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この物語は既にドラマで見ていた。
しかし、映像で見るのと本で読むのとはその物語が自分に迫ってくるものに明らかな違いがあるので
いいと思ったドラマの原作は読みたいといつも思う。
この物語は、不倫で身籠った子を不倫相手の男が、自分が離婚して自分たちが結婚できるようになるまで待ってくれ、と説得されて堕胎させられ、さらに子供の産めない体になってしまう女が主人公だ。しかし、やがてその男の妻にも子供ができ、主人公はその赤ちゃんを一目見たいと思う。それでも一目見るだけではダメで、結局はその赤ん坊を連れ出して逃げる、つまり誘拐犯として逃げて逃げて逃げて逃げまくるのだ。
この話を半分くらいまで読んだ時には、人の赤ちゃんを誘拐するその女の気持ちが理解できなかったし、びくびくとしていつも逃げまくるその生き方はにホトホト嫌気がさしてくる想いだった。最後まで読むのをやめようとさえ思った。
しかし、逃げ抜いて小豆島まで子供とやってきて、美しい自然の中で伸び伸びと本当の親子のように暮らすようになったあたりで、なんだかホッとした。そして温かいものを感じるようになっていた。
結局、その島で主人公は捕まる。子供と引き離される時に言った彼女の最後の言葉は「待って、その子まだ朝ご飯食べていないの!」だった。
引き離された子供はめちゃくちゃになった家庭で生きる。実の母親より誘拐犯の方が母親にふさわしく感じられるくらいだった。
子供はそれでも成長し、やはりまた妻帯者と交際するが、「あの女」(彼女は誘拐犯のことをそう言う)みたいにあるいは自分のバカな両親みたいにはなりたくないから、赤ちゃんを盗むまでに人を愛しずぎることなんかやめようと思う。
でも、愛ってそういうものだろうか?愛しすぎて赤ちゃんを盗むのは、私から見れば、愛の名を借りたエゴイズムに思える。
私が思う真実の愛は、無償の愛であると思う。愛しているからといって何かを動かすのは、それは愛ではないと思う。
私が自殺未遂をし、助かって退院したとき、口数の少ないオットは、こう言った。
「あの愛乃を発見したとき、そんなに辛かったのか、そんなに辛いのならこのまま死なせてあげた方がいいのではないか」と考えたと言う。その時のオットは自分がひとりぼっちで取り残されていくことやそんな自分のことは考えもしなかったのだ。ただただ、私のことだけを理解し考えてくれた。私が知っている愛はこういうものだ。