鉄砲注射、というのをご存知だろうか。
僕の住んでいたところでは兄の代まで小学校の予防接種で使われていた注射で、
当時の子供界を震撼させた代物です。
ただ、どうも鉄砲注射は使用されていたエリア(都道府県)が限られているらしく、
誰に言っても知ってるわけではありません。
「注射」ってだけでも子供にしたら最悪の響きです。
僕なんかは、注射待ちの列から泣きながら戻っていく子供を見て怖くなり、
これより痛いんですか?と自問自答して思いっきり二の腕をつねったりしていたクチなので、
そこに「鉄砲」などという接頭辞がついたらもう殺人兵器を連想するしかありませんでした。
ウチの兄はその「鉄砲注射」の経験者で、常日頃からその恐ろしさを
僕に吹き込んでいました。
僕は兄を信じ、ワイドオープンな状態でその説明を受け入れていました。
「10メートルぐらい離れたところに医者が立ち、天井から機械が
ウイーンと降りてくる。先が拳銃のようになった注射器を向け、
何も言わずに突然撃ち込んでくるんや。
運がよかったら腕にささるけど、頭に刺さったやつもいる。ホント、医者次第。
外れても看護婦たちはクスクス笑うだけ。」
当時小2の僕は本気で怖くて落ち込んでいました。
「運良くて腕、って。。。普通外れるってことやん。。。!」
当然ながら、それは当時無数につかれていた兄のウソのひとつでした。
ちなみに、実際のところは本当に鉄砲のような形をしていて、
至近距離で打つ、と後年、知りました。看護婦も笑いません。
そして鉄砲注射の実施される4年生になるのが嫌で
真剣に悩んでいた3年生のある日。。。。。。!
引越しして免れました。
僕の住んでいたところでは兄の代まで小学校の予防接種で使われていた注射で、
当時の子供界を震撼させた代物です。
ただ、どうも鉄砲注射は使用されていたエリア(都道府県)が限られているらしく、
誰に言っても知ってるわけではありません。
「注射」ってだけでも子供にしたら最悪の響きです。
僕なんかは、注射待ちの列から泣きながら戻っていく子供を見て怖くなり、
これより痛いんですか?と自問自答して思いっきり二の腕をつねったりしていたクチなので、
そこに「鉄砲」などという接頭辞がついたらもう殺人兵器を連想するしかありませんでした。
ウチの兄はその「鉄砲注射」の経験者で、常日頃からその恐ろしさを
僕に吹き込んでいました。
僕は兄を信じ、ワイドオープンな状態でその説明を受け入れていました。
「10メートルぐらい離れたところに医者が立ち、天井から機械が
ウイーンと降りてくる。先が拳銃のようになった注射器を向け、
何も言わずに突然撃ち込んでくるんや。
運がよかったら腕にささるけど、頭に刺さったやつもいる。ホント、医者次第。
外れても看護婦たちはクスクス笑うだけ。」
当時小2の僕は本気で怖くて落ち込んでいました。
「運良くて腕、って。。。普通外れるってことやん。。。!」
当然ながら、それは当時無数につかれていた兄のウソのひとつでした。
ちなみに、実際のところは本当に鉄砲のような形をしていて、
至近距離で打つ、と後年、知りました。看護婦も笑いません。
そして鉄砲注射の実施される4年生になるのが嫌で
真剣に悩んでいた3年生のある日。。。。。。!
引越しして免れました。
こちらにお邪魔させていただくことになりました。
りさ(←30代)の友達は、大阪っ子(←30代)なのですが…鉄砲注射の経験者です。
でも、りさ(←九州出身)は、やったことありません。小学校のときに、集団予防接種は、経験ありますが…
てか、鉄砲注射って、危険ですね~
ココに書いてある内容は、とても参考になりました。
でも、なんと意っても当時に、運良く お引っ越しなんて…ほんまよかったですね♪
昔の記事にコメントがつくのは嬉しいことです。
兄は今でもこの怖さを語るぐらい怖かったようです。
本当に廃止されてよかった。
ちなみに僕は誰にでもあるはずのBCGの跡もないんですがこれっていいのかな。
私は現在34歳で北海道釧路市出身です。
周りにこの注射を知ってる人がまったく居なくて、自分の記憶を疑い始めた所だったので、とても嬉しかったです!
やっぱり存在したんだ~鉄砲注射。
ちなみに私も転校生をお兄さんのように脅した事があります←ひどい。
でも割りとこの注射が好きでしたよ。
あと私もBCG打ってません。
ツベルクリン反応(ツーハンって呼んでました)っていう注射で、免疫があると判断された子は打たなくて良かったはずですよ。、、確か。
きいろさん、コメントありがとうございます!また自分で自分のブログを読み返してしまいました。
1980年からは東京に住んでおり、鉄砲注射のことを周りに聞いてもだれも知りません。調べたところ、限られた期間・地域だけしか実施されていなかったのです。針の使い回しですよね。いろいろな意味で本当に怖い注射です(*_*;
末永く読まれているようで感動すら覚えます。
ちなみに兄は昭和47年生まれなのでショパンさんと同世代ですね。本当に今だったら考えられない注射です。
コメントありがとうございました!
こちらこそコメントありがとうございます。
つくづく謎の多い注射ですね。「あれは経験せなあかん」。。。深い言葉です。
もしかすると強盗に襲われて銃を突きつけられたときなど、この注射の経験がある人は冷静でいられて生き延びるかもしれない。。。!
今年最初のコメントをさせていただきます。
昭和50年前後、大阪府下某市ではありました。
薬液を交換してカラ撃ち(上に向けて一発ぷしゅ~っ!)した直後に注射される者が一番痛い、という伝説というかウワサがあり、順番を強引に代わる者が居たほど子供を恐怖に陥れていました。
ちなみに、私は左腕に注射された瞬間、左肘に電気が走ったような感覚があり、神経を傷つけられました。その後、数年間にわたり、左肘をポリポリ掻くと、右肘を掻いた時とは明らかに違う感覚(過敏)がありました。
個人的には昭和の遺物で博物館にでも実物と動画、それと廃止された経緯を展示して欲しいものです。
コメントありがとうございます。
延々と語り継がれる「鉄砲注射」のすごさを痛感します。いままででもっともリアルな状況描写、ありがとうございます。ここまでくると非常に貴重な「資料」ですね。
左ひじの違和感は数年で消えたのでしょうか。。よかったですね~
時を超えて同じように調べている人がいて、なんだかうれしくなってしまいました。
年齢だけでなく地域によっても、鉄砲注射の存在を知らない場合があるんですね。いろんな人に聞いてみたいです。
ちなみに私は34歳千葉県民、鉄砲注射経験者です。
書き込みありがとうございます。
30-35歳というのが鉄砲注射の生き証人のボーダーラインのようです。
しかしこう知らない世代がはっきりしているとその消え方もすごく徹底した感じがしますよね~ なんか怖い笑
小学校で受けたのですが、誰も知らないようなので、調べておりました。
自分の記憶では、かなり大きな機械で金属製アームの先に注射があったのですが。
でも、これです。普通の注射よりも痛くないと信じていましたが、こんなに問題のあるものだったとは。。。
懐かしい記憶が正しく修正できてよかったです。ありがとうございました。
私のこの話はちょうど昭和60年代の石川県金沢市の話なので、同じ時代ですね。
検索してもあんまりまともな情報が出てこないのも、なんか怖いですよね~笑