わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

神は呑んで雄叫びを上げる  (こともある)

2012年06月19日 | 岡田茂吉医学論研究会用

堕落したねえ~

 

はい・・・

呑んでばかりいるらしいけど?

はい・・・・

 

宗教辞めてあんた堕落ひとすじかい?

はい・・・

 

それで宗教嫌いになった?

いいえ、嫌いじゃ無く、波動が合わなくなったんです。

 

でも、「宗教が要らない」とか言ってるじゃん?

いえ、わたすのことはいいんです。

よくないよ。

じゃあ、なんで宗教要らないなんて言うの?

いえ、脱じゃなく、卒なんです。

 

ほほう・・・うまく表現したね。
でも、どうみても君の生活は堕落ひとすじだよな?

 

だからあ~~、ワシのことはほっといてくださいって!

そうはいかないよ、それだけ偉そうなこというからはな。
そうとう偉い人物になってから言うぞ、そういうこと。

 

だからっ!  わすを見るなって言ってんだい!!

 

じゃ、なぜ岡田茂吉研究の分類にこれを入れた?

 

そこが意味深長なんでひょ。

じつは・・・教祖さんがこれ入れろってあちらの世界からせっつくんですよ。

 

なにい~堕落元信者が何を言う!

向こうの世界に逝くと、本当の事を知るんでしょ?きっと。

そうなってから、「あ、ちみぃ~~これ訂正ね。」などと、言っても誰も聞こえない。だから誰かの意識に働きかけて代わりに言って貰うんでしょ?

そうかなあ? それにおめえに働きかけるとはとても思えない。
だいいち、人格が・・・低次元すぎる!!

 

しかたないでしょ、偉そうな立派な人格者さんたちは「勘違い」しているから、聞く耳持たずなんだから。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

「ニュー・メタフィジックス」(new Meta-Physics)

宗教(religion)
                                第2節



この節でも宗教と政府という概念を統合する立場から見ていきます。
皆さんが無条件の愛を通して自分の力を取り戻していく時、すなわち自分が宗教や政府と対等である
ことを認め、そして大いなる全てと対等であると認め始めた時、社会の中においても、
性格の部分を通して、皆さん神聖さを創造的に表現することが可能であることが理解できるでしょう。
(「性格」自体は肉体をもつ以上存続するものですが・・・・)。
このようにして皆さんのいう地上の楽園が創られるのです。
ここでは皆さんの宗教によって創られてきたシンボル(象徴)全てを見ていきます。
それらがいかに地球上に形となって現たかも見ていきます。シンボルのメカニズムも理解できるでしょう。
自分自身の典型的なエネルギーに触れそれが意識の奥深くに地下水のように流れているのを
感じるかもしれません。そして、元型エネルギーが潜在意識の中でいかに幻想とシンボルを
創りだしているかを見るでしょう。このエネルギーは、皆さんが周りの世界と関わり合う手段として、
元型からの全てのシンボルを創造するために使われているだけなのです。その関わり合いの相手が
本当は自分自身、すなわち創造主である大いなる全てであると気づくまで、これが続きます。
元型のエネルギーから一度この分離を創り出すと、今度はその分離を強化するために必要な
シンボルを常に使い始めます。これは皆さんが心理学呼んでいる一つの考え方を通して理解できます。
実際にはすでに、心理学が宗教に取って代わり始めているのです。

このようにして、自分が分離した存在であるという考え方から創造した、多数の意識の流れが
あることが分かります。皆さんは自分の意識の中を、表層意識、無意識、潜在意識、超意識、
集合意識、そして皆さんの性格の様々な部分にと分離してしまいました。

今まで(といっても2万5千年サイクルの中ですが)これらの様々な性格に分離してしまった部分が、
悪魔、天使、その他の宗教的なシンボルを生み出してきました。これらのシンボルの背後に、
実際の意識エネルギーがまったく無かったとはいえません。しかし、皆さんの新しく統合された
観点をもってすれば、これらの概念の多くが自分の高次の意識の一部の反映であり、
人工的な人格化を施すことによって、いかに自分自身の目にとまるようにしていたかを理解するでしょう。

自らが創りだした分離の中で、元型のエネルギーを用いることによって、自分たちが理解できるような
シンボルを創造してきました。大いなる全て、「知恵」、ワンネス(本来のあなたであるすべてに
ひとつである状態)、これらから分離帯したいという望みがあったために創りだした「怖れ」を
強化するために、これらのシンボルを創造したのです。

皆さんの心理学や精神医学と呼ばれる道具を用いて、これらのエネルギーの流れや考え方を、
自分や他の意識のもつ様々な側面に関わり合いというスクリーンを投影していることを理解し始めています。

ひとつの例としては、皆さんは複数の次元にまたがって演じている全てのドラマ、
全ての人生を見始めるでしょう。救世主と思われていた人々の様々に行為は、単に物理次元に
限られた行為ではありませんてじた。それらは超自然的な行為でもあり、物理次元のみならず、
多くの異なるレベルにわたってなされた行為でした。
このようにして「ひとつの意識」がもつ数多くの側面の相互関係を理解し始めるでしょう。
例えば前述したように、キリスト意識は、皆さんがイエスと呼んだ人物を通して表現された
だけでなく、預言者エリヤ、洗礼ヨハネ、そしてユダの三人の関係が、同じく洗礼ヨハネと
イエスとユダの三人の関係と重複しながら表現されたのです。この二つの三角関係は
同じ意識から派生したものです。エリヤは町で叫びながら、皆さんの言う予言をし、それから
行われるドラマがスムーズに演じられるよう事前に準備していました。大いなる全てからの
分離というドラマの中で、その時代の人々が創造していた元型のエネルギーのすべての側面を映し出すために
必要な鏡となるドラマの幕を開けるために。

これらの分離のサイクルを通して、目に見えないところで常に起こっていた相互関係やつながり、
そして共時性(シンクロにシティ)のパターンが皆さんの目に見えてきます。これらの出来事は、
常に、明らかなつながりを持っていたにもかかわらず、皆さんが創造した性格や制限、
そして、意識の分離がちょうど曇りガラスの役目を果たして、皆さんの目に届かなかったのです。

今、皆さんは自分自身より透明にする作業を行っています。皆さん自身の人生においてて、
透視能力が身につき始めている言っていいでしょう。透視とは透明に見ることができるという意味です。
ですから、心理学者や精神医学と共に、今度は超能力も表面に浮上してきます。
これは皆さんが、時間と空間を越えて存在するすべての意識と自分自身のすべての側面とが、
常にコミュニケーションしていることに気づくことを許し始めているからです。
これが精神医学を生み出すのと同じエネルギーで反対の極をなす、超能力(サイキアトリー)という
側面なのです。超能力(サイキック)と精神医学(サイキアトリー)は同じエネルギーの両極です。
自己を物理次元に創造する限りに極性は常に存在します。これが次に皆さんに理解してほしい
もうひとつの見方です。すなわち、物理次元を定義付けるものとしての二極性なのです。

分離した自己を融合させていき、再び大いなる全てとなる統合の立場からのシンプルなものの見方が、
すでに皆さんが宗教と呼ぶものから何百歩も先に進んでいることを理解してください。
このエネルギーが、地球上の他の全ての求道手段といかに自然に融合していくかという基礎を、
すでに創り始めてます。これから、各章に進んでいくにつれて、これらすへてがどのようにつながっているか、
そして基礎となる考え方が以下にすべてこの統合という観点から作られているかがわかるでしょう。

ここまで来ると、哲学とは、統合されて宗教と呼んだ方がいいかもしれません。そして、
哲学のその二極性を伴った表現が物理的次元を定義付けしていることを、皆さんは理解するでしょう。
最初に宗教から派生して皆さんが体験するものはが、先に述べた超能力と精神医学です。
同様に原子構造が、原始の雲状の性質から粒子を生み出すのも同じようなメカニズムに基づいている
ことを理解することができるでしょう。

ある意味で単純なひとつの原始の雲のような性質から粒子が生まれるのと同様に、
皆さんの社会が、より深い気づきをもって現実の持つ性質を定義付けしていることを学ぶ時、
この精神医学と超能力という分極された考え方が、宗教という曖味な雲の状態から出ていることがわかります。
このような二極性の並んでいる状態、または(原子の例で言えば)粒子の並んでいる状態は、
話を簡単にするというよりは、より混乱させるかもしれません。しかし、自分自身や自分の考え方を
見ていく方法を通して、ちょうど皆さんの物理学者が「統一場」と呼ぶ基本的なものの見方に
到達しようとしているように、二極性のエネルギーそのものに関しての基本的な理解を
深めることが出来るでしょう。

ここで取り上げた例には、直接的な関連性があります。すなわち、超能力と精神医学は、
哲学より統一場的な場から派生する二極化された二つの成分なのです。そして、この基本的な概念が、
この見方が、皆さんの社会学的な考え方のものの見方を融合し統合する基礎となるだけでなく、
皆さんが科学そして経済と呼ぶものまで融合、統合する基となるのです。

こうして以前に述べたように、皆さんが統合というものの見方を持ち始めれば、
どのような分野においても、分離の中で創り出された間が赤宝非常に速く離れることが出来るようになります。
そして、特定の概念の中に存在する多くの特徴を捨てることができます。
超能力と精神医学は、自分の外にある慈悲の力にすがり、自分が判断される立場にあるという、
宗教のもつ大きな特徴を最初に失います。超能力と精神医学は、両者共に自分自身を、
そして大いなる全てと自分との関係を理解する試みのひとつです。ます、自分の力を取り戻すこと、
コントロールする力を取り戻すこと、すなわち自分の人生の全ての面において、自分が選択権を
もつていることを知ること。大して理解のできない外部の力や判断に、そして、神秘的な神、
女神、神々などの非合理的な行為の慈悲にすがるのではなく、皆さん個人個人がそして集合的に、
自分で望む社会を作る道具として、このコントロールが使えることを知ることです。

私達が神という言葉を使う時、皆さんが社会の中で創り出した制限のある神について話していることを
理解してください。私達は、創造とは、単に「大いなる全て」そのものだと考えています。
この大いなる全ては、全てを包括し、それ自身ですへべてであり、そして自ら大いなる全てであることを
知っている存在なのです。
ここで気づいてほしいのは、神、女神、神々などという言葉の違いも、大いなる全てという
概念に何らかの制限を与えてしまうということです。「神は全能である。しかし、どういうわけか
神は私ではなく私の外にいる。そして私は神の外にいる」などという矛盾が出てきます。
定義からすると、神はすべてであり、すべての場所にいるならば、皆さんは神の外には存在しないことになります。
神も皆さんの外には存在しません。皆さんが神なのです。定義からして、神が皆さんなのです。
ですから私達は、大いなる全てという言葉をこのんで使います。この呼び方にはそれほど制限はありません。
皆さんは、神はすべての中に存在するという考え方の中でさえ、どういうわけか自分の内にだけは
存在しないということを考え出してたしまいました。

融合という観点から見ていくと、皆さんの定義づけにも制限があること、また、それらの定義は
皆さんの現在の価値観や、これなら安全だと思っている観点を反映しているだけだと気づくでしょう。
皆さんが怖れの観念を創り出している限り、皆さんの性格、観念、感情または知性のどこかに
危険な部分が潜んでいと考えてしまいます。皆さんの歴史に常にあったように、それが融合された時、
異端者が出てきます(異端とは、皆さんの社会がそれまで認めていたもの以外に、個人の気付きが
起こったときに対する社会の反応です)。皆さんが寄り基本的なことで、すべての宗教のカノン
(キリスト教信仰および行為の基準)など現在までの分離主義に反するものです。

このようにして、二極性そののは、皆さんの融合された新しい観点から見ると、時間と空間と同様に、
この物理次元の定義付けのひとつだということがわかるでしとょう。し遊興と融合された観点から見た時、
分離主義という性格を失い、そして皆さんが科学と呼ぶ概念により近づいていきます。
こうして、第2章の「科学」へとつながっていきます。
第2章は科学ですから、分主義の時代に創造されたため、他の様々な学問の融合または統一できなかった
多くの概念についても見ていきます。科学自体の統一化を通して、その統一化等定義の性質上、
これ待て長い間科学の分野ではないとされていたものすら、その中に組み込まれ始めていることを見ていきます。

それではこれから、各章の最後に毎回行うように、代表的な質問を受けることにしましょう。
それぞれのテーマについて、この本を読んだり、もしくは人から読んでもらったりしている意識の中に
浮かんでくる様々な考えを整理するために、質問を受けましょう。
いま、質問してくれてもいいですし、各章の終わりに皆さんの社会からのコメント、もしくは個人としての
コメントを私達と共に、この宇宙連合の精神にのっとって共同創造するのもいいでしょう。

ここでは、皆さんの文明に私たちの宇宙連合の一部として参加する機会を提供していと思います。
それによって、ステップ・バイ・ステップ、一歩一歩、一章一章と、手に手をとって融合という考え方を
共闘創造し、皆さんの文明、私達の文明、意識のすべてのレベル、そしてこの本を共に創造してくれている
巣へ手の人のカタルシス(感情の浄化)となるようにしていきたいと思います。
今は、私達の文明は皆さんの文明とは異なるという考えの上に、この共同創造をしていきます。
しかし、この本の終わる頃には、わたしたちはすべてひとつの文明という見方を始めることができるかもしれません。
手に手をとって、共に探求し、助け合いながら新しい考えを創り、私達の探求する大いなる全てを、
より深く認識する機会を私たち自身に与えていきます。言葉を変えて言えば、新たな宗教と
読んでもいいかもしれません。しかし、これは皆さんが現在宗教と呼んでいるものとはまったく異なるものでしょう。

それでは、この章について質問を受ける、分かち合いのときにしたいと思います。

 


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

はっきり言って、わたすは全然分かっていません↑

 

でも、これは伝えるべしと、救世主(メシヤ)さんが・・・

 

うん、2まん5せん年も経ったら

自堕落もしようってもんじゃい! ウイィ~~(呑んでくだ巻いている)

 

そのうち目が覚めて神聖なる自分を思い出すでしょ~~(と、また呑んで)

 

だれだ、こんなヤツを紹介アフィリエイターに選んだヤツは!!

 

うぃ))~~   あしたこそ、呑むのやめよう・・・

はやく 紹介料ほしいなあ・・・・・・(こういう私も神である)

 

 

 

 

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