わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

君たちは選んではいけない(医療の選択権)のだ、メニューはひとつ、ニッポン、アチャチャ~

2015年08月06日 | 医学と健康

どれどれ~~メニュー見せて

あれ、これひとつなの?
他にないの?

はい、当店ではメニューの選択はないのであります。

でも、外人さんは選んでいるじゃないか!

はい、アナタにほんじんアルネ。だから選択権はないのでアリンス。

なに~~、あれよく見れば他にページがあるじゃないか!
どうして見られないように糊をつけてあるんだ!?

アナタガタ、ニッポン 、メ~ジジダイ キメタアルネ♪

 

 というわけで、わが偉大なる聡明な民族国家、日本国では美しい国ニッポン!を目指して、明治の時以来、美しいのは西洋、汚いのはトウヨウ、ニッポンあるね  という事で、その臭い物にふたをしてシマッタようですね。

しかし、ほんとうは「臭い物にも味がある」(くさや等)のに、一律にふたをしてシマッタわけ。

そして、おれ、これも喰いたいんだけどねえ~~♪

と望んでも、「いやいや、そんなのイヤ」じゃないか!「それはダメですよ、そんな古くさい医療、もう捨て去ったんですから」と、それでも喰いたかったら自腹ですよ、こちら(西洋医療)なら、タダ同然(と言って始めたが金がかかりすぎて、いまや三割負担だが)と、香ばしい香りプンプンさせてきたもんだから、もう大衆ギョはそっちキメタと大はしゃぎ。

損なことで、いまや大衆ギョは西洋料理一辺倒というわけで、他の伝統食はメニューにも載せないで来たもんじゃ焼きだから、陰でコソコソ食べていようなら、追いチョット恋とばかり、新聞の見出しによく使われる「偽医療横行、国民は注意せよ!」と。

そりゃあ、幾つも偽物があるのは確か。だが、こういう手口は「偽物を捕まえて、本物まで偽物に思わせる」という古くからあるやり方。

損なこんなで日本国では正調音頭、いや正統医療は西洋医学と決められ、思わされてきたのです。

だから、もしそれに不満やこんなの食えないとかいう輩は、現代的村八分(社会制度的に)されてしまい、そんなのは非国民だとバカ理に「あたま可笑しいぞ」となってしまうのでございます。(まあ、中には本当に可笑しいのも居るからね 、あ!)

他のメニュー選ばせないという方策はほぼ成功したのですが、なんたって金かかり過ぎちゃって・・・
もう少し減らせないか・・な

なんてことで医療費抑制政策というのが近年横行(言葉使い習えよ)しまして、それが現場の医者達を苦しめているようで、なんと言っても気の毒なは現場のおいしゃ様なのかも知れません。

だって、まじめに医学教育(西洋医学一偏頭だが)をして、まじめに薬を信じて、そして、せっつく患者さんにそのお薬を出さねばならないというまさに古来から続いてきた医学の神の犠牲者なのかも知れません。

というと、患者さんが怒り出すこともあるので。

でも、「一番くすりを欲しがっているのは患者さん」というのが実態だと分かった日には、もう〈何も知らない〉とか「素人だから玄人にぜんぶおまかせ~♪」なんて「言い訳」はもう全然信用しなくなった今日この頃なのです。

 

おい!

まえがきが長すぎたかな・・・・・

 

 

 

松本英聖著  「21世紀の医学革命へ」より

※ご注意   1995年の本です。

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

33P
    「医療選択の自由」が全くない日本

 ところで、民族固有の伝承医学をあっさりと捨て、国を挙げて外来医学にドップリと浸かり込んだ民族は、世界広しと言えど日本民族ぐらいで、きわめて珍しいケースだ。


 お隣の韓国や台湾では、かつて日本に武力統治された時代には、西欧医学だけを正統医学として強制された。が、日本の敗戦(一九四五年)で彼らが独立すると、すぐに伝承医学(東洋医学)が復活し、東西両医学を併存させて、どちらの医学を選ぶかは個人の自由に任せている。中国もインドもそうだ。国民は自分の自由意志で自分の好む医療を選べる仕組みになっている。つまり、「医療選択の自由権」が政府によって保障されているわけだ。


 ところが、今の日本には〝医療選択の自由〟は全くない。

政府公認の正統医学は現代医学(西洋医学)だけだから、臨終のときはイヤでもそのやっかいになり、所定の手続き(死亡診断または死体検案)を経ないと葬式さえすぐには出せないと言う実に不便(というより不可解)な仕組みになっている。


 なぜ自分が選ぶ死に方ができないのか。


昨今話題になっている尊厳死や死ぬ権利の問題と併せて、とっくりと考えてみなければならない重要な課題であろう。とにかく医学は一つ(西洋医学)だけではないのだから……。



34P
     現代西欧医学は一つのローカル医学

 「みんなで渡れば恐くない」ーー、最近よく耳にする言葉であるが、日本人の集団行動心理を見事に言い表わしている。弥生以来の農耕稲作民族が四つの島でひしめき合って暮らしてきた日本人としては、みんなと同じ行動パタ-ンをすることが習性であり、それがまた安心感につながるわけだ。


 だから、世界人口の七五%がいまなおそれぞれの民族固有の伝承医学を頑なに守り続けていると言っても、まずピンとこない。


 むしろ、「古くさい伝統医療や、いかがわしい民間療法がいまだにはびこっているのは、彼らの社会が貧しく、教育や文化水準が低いからだ」というように受け取りがちだ。だが、これは日本人特有の集団意識であって、自分たちの仲間がやっていることは世界中に通用すると思い込んでいるだけ。医学でも、みんなが信用しているのだから間違いはない、しかも先進諸国でやっている医学だから世界最高の医学だと錯覚しているに過ぎない。


 だが、すでに見てきたように、世界には三大伝承医学をはじめさまざまな伝承医学が現存している。そこで、これらの医学の存在を謙虚に認めて尊重し、その医療を受ける権利を保障することが大切である。その意味で〝医療選択の自由〟とは、信教・思想の自由と同じ基本的人権の一つである。いずれの医学を選ぶかは個人の自由であり、決して他人がとやかく言うべき筋合いのものではない。


 現代医学を選ぶのも自由、東洋医学を選ぶのも自由、そして自らの意志で医療を拒否することも自由である。


このような〝医療選択の自由〟を保障する社会こそ、真の意味での民主国家であって、こうした社会の上に〝病なき世界〟は実現するのである。


 その展望と〝医療選択の自由権〟については、本シリーズ『松本英聖・医事論集 第二巻』(医学と生命)に詳しく述べたので、参照されたい。


 ともあれ国際化時代を迎えたいま、そして医学の多様化が国際的に承認されたいま、現代西欧医学はすでに少数派医学となり、やがて他の伝統医学と共に一つのローカル医学として位置づけられる日が近づいていることだけは知っておいて頂きたい。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

ツンボ桟敷に置かれた日本人

と言われても、何がそれなのか? 

選びようが無いじゃないか!

だってメニューに載せないんだもん~~~

 

いままではそれで通せた・・・

だが、いまや、その独占支配医療、西洋医学一偏頭の日本の医療が立ちゆかなくなって、もうお仕舞い寸前のところに来ている・・・と自覚する庶民は少ないだろうが・・・・時、

「当店はこれしかありません」じゃ、その店はそのうち閉店してしまうしかないでしょうね。

だって、金だけ取ってちっともおいしくも何ともない料理食わされてきたと、皆が気づいたら・・・

前に「医療幻想」という本を紹介しましたが、その幻想を作っている大基、大元はイッパンタイシュウですからね。

あちら側(医療産業全体)だけが幻想作っているのじゃありません。

むしろ、土台をしっかり支えてきたのがイッパンタイシュウです。
その幻想、夢がどのようにして打ち砕かれるのか?
それは個人の気づきはごく少数であって、

ボクはおそらく金だと思います。

金の切れ目が縁の切れ目

これが医療世界にも起こるのでは?
そう、意識の気づきじゃ遅すぎるというか、時間がかかりすぎるような・・

一気に変化するのは、金、金、カネじゃあ~~~

嗚呼、もの言えばフトコロ寂し♪

 

 

 

 

 

・・

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