親が「ありがとうございました」
秋田市の方からのメールには、体罰による効果として自身が目撃した事例を記されていた。
「通っていた高校では、日常的に校庭に暴走族が入り込み、頻繁に授業妨害があり、登下校時に喫煙したりするのは当たり前」だったといい、さらには「授業中に、複数の生徒が教師をボコボコにするといったこともあった」という。
また、「何か確証があってのことだと思うが、街で起きた窃盗事件などの聴取で、高校にパトカーが来るのも珍しくなかった」とも。
そんな中、1人の生徒が喫煙して生徒指導で呼ばれ、教師から血まみれになるまで殴られたということがあった。翌日、その生徒の母親が学校に出向いてきた。大問題に発展するのかと思いきや、母親は「よくぞやってくれました」と頭を下げていた。
その様子を見たメールの主は「体罰は必要悪なのではないか」と感じたという。
このように、体罰を肯定的に捉える人たちのメールも少なくなかった。こうした人たちに共通していたのは、「体罰が良い教育効果を生むことがある」という実体験だった。
ただ、再度確認しておくと、体罰は学校教育法でも禁じられた行為であり、表面化すれば、教師は処分対象となる。それでも、現場の教師たちから寄せられるメールの中に多かったのは「ときには、体罰が必要なときもあるのではないか」という訴えだった。
しかし、体罰に対する世間の視線が一層厳しくなった今、かつての熱血ドラマによくあったような、教師が涙ながらに生徒を殴って教え諭す場面も、単に「体罰」と受け止められるかもしれない。今後、ドラマなどの中でこうしたシーンもなくなっていくことにもなりそうだ。
家庭でのストレスを教師に…
一方で、連載の中で、とりわけ目立ったのは「日頃、まじめな生徒たちが問題行動を起こしたときは、言葉で指導することができるが、言っても聞かない生徒はどうすればよいのか」という先生たちの切実な声だった。
その中で、東京都内の元教師(63)から寄せられたお便りには「親に問題はないのか」という点が強調されていた。この元教師は、小学校の講師をしていた知り合いの女性教師のエピソードを教えてくれた。
体格の良い小学校5年生の児童がテスト中に問題行為をしたため、女性教師が注意したところ、児童が向かってきて格闘になり、女性教師の身体に青あざができてしまうようなトラブルになったという。
この児童は数々のトラブルを起こしていたこともあり、保護者である児童の母親にも働きかけをしたのだが、実は、母親自身が子供に虐待行為をしていたことが判明。しかも、母親は学校側に無理難題を求める“モンスターペアレント”でもあったため、学校側はその後の対処にも苦労したという。
元教師はこの一件について、子供は家庭でのストレスのはけ口として、教室で女性教師に暴力をふるった可能性もあると推測している。
児童や生徒が問題行動を起こし、教師がやむにやまれず手をあげたケースは本来、体罰にはあたらない。しかし、教師の実力行使は「体罰」と捉えられがちだといい、体罰には当たらないケースでも、教師が実力行使に出れば、理由の如何(いかん)を問わず「教師が悪者になることも少なくない」という。
このような現状に対し、「問題行動の芽を放置した家庭に問題はないのか」と訴える教師たちの意見は少なくない。
寄せられたメールの文面だけで、なにが正しく、なにが間違っているのかを判定することはできないが、「何もかもが教師任せになっている」という鬱屈した思いや不満を記した教師は本当に多かった。
学業成績でも体罰
連載の中では、スポーツ指導、生活指導の現場での体罰について紹介したが、「学業成績による体罰」もあるという。大阪府内のある私立高校の約20年前の事例だが、こんなエピソードもあった。
授業中、あてられて答えられないと、正座。テストの点数が悪いと、木の棒で尻を叩かれる“ケッパン”、小テストが基準点にいかないと、ゲンコツ。“重罪”の場合、バリカンで頭を刈られて丸坊主にさせられることもあったという。
文部科学省の基準によれば、正座や丸坊主の強制も体罰にあたる。だが、職員室にはバリカンが常備され、その場で丸刈りにされていた。
丸坊主は、テストの点数だけでなく、カンニングなどの問題行為への対処として行われることもあり、“生活指導”として位置づけられていた面もあった。多いときはクラスの半数以上が丸坊主になったこともあったという。
学校側は、とにかく学業成績をあげ、進学実績をつくることに必死だったのだろう。「クラスの15位以内に入れば、掃除はしなくてよい」という特別ルールが設けられたこともあった。
ただ、校内の雰囲気は決して暗くはなかったといい、丸坊主にされた生徒を笑って迎えるなど、“体罰”を罰ゲームのようなノリで楽しんでいる雰囲気もあったという。少なくともその場では、教師も生徒も、それらの行為が「問題行為」として行われているという後ろ暗さは持っていなかったようだ。
体罰問題の根深さは、禁じられた行為であるにもかかわらず、その線引きの難しさと、教師、生徒、保護者一人ひとりの受け止め方が違うところなどにあるといえる。それは、こうしたエピソードからもうかがえるのではないだろうか。
秋田市の方からのメールには、体罰による効果として自身が目撃した事例を記されていた。
「通っていた高校では、日常的に校庭に暴走族が入り込み、頻繁に授業妨害があり、登下校時に喫煙したりするのは当たり前」だったといい、さらには「授業中に、複数の生徒が教師をボコボコにするといったこともあった」という。
また、「何か確証があってのことだと思うが、街で起きた窃盗事件などの聴取で、高校にパトカーが来るのも珍しくなかった」とも。
そんな中、1人の生徒が喫煙して生徒指導で呼ばれ、教師から血まみれになるまで殴られたということがあった。翌日、その生徒の母親が学校に出向いてきた。大問題に発展するのかと思いきや、母親は「よくぞやってくれました」と頭を下げていた。
その様子を見たメールの主は「体罰は必要悪なのではないか」と感じたという。
このように、体罰を肯定的に捉える人たちのメールも少なくなかった。こうした人たちに共通していたのは、「体罰が良い教育効果を生むことがある」という実体験だった。
ただ、再度確認しておくと、体罰は学校教育法でも禁じられた行為であり、表面化すれば、教師は処分対象となる。それでも、現場の教師たちから寄せられるメールの中に多かったのは「ときには、体罰が必要なときもあるのではないか」という訴えだった。
しかし、体罰に対する世間の視線が一層厳しくなった今、かつての熱血ドラマによくあったような、教師が涙ながらに生徒を殴って教え諭す場面も、単に「体罰」と受け止められるかもしれない。今後、ドラマなどの中でこうしたシーンもなくなっていくことにもなりそうだ。
家庭でのストレスを教師に…
一方で、連載の中で、とりわけ目立ったのは「日頃、まじめな生徒たちが問題行動を起こしたときは、言葉で指導することができるが、言っても聞かない生徒はどうすればよいのか」という先生たちの切実な声だった。
その中で、東京都内の元教師(63)から寄せられたお便りには「親に問題はないのか」という点が強調されていた。この元教師は、小学校の講師をしていた知り合いの女性教師のエピソードを教えてくれた。
体格の良い小学校5年生の児童がテスト中に問題行為をしたため、女性教師が注意したところ、児童が向かってきて格闘になり、女性教師の身体に青あざができてしまうようなトラブルになったという。
この児童は数々のトラブルを起こしていたこともあり、保護者である児童の母親にも働きかけをしたのだが、実は、母親自身が子供に虐待行為をしていたことが判明。しかも、母親は学校側に無理難題を求める“モンスターペアレント”でもあったため、学校側はその後の対処にも苦労したという。
元教師はこの一件について、子供は家庭でのストレスのはけ口として、教室で女性教師に暴力をふるった可能性もあると推測している。
児童や生徒が問題行動を起こし、教師がやむにやまれず手をあげたケースは本来、体罰にはあたらない。しかし、教師の実力行使は「体罰」と捉えられがちだといい、体罰には当たらないケースでも、教師が実力行使に出れば、理由の如何(いかん)を問わず「教師が悪者になることも少なくない」という。
このような現状に対し、「問題行動の芽を放置した家庭に問題はないのか」と訴える教師たちの意見は少なくない。
寄せられたメールの文面だけで、なにが正しく、なにが間違っているのかを判定することはできないが、「何もかもが教師任せになっている」という鬱屈した思いや不満を記した教師は本当に多かった。
学業成績でも体罰
連載の中では、スポーツ指導、生活指導の現場での体罰について紹介したが、「学業成績による体罰」もあるという。大阪府内のある私立高校の約20年前の事例だが、こんなエピソードもあった。
授業中、あてられて答えられないと、正座。テストの点数が悪いと、木の棒で尻を叩かれる“ケッパン”、小テストが基準点にいかないと、ゲンコツ。“重罪”の場合、バリカンで頭を刈られて丸坊主にさせられることもあったという。
文部科学省の基準によれば、正座や丸坊主の強制も体罰にあたる。だが、職員室にはバリカンが常備され、その場で丸刈りにされていた。
丸坊主は、テストの点数だけでなく、カンニングなどの問題行為への対処として行われることもあり、“生活指導”として位置づけられていた面もあった。多いときはクラスの半数以上が丸坊主になったこともあったという。
学校側は、とにかく学業成績をあげ、進学実績をつくることに必死だったのだろう。「クラスの15位以内に入れば、掃除はしなくてよい」という特別ルールが設けられたこともあった。
ただ、校内の雰囲気は決して暗くはなかったといい、丸坊主にされた生徒を笑って迎えるなど、“体罰”を罰ゲームのようなノリで楽しんでいる雰囲気もあったという。少なくともその場では、教師も生徒も、それらの行為が「問題行為」として行われているという後ろ暗さは持っていなかったようだ。
体罰問題の根深さは、禁じられた行為であるにもかかわらず、その線引きの難しさと、教師、生徒、保護者一人ひとりの受け止め方が違うところなどにあるといえる。それは、こうしたエピソードからもうかがえるのではないだろうか。