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札幌・円山生活日記

神君・家康公の天下城は立派です!~「皇居東御苑」~

NHK大河ドラマの主人公・神君家康公の江戸城天守台のある「皇居東御苑」。旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので昭和43年(1968)から公開されています。予約不要・無料で神君家康公の居城跡を各自で自由に回れます。

本日は旧江戸城の天守台もある「皇居東御苑」の散策です。定年退職時まで働いた職場は大手町にあり皇居(旧江戸城)外側は数えきれないほど周りました。職場の隣にある高層ビルの最上階からは天守台も何度か見たこともあります。もともと城好きで旧江戸城には大変関心があったのですが現役時代には最後まで訪問する機会がありませんでした。“何時でも行けるから”と思っているうちに定年を迎えてしまったという訳です。今回久しぶりの東京で時間も空いたこともあり長年の宿題を果たすべく旧江戸城、特に天守台に出かけることとしました。調べると「桔梗門」からの「皇居一般参観」は事前予約か当日に並ぶ必要があるものの「大手門」から入る「皇居東御苑」ならば予約も並ぶ必要もなく自由に散策可能ということのようです。ということで早速出かけることとします。

東京駅中央口を出発点とします。
東京駅向いの「丸の内ビルディング」(右)と「新丸の内ビルディング」(左)。
「行幸通」。東京駅丸の内中央口から皇居へ続く道。陛下の行幸の際や新任大使の信任状奉呈式の際などに使用されます。

 
「特別史跡 江戸城跡」。江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌によって創築され、天正18年(1590)に北条氏が滅亡し徳川家康が居城と定めた。以来、家康三代にわたって整備され江戸城の総構えが完成。明治維新後江戸城は皇居となる。昭和24年(1949)以降一般公開されてきたそうです。

「皇居外苑」の「楠木正成公(楠公)」の銅像。
高さ約4m、台座を含めると約8mの高さを誇る荘厳な銅像。楠木正成公が正慶2(1333)年に隠岐の島から戻った後醍醐天皇を兵庫の道筋で出迎えたときの勇姿を象ったものだそうです。

「大手門」へ行く前に折角ですので「二重橋」へ。
「二重橋」奥には「伏見櫓」。
 
「桔梗門」。ここからの「皇居一般参観」は午前・午後の2回。両回とも定員は120人(事前申請分50人,当日受付分70人)だそうです。
 
「皇居東御苑」入口の一つ「大手門」。
「大手門(高麗門)」前で荷物検査を受けて入ります。予約も不要で入場無料です。
防御のため鉤手(かぎのて)となった先にある「渡櫓(わたりやぐら)門」。
「渡櫓(わたりやぐら)門」に設置されていた鯱(しゃち)。

「渡櫓門」から少し歩くと休憩所併設の「皇居内売店(菊葉文化協会)」があります。「皇居東御苑」のガイドマップが入手できます。

「ガイドマップ」。これを参考に「本丸」から「二の丸」へと散策します。
 
「同心番所」。警備詰所で「同心」と呼ばれる武士が詰め登城者を監視していた建物。
「百人番所」。「中之門」に向き合う警備詰所で4組の鉄砲百人組が昼夜交代で勤務していたそうです。隣には番所建物を模した和風の生垣がありました。
「中之門跡」。「本丸」へ入っていきます。
「大番所」。「中之門」の内側にある警備詰所で身分の高い侍が勤務していたそうです。

「本丸大芝生」。広大です。奥に天守台が見えます。

「午砲台跡」。時刻を知らせるために午砲(空砲)を撃っていた場所。

「富士見櫓」。本丸地区にある唯一の櫓で遺構の中では最も古いものだそうです。
「松の廊下跡」。

いよいよ「天守台」です。江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は3度建てられ、明暦の大火(1657年)で焼失して以降は天守石垣のみが築き直され天守の再建は行われませんでした。
天守台は東西約41m、南北約45m、高さ11mと巨大です。
見物客が登りやすいように整備されています。
見事な石垣です。
天守台の上からは360度見晴らせます。
天守台から見える江戸城本丸御殿が建っていた大芝生。奥から将軍の謁見、儀式、行事、役人の執務の場「表(おもて)」、次いで将軍の日常生活や政務を執る場「中奥(なかおく)」、最も手前には御台所(みだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻、家族、女性たちの生活の場「大奥」が並んでいたそうです。
天守台を降りていきます。

向かったのは「江戸城天守復元模型展示室」。
「江戸城天守復元模型」。3度の天守築造のうち資料が多く残る最後の寛永期の天守を1/30スケールで制作したもの。3代将軍徳川家光の時代・寛永15年(1638年)に竣工。明暦の大火(1657年)で焼失するまで20年間しか存続しなかった。
五重6階の建物と天守台を合わせて高さ60m、20階建てのビルに相当し日本の天守の中で最も高かったそうです。
「江戸城天守復元模型展示室」前の《寒桜》。
もう桜が咲いていました。
札幌は街が白一色というのに・・という感じです。

「桃華楽堂(とうかがくどう)」。昭和天皇の香淳皇后の還暦を記念して1966年(昭和41年)に建てられた音楽堂。8つの壁面は羽ばたく鳥や松竹梅などが陶片で描かれています。

天守台北側の「北桔橋門(きたはねばしもん)」(内側)。
門を出た橋から見る「平川濠」。
「北桔橋門」(外側)。「本丸」へ戻ります。

「本丸」から「二の丸」へ続く「汐見坂」。
徳川家康の時代には近くまで日比谷入り江が入り込んでいて坂の上から海が眺められたので「汐見坂」。現在はこんな風景です。

「二の丸」から「平川門」へ続く「梅林坂」。最初に城を築いた太田道灌が天神社を祀り数百株の梅を植えたことから「梅林坂」と呼ばれるようになったそうです。
《紅梅》。
《白梅》。

平川門(内側)。御殿に勤めていた奥女中などの通用門だったそうです。
平川門外。橋の向こうにあるのは毎日新聞社の入るパレスサイドビル。
「平川門」(外側)。こちらから「二の丸」内側に戻ります。

「二の丸」の「諏訪の茶屋」。明治時代に吹上御苑に建てられた茶屋を移築したもの。もともと諏訪社があったことから「諏訪の茶屋」と呼ばれているとか。
「二の丸庭園」の池。9代将軍・徳川家重の時代の図面を元に復元した日本庭園。
コイがたくさん泳いでいます。
名前は《ヒレナガニシキゴイ》。上皇陛下の発案でインドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイをかけ合わせたものだそうです。

「二の丸庭園」出入口付近の《ソシンロウバイ》。
《ソシンロウバイ》です。

「三の丸尚蔵館」は令和五年秋まで休館中。

「大手門」まで戻ってきました。

「大手門(高麗門)」前。
「大手門(高麗門)」前から見る大手町のビル群。

以上で散策終了。地下鉄「大手町駅」からホテルへ戻りました。初めての「皇居東御苑」すなわち「旧江戸城」の散策は充実でした。特に巨大な天守台を目近くで見ることができ感激です。本丸の敷地も広大で立派な石組みの石垣にも圧倒されました。現在の遺構が完成したのは三代・家光公の時代だそうですが礎を築いた神君・家康公の偉大さを改めて実感しました。大変結構でした。ありがとうございます。

「皇居東御苑」
1 、皇居東御苑は、次に掲げる日を除き公開しています。入園は無料です。
(1)月曜日・金曜日
 ただし、天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開します。
 なお、月曜日が休日で公開する場合には、火曜日を休園します。
(2)12月28日から翌年1月3日まで
(3)行事の実施、その他やむを得ない理由のため支障のある日
2、 公開時間は、次のとおりです。
 3月1日~4月14日 午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
 4月15日~8月末日 午前9時~午後6時(入園は午後5時30分まで)
 9月1日~9月末日 午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
 10月1日~10月末日 午前9時~午後4時30分(入園は午後4時まで)
 11月1日~2月末日 午前9時~午後4時(入園は午後3時30分まで)
3 、出入りは、大手門・平川門・北桔橋門です。
4、 入園に際しては、禁止事項等がありますので、各入口の掲示板でご確認をお願いします。
(2023.1.24)

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