やっぱり坂本龍馬かな? 龍馬ファンにしたら怒られるかも知れないが口先だけの男だった。
眠れないので少しだけ書いてみよう。
幕末のカリスマ「坂本龍馬」2016年に古文書見つかる。龍馬の商売の才能がわかる貴重な手紙
杏林大学の教授 坂本龍馬が勝海舟に宛てた手紙 20年以上眠っていた資料が出てきた。
龍馬の外国貿易に関する具体的な記述は珍しく貴重。なぜこれが重大なのか?
2016年に発見された文献からわかった? 坂本龍馬はある人物の影響を受けていた事がわかる。
分かりますか? 龍馬と云えば「薩長同盟」の仲立ちをしたとか尽力し海援隊でも有名ですよね。
これは代表的な事ですが・・・
誰も考えもしなかった独創的なアイデアで時代を切り開き日本を江戸から明治へ導いた人物である。
誰も認める幕末№1HEROです。発見された手紙を読み解くと龍馬の独創的な発想力は、ある人物の考えを
真似していた? と分かる内容でした。龍馬は歴史的・学問的にみると何もしていない。
歴史で取り上げられるようなことはしていないのです。僕らの頃の教科書に取り上げられていなかった。
あまりにも社会で有名になりヒーローになったので、逆に教科書に取り上げるようになった。
いまは教科書に取り上げられています。2016年発見された文献には・・坂本龍馬は口だけ?でしょう。
この手紙には、勝海舟に宛てた手紙に軍艦にするか商船にするか問題になっていて「黒龍丸」を軍艦として
使ってしまったら上海・朝鮮、対馬や函館に自由に行けなく成る 大砲を積まず荷物を積んでいろんなところで商売しよう
と龍馬は云っている。良い考えですが龍馬の考えは北海道貿易で膨大な利益を上げていた藩があった。
その藩の指導者 その人物は誰でしょう? 西郷隆盛でした。薩摩藩は北海道と交易していた。1840年頃?
龍馬は赤ん坊 龍馬の考えと云うのはおかしく薩摩藩が考えていたこと 薩摩藩は北海道を「日本の宝蔵」と称し幕府に北海道開拓
の重要性を説いていた。薩摩藩は昆布で莫大な利益を得ていた。
龍馬の手紙に書かれている内容は薩摩藩の北海道貿易の一部。この時西郷と龍馬は出会っていない。西後に会ったのは
手紙から2ヶ月後くらい。1864年龍馬は勝海舟の紹介で西郷と会った。西郷を尊敬して西郷も龍馬を可愛がった。
龍馬は西郷のために一生懸命働くようになった。
この手紙から龍馬は西郷に会う前から影響を受けていたことが推測出来る。
1866年薩長同盟の仲立ち 1867年日本最初の株式「海援隊設立」など行ったが、その影には西郷あり・・・
龍馬を操っていたのは西郷 龍馬は素晴らしい会社員 決断をする重役でなく会社に勤めている社員 社員としては優秀
商売の才能はある。西郷が惚れ込んだのは龍馬の頭のキレと行動力だと・・・
龍馬は一儲けしようとして船をプロシアの商人から買い付ける。ところが金払えない。船を買ったのはいいけれど
差し押さえられる。龍馬は他で借りた船を使ってお金を造る計画を考える。それが「いろは丸事件」です。
事故をきっかけに多額な賠償金を手に入れた。1867年海援隊を乗せた「いろは丸」紀州藩の船が衝突して沈没
龍馬は紀州藩に船代と積み荷だった「大量の銃」などの賠償金を要求。裁判に勝利し多額の賠償金を手に入れた。
しかし土佐藩幹部 後藤象二郎が残した記録には米と砂糖だったと。龍馬が主張した大量の鉄砲は積んでなかった。
龍馬は紀州藩から多額の賠償金をダマしとった。近年海底に沈んだ「いろは丸」を調査したら武器もお金も積んで
なかったと判明。いまのお金で150億円を紀州藩から手に入れる。頭は切れていた。
次回は、龍馬の暗殺について・・暗殺命令を下したのは意外な人物???