その地震は元禄関東地震(1703年)。前回に書いた90年前の大正関東地震(1923年)の「先代」の海溝型地震である。
海溝型地震は繰り返す。だが、まったく同じものが繰り返すわけではない。元禄関東地震はマグニチュード(M)8・1~8・2とされていて、大正関東地震(M7・9)よりも地震のエネルギーが倍以上も大きかった。
津波も大正関東地震よりずっと大きかった。津波による死者は房総半島から伊豆半島まで数千人。なかでも小田原の被害は壊滅的で、地震と火災で小田原だけで死者は2000人を超えた。熱海でも7メートルの津波が襲い、残った家はわずか10戸だった。大正関東地震のときとは違って、鎌倉では鶴岡八幡宮も二の鳥居まで津波に襲われた。そこは海から2キロは優に離れている。
つまり震源の広がりも、地震の規模も、元禄関東地震の方が大きかったのだ。関東地震の震源は相模湾から神奈川県のほぼ全域、そして千葉県の房総半島にかけての地下に広がっていた。一方、元禄関東地震の震源はもう少し南と東、相模トラフや日本海溝近くまで伸びていたからである。
首都圏を襲うこれらの地震のシリーズは海溝型地震ゆえ、また将来起きることは確かなことだ。だが、いつ起きるかが、東日本大震災以降、地震学者の間でも議論が分かれるようになってしまった。
それまでは「次の関東地震」までは、少なくとも100年近くはあろうと思われていた。これは元禄関東地震と大正関東地震との時間間隔からの類推である。
しかし、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震はM9という途方もない大きさだった。これが日本の、少なくとも東半分の地下をリセットしてしまった疑いが強い。まだまだ、と思われていた将来の地震が意外に近いかもしれない、という考えが出てきているのである。
もし起きて「先代」並みの大きさならば、震害だけではなくて、相模湾や房総の沿岸には大津波が押し寄せるかもしれない。
それだけではない。別の「事件」を誘発する可能性も否定できないのである。元禄関東地震の4年後に、いま恐れられている南海トラフ地震の、これも先代である宝永地震(M8・4~8・6)が起きたのだ。同年に富士山も噴火した。学問的な関連は分かっていないとはいえ、気味が悪い連鎖である。
不気味な地震だった。8月に入って最初の休日、強い衝撃が宮城県を中心に東日本を襲った。原因は東日本大震災の余震だが、あの未曾有の大災害から2年5カ月たっても余波は収まっていないことになる。それどころか、専門家は余震が100年単位で続き、先の大震災級のほか、首都での巨大地震を刺激しかねないとも警告するのだ。
不意を突いたニュース速報に肝を冷やした人も多かったに違いない。
4日午後0時28分ごろ、宮城県石巻市で震度5強の地震が起きた。東北を中心に北海道から東京都、静岡県にかけて震度5弱~1を観測。気象庁によると、震源地は宮城県沖で、震源の深さは約58キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6・0と推定される。
宮城県内の消防によると、仙台市では自宅にいた30代の男性が落下した照明器具で頭を打撲するなど複数のけが人が出た。
本紙で『警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識』(毎週木曜)を連載する武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏は「東日本大震災の余震です。2年以上たってもまだ続いているのかと思う方もいるでしょうけど、米国では200年も続いている例がある。今後も続くとみていい」と指摘する。
先の震災のエネルギーは史上最大級のM9・0だった。「経験則ですが余震は、本震の(エネルギーの)マイナス1が起きる可能性がある。ですので、脅かすわけではありませんが、M8級はありえます。しかも、先の震災の南端は茨城県にまで及んだ。今後、大きな余震が起きれば、首都直下などの大地震を刺激する恐れもあります」と警告する。
余震の南海トラフ連動型地震への影響はどうか。島村氏は「ないでしょう」としながらも、別の意味で「警戒が必要」と話す。
4月13日に兵庫県の淡路島付近でM6・3(最大震度6弱)が起き、8月3日には静岡県西部の遠州灘でM5・1(同4)が発生した。
「この2つの地震は、将来的な南海トラフ(連動型)地震の先がけといえなくもない。実際に1944年の東南海、46年の南海地震の約20年前にこういう現象があったので注意すべきです」(島村氏)
地震は忘れたころにやってくる。油断は禁物だ。
海溝型地震は繰り返す。だが、まったく同じものが繰り返すわけではない。元禄関東地震はマグニチュード(M)8・1~8・2とされていて、大正関東地震(M7・9)よりも地震のエネルギーが倍以上も大きかった。
津波も大正関東地震よりずっと大きかった。津波による死者は房総半島から伊豆半島まで数千人。なかでも小田原の被害は壊滅的で、地震と火災で小田原だけで死者は2000人を超えた。熱海でも7メートルの津波が襲い、残った家はわずか10戸だった。大正関東地震のときとは違って、鎌倉では鶴岡八幡宮も二の鳥居まで津波に襲われた。そこは海から2キロは優に離れている。
つまり震源の広がりも、地震の規模も、元禄関東地震の方が大きかったのだ。関東地震の震源は相模湾から神奈川県のほぼ全域、そして千葉県の房総半島にかけての地下に広がっていた。一方、元禄関東地震の震源はもう少し南と東、相模トラフや日本海溝近くまで伸びていたからである。
首都圏を襲うこれらの地震のシリーズは海溝型地震ゆえ、また将来起きることは確かなことだ。だが、いつ起きるかが、東日本大震災以降、地震学者の間でも議論が分かれるようになってしまった。
それまでは「次の関東地震」までは、少なくとも100年近くはあろうと思われていた。これは元禄関東地震と大正関東地震との時間間隔からの類推である。
しかし、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震はM9という途方もない大きさだった。これが日本の、少なくとも東半分の地下をリセットしてしまった疑いが強い。まだまだ、と思われていた将来の地震が意外に近いかもしれない、という考えが出てきているのである。
もし起きて「先代」並みの大きさならば、震害だけではなくて、相模湾や房総の沿岸には大津波が押し寄せるかもしれない。
それだけではない。別の「事件」を誘発する可能性も否定できないのである。元禄関東地震の4年後に、いま恐れられている南海トラフ地震の、これも先代である宝永地震(M8・4~8・6)が起きたのだ。同年に富士山も噴火した。学問的な関連は分かっていないとはいえ、気味が悪い連鎖である。
不気味な地震だった。8月に入って最初の休日、強い衝撃が宮城県を中心に東日本を襲った。原因は東日本大震災の余震だが、あの未曾有の大災害から2年5カ月たっても余波は収まっていないことになる。それどころか、専門家は余震が100年単位で続き、先の大震災級のほか、首都での巨大地震を刺激しかねないとも警告するのだ。
不意を突いたニュース速報に肝を冷やした人も多かったに違いない。
4日午後0時28分ごろ、宮城県石巻市で震度5強の地震が起きた。東北を中心に北海道から東京都、静岡県にかけて震度5弱~1を観測。気象庁によると、震源地は宮城県沖で、震源の深さは約58キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6・0と推定される。
宮城県内の消防によると、仙台市では自宅にいた30代の男性が落下した照明器具で頭を打撲するなど複数のけが人が出た。
本紙で『警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識』(毎週木曜)を連載する武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏は「東日本大震災の余震です。2年以上たってもまだ続いているのかと思う方もいるでしょうけど、米国では200年も続いている例がある。今後も続くとみていい」と指摘する。
先の震災のエネルギーは史上最大級のM9・0だった。「経験則ですが余震は、本震の(エネルギーの)マイナス1が起きる可能性がある。ですので、脅かすわけではありませんが、M8級はありえます。しかも、先の震災の南端は茨城県にまで及んだ。今後、大きな余震が起きれば、首都直下などの大地震を刺激する恐れもあります」と警告する。
余震の南海トラフ連動型地震への影響はどうか。島村氏は「ないでしょう」としながらも、別の意味で「警戒が必要」と話す。
4月13日に兵庫県の淡路島付近でM6・3(最大震度6弱)が起き、8月3日には静岡県西部の遠州灘でM5・1(同4)が発生した。
「この2つの地震は、将来的な南海トラフ(連動型)地震の先がけといえなくもない。実際に1944年の東南海、46年の南海地震の約20年前にこういう現象があったので注意すべきです」(島村氏)
地震は忘れたころにやってくる。油断は禁物だ。