Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

嵐のあとで

2024-09-03 11:12:10 | 滞在記(6/2024~)
台風シーズンの到来。
猛威をふるった台風10号がやっと熱帯低気圧になり、ほっとしたのも束の間、次々と台風の赤ちゃんが生まれています。
 
早朝、出勤前にふと海のほうを見たらどこか不思議な眺め。
車で迎えに来てくれた職場の人が「雨が降ってるんだよ」と教えてくれました。
 
実際に雨が降っていたかはともかく、私は三好達治先生の有名な詩「Enfance finie」のあの一節を思い出しました。
 
〜空には階段があるね〜
 
 
<Enfance finie>
 
海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。
鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。
 
約束はみんな壊れたね。
 
海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。
 
空には階段があるね。
 
今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。
 
僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。
 
✴︎
 
 
この詩から私が頭の中で思い描いていた「階段」のイメージは、雲の隙間から差し込む陽の光でした。でも、この眺めを見た瞬間に「Enfance finie」と思ったのです。
 
「Enfance finie」とはフランス語で「過ぎ去りし少年時代」という意味だそうで、この詩は、少年の日との別れを謳っているそうです。傷つきやすい思春期の思いを表現したとても素晴らしい詩だと思います。
 
しかし今の私には、世知辛い現代社会を謳っているようにも聞こえます。サラリーマンの哀歌とでもいうのでしょうか。テレビやネットの報道でも、コンプライアンスやハラスメントでがんじがらめになった内容が日を追うごとに増しています。
 
多様性社会といえども、やはり根性と忍耐は必要不可欠。
 
 
そういえば、コンクリートの間から百合が顔を覗かせていました。最初に気がついたときは蕾だったのですが、次に前を通ったときは見事に花を咲かせていました。
 
 
「百合のように生きる」と言うと、まるで「優雅に美しく、そして気高く生きる」という風に聞こえますが、しかしこの美しくも逞しい百合の姿に私はとても感動しました。
 
この百合が私に教えてくれたレジリエンス。
強くたくましく、そして柔軟にしなやかに生きるということ。