アカツキですけど

百戦錬磨 もう百戦越えてますけど その先に何があるのか

謎解きは進んでるな。いや、知ってる人が言わなかっただけか?

2016-03-30 19:49:58 | 日記

2016/1/30(土) 午前 0:44


[25]P 名無しさん@1周年[] 2016/01/29(金) 16:34:27.79 ID:

>中国の古代王朝、漢の景帝(紀元前188~同141年)の墓近くから、
>世界最古とみられる茶葉が発見された。

漢の景帝は朝鮮系だから、その茶葉は世界最古という説は正しい。


[40]P 名無しさん@1周年[sage] 2016/01/29(金) 16:59:55.33 ID:
35
チベットの墓には茶葉が埋葬品として発見されていた。
今回、景帝の墓から茶葉が発見され、その茶葉とチベットの茶葉は同じ種類なのか知らないが、
チベットのものと景帝のものは関係性がある事が判明した。
チベットでは茶の生産ができない事から、漢代には茶の生産があり、チベットへの交易品として茶葉があったのでは、というもの。


⇒チベットも中国からの流れ民族がほとんどだろう。あたしはチベットを漢と言ってる。漢と殷と百済と朝鮮、満州は同じ。あたしの定義。

【中国】漢の皇帝たちは茶を飲んでいた? 世界最古の茶葉を発見 漢の景帝(紀元前188~同141年)の墓近く

2016-03-30 19:47:49 | 日記

【中国】漢の皇帝たちは茶を飲んでいた? 

世界最古の茶葉を発見 漢の景帝(紀元前188~同141年)の墓近く

2016/1/30(土) 午前 0:35


【中国】漢の皇帝たちは茶を飲んでいた? 世界最古の茶葉を発見 漢の景帝(紀元前188~同141年)の墓近く


[10]P 名無しさん@1周年[] 2016/01/29(金) 16:08:40.35 ID:

中国は古い文献が残ってていいね
日本は中大兄皇子と中臣鎌足の一派が
倭国の歴史書や外交文書等文書という文書を
すべて焼却したからね

⇒そう、百済移民らに文明消されてぶっ壊された

[21]P 名無しさん@1周年[sage] 2016/01/29(金) 16:26:23.83 ID:
だが待って欲しい 黄河文明より長い歴史をもつ朝鮮半島では、
紀元前3000年には既に茶葉が生産されていたことを例の壁画がそれを如実に示している

⇒そんな君に聞きたい。なぜ日本の歴史は壊され燃やされしてるのに、あちらでは保存が出来ていたのか…つまり壊しまくった連中なんだよ、残してる連中は。自分等の歴史は残し襲われない。なぜか…日本の侵略者だから、あっちが。

あとこれが今のあたしが大嫌いな百済と殷↓ 

2016-03-30 19:43:40 | 皇室問題

あとこれが今のあたしが大嫌いな百済と殷↓ 

あとインチキ天皇家の流れ これだ これが朝鮮半島と漢まで流れてる。



2016/1/30(土) 午前 0:14

あとこれが今のあたしが大嫌いな百済と殷↓ あとインチキ天皇家の流れ これだ

これが朝鮮半島と漢まで流れてる。

あたし 自分の血で敵がわかるんだよ。

大嫌いだから。




しかし管仲の死後、人が変わったように堕落した桓公により国政は乱れ、さらに桓公死後の後継争いで斉は一気に覇権の座から転落した。これに代わって覇者になろうとしたのが宋の襄公である。殷の遺民たちの国で、国力は中程度という宋だったが、襄公は桓公の後を継いで天下を治めんという高い志を抱いていた。まず斉の後継争いに介入、元より太子とされて宋に預けられていた昭を位に就けて孝公とした。さらに諸侯の盟主となるべく盂(河南省睢)にて会盟を開いた。しかし、この会盟で宋に主導権を握られることを嫌っていた、参加国の楚の重臣に監禁されてしまった。襄公はいったん帰国して楚と決戦に及ぶ(泓水の戦い)が、敵に情けをかけた結果(宋襄の仁)大敗し、覇権の獲得は成らなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E6%99%82%E4%BB%A3

神武天皇 第1代天皇 実在性あり

2016-03-30 19:39:16 | 皇室問題

2016/1/30(土) 午前 0:09



長らく宮内庁でやってない仕事

過去の江戸と明治期に洗いざらい 調べられてるはずだ

そんで絵にしてるっていうのは実在性の根拠を当時 見つけてるからだ。

これは過去からの遺言 

ただし 出雲が語ってる系譜と関係ないし 伊勢のアマテラスとも関係ない。




綏靖天皇 第2代天皇 天皇としては認められないが 

2016-03-30 19:35:37 | 皇室問題
綏靖天皇 第2代天皇 天皇としては認められないが 
人肉を食う人間という伝説が南北朝時代にあるということは実在してるキャラ

2016/1/29(金) 午後 11:42



綏靖天皇(すいぜいてんのう、神武天皇29年 - 綏靖天皇33年5月10日)は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年1月8日 - 綏靖天皇33年5月10日)。
和風諡号は、『日本書紀』では「神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)」、『古事記』では「神沼河耳命」。
神武天皇(初代天皇)の子にあたる。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述は少なく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。


伝承[編集]
南北朝時代の編とされる『神道集』によれば、綏靖天皇には食人の趣味があり、朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は「近く火の雨が降る」との虚言を弄し、天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという[11]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%8F%E9%9D%96%E5%A4%A9%E7%9A%87

南北朝時代 (日本)
日本における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)