私は小さい頃からオンガクが好きだった。小さい頃は歌うのが大好きで、中学生位から聴くのも好きになっていった。うちはみんな歌うのが好きだったから、毎晩毎晩、私のピアノに合わせて家族で何曲も歌っていた。家族全員が私の中学の校歌を歌えるくらいだった。
大学の頃は、友達の家で恋の歌を聴いてなんだかんだと語り合っていた。大学を卒業する頃はボサノヴァやJAZZ、世界の民族音楽を聴くようになっていった。
今も車に乗る時などは30枚以上もCDを持ち込んでいる。とにかくオンガクが好きだ。
ただし、最近は家で一人になると無音のままじっとしてしまうことが多かった。そんなとき、学生の頃実によく聴いた槇原敬之を引っ張りだした。恋の詩がほとんどだが、彼の散文的な歌詞、いや、歌詞というより一つの物語に私にとって、普遍的なものを発見した。それは学生の時に聴いた単なる懐メロではなく、一種のコミュニケーションだと思った。
オットは中学高校とお金がなくてあまり友達と遊べず、部屋でオンガクを永遠と聴き続けていたと笑って言っていた。オットもオンガクがコミュニケーションとなっていたのだろうか。
JAZZもボサノヴァもクラシックもとってもいい。でも、この暑い日本の夏にはサザンもいいなと思う。