏
そう戸島氏が評価するタイの指紋データだが、犯罪捜査以外でも役に立ったときがあった。
それが忘れもしない、在任中の2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震だ。
地震発生からすぐに、戸島氏はタイの一番大きな被災地、パンガン県カオラック(プーケットから北へ約80km)に鑑識班第1陣として乗り込んだ。
警察本部を飛び出したときは海岸で数名が亡くなっているという情報のみ。数日で帰れると思っていたが、到着3日目にやっと津波と正式発表され、実に3か月間、宿泊施設もないので寺の軒下で寝泊まりしながら数千の遺体の身元確認を行なった。
「とにかく遺族の元に1日も早く遺体を返してあげたい」
タイ人の身元は指紋データのおかげで早く判明していったが、外国人は困難を極めた。
あとからあとから遺体が運び込まれる。日が経つにつれ、遺体は腐敗し指紋を採ることも困難になった。戸島氏は遺体の指の切断を決断し、ためらう部下の前で自ら遺体の指を切断した。タイでは遺体損壊は大きな罪になるにもかかわらず、だ。
「部下には全責任を負うと約束し、自分自身も現場が終わったら逮捕されると思っていた」
スマトラ島沖地震の被災地で、被災直後に指紋採取に取りかかる戸島氏
しかし、そうはならなかった。
その方法が、その後救援に訪れた各国の医療団にも戸島方式として採用されたのだ。結果、多くの遺体が身元判明し、家族の元へ帰ることができたのである。遺族には感謝され、当然のことながら戸島氏は罪に問われることもなかった。
戸島氏は幾度かJICAの任期延長を繰り返し、2011年7月に帰任となり、現役を完全に退いた。
タイ警察に再び戻らないのかという問いには「もう元気がなくなった」という戸島氏。
しかし、退官後の今もなお、時折タイを訪れてはタイ警察庁や全国の教え子たちから大変な歓迎を受けている戸島氏の姿は、本当の国際協力とは何かということを如実に物語っているのだ。
「高い教壇の上から教えてやるという姿勢はではだめ」を信条に、血の通ったコミュニケーションの結果、真の国際協力を成し遂げた男の生き様に迫った。
タイは必ず所持携帯しなければならないIDカードの作成の時に指紋を取る。これはある意味では日本よりも捜査力が優れていることになる。というのは、もし殺人現場に遺留指紋があれば、100%、犯人を特定できるからだ」
スマトラ島沖地震の津波被災地に入ったタイ警察庁の鑑識班第一陣メンバーと戸島氏
そう戸島氏が評価するタイの指紋データだが、犯罪捜査以外でも役に立ったときがあった。
それが忘れもしない、在任中の2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震だ。
地震発生からすぐに、戸島氏はタイの一番大きな被災地、パンガン県カオラック(プーケットから北へ約80km)に鑑識班第1陣として乗り込んだ。
警察本部を飛び出したときは海岸で数名が亡くなっているという情報のみ。数日で帰れると思っていたが、到着3日目にやっと津波と正式発表され、実に3か月間、宿泊施設もないので寺の軒下で寝泊まりしながら数千の遺体の身元確認を行なった。
「とにかく遺族の元に1日も早く遺体を返してあげたい」
タイ人の身元は指紋データのおかげで早く判明していったが、外国人は困難を極めた。
あとからあとから遺体が運び込まれる。日が経つにつれ、遺体は腐敗し指紋を採ることも困難になった。戸島氏は遺体の指の切断を決断し、ためらう部下の前で自ら遺体の指を切断した。タイでは遺体損壊は大きな罪になるにもかかわらず、だ。
「部下には全責任を負うと約束し、自分自身も現場が終わったら逮捕されると思っていた」
スマトラ島沖地震の被災地で、被災直後に指紋採取に取りかかる戸島氏
しかし、そうはならなかった。
その方法が、その後救援に訪れた各国の医療団にも戸島方式として採用されたのだ。結果、多くの遺体が身元判明し、家族の元へ帰ることができたのである。遺族には感謝され、当然のことながら戸島氏は罪に問われることもなかった。
戸島氏は幾度かJICAの任期延長を繰り返し、2011年7月に帰任となり、現役を完全に退いた。
タイ警察に再び戻らないのかという問いには「もう元気がなくなった」という戸島氏。
しかし、退官後の今もなお、時折タイを訪れてはタイ警察庁や全国の教え子たちから大変な歓迎を受けている戸島氏の姿は、本当の国際協力とは何かということを如実に物語っているのだ。