ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
○齋藤(憲)委員
そういう議論をやると際限がありませんからやめますが、科学技術庁が設置きれるときに、そういう問題が提起されたのです。
科学技術庁を設置する際に、問題として提起したのは、
科学技術の最高の目標は一体何だということが論議されたのだ、
この国会において。
生命現象の追求が一番最高の問題だ
ということになったのですよ。
それは局長、不勉強で、科学技術庁が設置せられたときの速記録を読んでいないのだ。
やはりその省庁に奉職する場合には、その省庁というものがいかなる目標をもって設立されたかくらい覚えておかなければ、局長はつとまらぬはずじゃないですか。
それは何といったって、科学技術の最高の目標というものは、生命現象の追求にある。
一切の問題は生命現象の追求から派生的に出ている問題だと私は考えているのですよ。
ところが、その生命を脅かしている一番大きな問題であるガンがいまだ解決されていない。
世の中は新しいガン対策、新しいガン理論を追求しているのでしょう。
何十億円という金を出しているのは、そのためでしょう。
一体、ガンはどうしたらなおるのか、ガンはなぜ出てくるのだ、ガンの実体は一体何だという、この追求に金を使っているのでしこう。
それを、
国家最高の機関に権威者が来て、
そういう対立的な意見が出てきた場合に、
行政はこれに対してノータッチという、
そんなばかな行政であってはたまったものではない。
何のために予算をとっている。
何のために国民の膏血であるところの税金を使っているのだ。
この問題をどうするのだ。
大臣がいないからろくな答弁もできないかもしれないけれども、できるだけの局長答弁でいいから、ひとつやってごらんなさい。どうするの。答弁なしですか。
――それでは答弁がないようでございますから、あえて答弁の要求をいたしませんが、
一つ委員長にお願いしておきたいのは、なぜこういうことを私一生懸命になって言うかというと、
こういう問題に対して今後たびたび本委員会において論議を尽くすチャンスというものは、私にはあまりないと自分では考えているからであります。
でありますから、
国会の権威に照らして、
本委員会において問題になったことは必ず行政庁において責任をもって解決するということでなければ、
結局委員会において論議をすることは
空論に終わるということですね。
ただ速記録に載るというだけです。
おそらく、われわれが一生懸命になってこの委員会において論議した速記録も、行政庁においてはあまり熱心に読んでいないのではないか。
読んでおったら等閑視されることはないと私は思う。
何ら国会の権威を行政庁においては認めていないのではないか。
だから、
われわれが心血を注いで重大問題だと思って取り組んでいることが、
もうその場限りで捨てられてしまって、
一年待ったって、一年数カ月待ったって何らの反応が示されないということ、
これは、一面からいうと、
国会議員に対する侮辱だ、
こういうことを私は与党議員として言いたくはないけれども、われわれが一生懸命になって取り組んでいる問題を、そのときそのときにはいいような答弁はするけれども、
それもほっておけば一つもやりはせぬじゃないか。
積極的にやりはせぬ。
一体、そういう行政庁の役人ばかりおって国政が実質的に進展するか、進展しないのです。
そういうところに日本の薄弱性というものが出てくるのではないか。
科学技術庁をそういう意味合いにおいて設立した覚えはない。
私は、そのときには、政務次官として、科学技術庁設置法に対する質問に答えているけれども、そんな意味で私は科学技術庁を設置した覚えはない。
だから、私は委員長にお願いしておくのでありますが、
どうかひとつ
この委員会の権威において、
この委員会において取り上げられた問題は、
必ず行政庁において積極的に取り組んで解決の結果を示す
というふうにお取り計らいを願いたいと思う。
特に私としてお願いを申し上げたいのは、
数回にわたって――この「血液とガン」、
これは、
日本の医学のみならず、世界の医学に対する根本的な挑戦だ
と私は考える。
もし森下学説が正しいということであれば、
日本人の頭脳と研究というものが
世界の病理学その他に対するところの根本的な是正を行ない得る
大きな功績があがる。
もしもそれがナンセンスに終わったならば、それは森下博士はそこで討ち死にということになると私は思う。
私は森下博士とは長い間のおつき合いなんです。「失われてゆく生命」でしたか、「失われてゆく生命」という本をお書きになりましたときには、私は国会におりませんでした。落選しておったのでありますが、その本を読んで非常に感銘して序文を書いた記憶があるのであります。
その後、私は、血液とガンというものに対しまして非常に懸命な検討を加えております。
昨年、私、病気をいたしまして東大病院に入院いたしましたときにも、しきりにこの血液とガンという問題について東大の諸先生方に質問をいたしましたけれども、森下学説は全然受け入れられませんでした。
きわめてナンセンス扱いだった。
しかし、ナンセンス扱いでありますけれども、この本を再読いたしますと、非常に研究のあとがにじみ出ておる。
これはぜひともひとつ検討を加えていただきたい、こう思っておったのでありますが、
きょう幸い森下参考人がおいでになりましたので、もう一ぺんこれを蒸し返してはなはだ失礼でございましたけれども、委員長にも、この問題の結論を見つけることができますように特段のお取り計らいをお願いいたしまして、私の質問を終わります。
○石田委員長
ただいまの齋藤君の御意見につきましては、委員長は各理事と、また、各委員の方々と十分御相談をし、大きく推進をしてまいりたいというように思います。
(中略)
次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。
午後一時四十一分散会
TITLE:衆議院会議録情報 第061回国会 科学技術振興対策特別委員会 第14号
DATE:2009/02/23
08:14
URL:http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0560/06106120560014c.html
-----------------------以上引用終わり----------
斉藤議員の咆吼で終わりましたが、とうとうのれんに腕押しで終わったようですね。
「のれん」=厚生省官僚、科学技術庁幹部 、癌治療医師会・・
いつも紹介している岡田茂吉の医学論文にはすでに
「菌の自然発生説」というのは書かれていたのですが、
無からヴィールス(ウイルス)が生まれるという。それが育って漸次細菌という微生物に変化して行く。
菌の自然発生説はパスツールによって否定され、それからの医学の定説になっていますが、パスツール自体は晩年になってからようやく自説の誤りに気づいたと言います。
しかし、世の中の方で勝手に一人歩きしてしまい、特に医学界ではその論に反する話は一切切り捨てられてきたものです。
それにパスツール以降、医学者(医師も)というものは過去のデータの積み重ねを学んでそれになるのですから、そういうレールに乗っていないと自己の否定する様なことになり、異論を唱えるどころか、それさえも口にしてはいけないのでしょう。
こういう世界において
科学では未だ無の世界という領域に達していなかった事と医学者でもない宗教家の話では、トンデモ論として世間には受け入れられなかったのです。
しかし、
ついに医学者の間にも、それを論ではなく「実験で確かめた」という事が出てきたわけです。
しかも数名の医学博士がそれを追試して認めたという事になり、1000万人の医師がいたとしても、それを数人の医学者が「実験によって」対等に渡り合えるという機会が訪れたのですから、医学の歴史に残るというほど重要な国会証言だったわけです。
昭和37年から論議を交わして昭和43年まで続いたこの一連の「医学上の革命論」は黒白の決着をつけることなく、うやむやに葬られてしまったのです。
これは何度も紹介して、さらにこの話を多くの人に伝えて頂きたいわけです。
いくら民間から素晴らしい論が出ても、それは「素人の論」で終わらせられるでしょうが、こと数名の医学博士が政府に要望書まで出して迫った論を、実験で証明できるという確証をもって臨んだ国会証言を一切無視してしまったのは、どういう意味があったのか?です
それに対していろんな想いが浮かびますが、とにかく、それが「たとえ黒であってもよいから、実験しろ」と迫ったし、委員長発言でもそれを肯定していたものを、どうしてもやらなかった理由です。
結果から言うと、どうやら昭和43年の国会以降、こういう論議はなかったようですし、もちろん、今の今まで国会で要求された「公開実験によってその白黒の決着をつける」こともなされなかったようです。
「ようです」じゃない、「なされなかった」のです。
なされていたなら、
その結果が出ているわけですから、
もし
新理論が黒だったら、
いまでは極小派の異端論は木っ端みじんに砕かれて、グーの音も出さないでしょうし、残党さえも残っていられないはずです。
しかし、どうですか。
未だに残っているのですよ。
松下理論として千島学説として、いまだに論争が行われているのがその証拠です。
まだ「決着が付いていない」のです。
それは、この国会で取り上げられ、公開実験で白黒つけることを拒否した厚生省と医師会が「逃げた」からでしょう。
何から逃げた?
真実からでしょう・
自分が正しいと思うものがなぜ白黒つける実験をしたがらないの?
かえってやりたがるのが本当でしょう。
世の中すべてそうですね。
自分の身の潔白を証明したいという望みがあるわけです。
そして、その証明によって
権威もお金も入ってくる職業もある、医学界などはそのよい例かもしれないのに、それを「したがらない」。
ということは
自分側に否があるという認識があるからでしょう。
否を認めたくない、ゆえに、白黒つけたくない、うやむやにしたい。
これじゃあ、科学でもなんでもないですよ。
ただの権力の維持、お金の為と言われても・・・・
そんな科学でもなんでもない医学が癌対策に莫大な国税を使って、癌治療を続けてきたなら、どうなるでしょうか?
それは誰もが否定できない事実。
40年前の国会証言の時期から「癌死亡」が増えただけという結果です。
委員長発言より
ただいまの齋藤君の御意見につきましては、委員長は各理事と、また、各委員の方々と十分御相談をし、
大きく推進をしてまいりたい
というように思います。
これを今日まで封印してきたんだから、
この発言どおり40年後の今、果たして貰いたいものです。
賛同されたなら、多方面に働きかけましょう。 ね。
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