
パン好きにとって、パン屋を発掘するのはこの上ない楽しみの一つだ。
ひで氏です。
パン屋は美しい。
地域に根差して景色の一つとして街に溶け込み、
朝早くからパンの匂いで行き交う通行人を幸せにする。
当のパンも驚くほどの種類が世の中に存在し、それぞれの個性を競い合う。
それらのパンの命は花のように短いが、そんな儚くも美しいパンを焼く技術を持つ人間は敬意を込めて「職人」と呼ばれ、日々美しいパンを生産していくのだ。
お好み焼き屋の実力を計るのに必ず豚玉を注文する人のように、
私ひで氏も自分なりに新しいパン屋に出会うと試すパンがある。つまりその銘柄は大概どのパン屋に行っても存在するパン、ということだ。
それが「あんバター」だ。
いたってシンプルなパンだ。小さいフランスパンに切り込みがあり、そこにあんことバターが挟まっている。それだけだ。
月並みだが、シンプルなだけにすべてが赤裸々にさらされてしまう。あんこの甘味、バターのクオリティ、そしてフランスパンの味と固さ。ざっくりいうとそのあたりがよくわかるわけだ。
ふと出会った新たなパン屋さんで、先日もそうやっていつものようにあんバターを試した時だ。
残すところふたつとなっていたあんバターに私が手を伸ばすと、同じようにすぐ後に最後の一つを挟んだトングが視界に入った。
すでに二つしかなかった時点で良いサインだと思っていた私ひで氏は、トングの持ち主を見てこのあんバターへの期待を深めた。
なぜならそれはどう見てもこのパン屋さんにしょっちゅう訪れているであろう、とても品の良さそうな初老の女性だったからだ。
地元に愛されるパン屋、そこに通う貴婦人。そんな大人しそうな人が、無くなりかけたあんバターに急いで手を伸ばす。
これは間違いなく美味しいあんバターなのだ。
こうなると他のパンもいくつか試したくなる私ひで氏、パン屋でありがちな「必要以上に買い込む」現象に陥っていると、そのご婦人は案の定レジのお姉さんに「○○です、お願いしてた食パンもお願いします」と言った。やはり常連なのだ。
レジのお姉さんと談笑する様子もとても柔和で好感のもてる人で、最後は「ごめんください」と軽く会釈し店を後にした。
こういう年の取り方は素敵だなぁと思わせるご婦人であった。

アランスミシーバンドのお客さんがみんな素晴らしい人なのと同じように、いいパン屋にはいいお客さんがいるのだ…などと考えながら、早速買ってきたあんバターを食べてみるととても美味しかった。
先に述べたように、パンの種類は同じでも、店の個性がある。それをあんバターのような差別化しにくいパンでどう表現するか、それが見たいわけだ。
この店のあんバターのあんこはとても優しい味だ。まろやかで、柔らかい。
しかしそれに反するように、フランスパンの部分がものすごく固い。普通のフランスパンよりも、何かこう、挑戦的に固い。
両手でしっかりパンを挟み込み、大きく口を開けて噛んで行かなければあんやバターがはみ出てしまう。
それでもまだ歯が立たない。歯に込めるパワーを上げる。
やがてパンを支える両手だけでなく、顔も震え出し、気が付けば鬼の形相であんバターを食べている自分に気付いた。
そうしてやっと一口目が千切れた。一口目でこれだ。最後まで行こうとすれば、両腕と後頭部の筋肉痛は避けられないし、ミクロレベルでの歯の欠損も避けられないだろう。
やるじゃぁないか…
パン切り包丁で切れば良いではないか。そんな声が上がるかもしれない。違う。違うのだ。
これこそがあんバターに対する礼儀作法ともいえる食べ方なのだ。
そう思った瞬間、あのご婦人を思い出した。
彼女の好物でもあろう、この店のあんバター。いったいあの清楚なご婦人はどうやって食べているのだろうか。
よもや包丁でカットして…
いや、一瞬でもそんな風に思った自分を恥じた。
食パン個人オーダーまでするほどである、よほどのパン好きとお見受けした。
もちろん彼女も正式作法に決まっている。
こんな感じで。

ひで氏です。
パン屋は美しい。
地域に根差して景色の一つとして街に溶け込み、
朝早くからパンの匂いで行き交う通行人を幸せにする。
当のパンも驚くほどの種類が世の中に存在し、それぞれの個性を競い合う。
それらのパンの命は花のように短いが、そんな儚くも美しいパンを焼く技術を持つ人間は敬意を込めて「職人」と呼ばれ、日々美しいパンを生産していくのだ。
お好み焼き屋の実力を計るのに必ず豚玉を注文する人のように、
私ひで氏も自分なりに新しいパン屋に出会うと試すパンがある。つまりその銘柄は大概どのパン屋に行っても存在するパン、ということだ。
それが「あんバター」だ。
いたってシンプルなパンだ。小さいフランスパンに切り込みがあり、そこにあんことバターが挟まっている。それだけだ。
月並みだが、シンプルなだけにすべてが赤裸々にさらされてしまう。あんこの甘味、バターのクオリティ、そしてフランスパンの味と固さ。ざっくりいうとそのあたりがよくわかるわけだ。
ふと出会った新たなパン屋さんで、先日もそうやっていつものようにあんバターを試した時だ。
残すところふたつとなっていたあんバターに私が手を伸ばすと、同じようにすぐ後に最後の一つを挟んだトングが視界に入った。
すでに二つしかなかった時点で良いサインだと思っていた私ひで氏は、トングの持ち主を見てこのあんバターへの期待を深めた。
なぜならそれはどう見てもこのパン屋さんにしょっちゅう訪れているであろう、とても品の良さそうな初老の女性だったからだ。
地元に愛されるパン屋、そこに通う貴婦人。そんな大人しそうな人が、無くなりかけたあんバターに急いで手を伸ばす。
これは間違いなく美味しいあんバターなのだ。
こうなると他のパンもいくつか試したくなる私ひで氏、パン屋でありがちな「必要以上に買い込む」現象に陥っていると、そのご婦人は案の定レジのお姉さんに「○○です、お願いしてた食パンもお願いします」と言った。やはり常連なのだ。
レジのお姉さんと談笑する様子もとても柔和で好感のもてる人で、最後は「ごめんください」と軽く会釈し店を後にした。
こういう年の取り方は素敵だなぁと思わせるご婦人であった。

アランスミシーバンドのお客さんがみんな素晴らしい人なのと同じように、いいパン屋にはいいお客さんがいるのだ…などと考えながら、早速買ってきたあんバターを食べてみるととても美味しかった。
先に述べたように、パンの種類は同じでも、店の個性がある。それをあんバターのような差別化しにくいパンでどう表現するか、それが見たいわけだ。
この店のあんバターのあんこはとても優しい味だ。まろやかで、柔らかい。
しかしそれに反するように、フランスパンの部分がものすごく固い。普通のフランスパンよりも、何かこう、挑戦的に固い。
両手でしっかりパンを挟み込み、大きく口を開けて噛んで行かなければあんやバターがはみ出てしまう。
それでもまだ歯が立たない。歯に込めるパワーを上げる。
やがてパンを支える両手だけでなく、顔も震え出し、気が付けば鬼の形相であんバターを食べている自分に気付いた。
そうしてやっと一口目が千切れた。一口目でこれだ。最後まで行こうとすれば、両腕と後頭部の筋肉痛は避けられないし、ミクロレベルでの歯の欠損も避けられないだろう。
やるじゃぁないか…
パン切り包丁で切れば良いではないか。そんな声が上がるかもしれない。違う。違うのだ。
これこそがあんバターに対する礼儀作法ともいえる食べ方なのだ。
そう思った瞬間、あのご婦人を思い出した。
彼女の好物でもあろう、この店のあんバター。いったいあの清楚なご婦人はどうやって食べているのだろうか。
よもや包丁でカットして…
いや、一瞬でもそんな風に思った自分を恥じた。
食パン個人オーダーまでするほどである、よほどのパン好きとお見受けした。
もちろん彼女も正式作法に決まっている。
こんな感じで。

ご婦人が総入れ歯でないことを祈ります(笑)
爆笑とれて嬉しいです。あんバターはどんな高貴な人も鬼の形相にする罪なパンです!それで歯が飛び出たらもう修羅場ですね!
代わりのない永久歯を犠牲にしてまで作法を重んじるヒデ氏に日本人の美学を見ました。
永久歯と引き換えに…笑
あんバターは外注部分も多いのでそこでも店のスタンスがわかるんですよねーバターとかそのままなので差が出ますよね!