Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

誕生日の前に思うこと

2024-09-27 08:35:31 | 雑記

数年前に姉を病気で失いました。

私と姉は8歳違い。可愛がってもらった記憶などは特になく、妹に対してモラハラ全開の姉でした。そんなモラハラな姉が、乳がんを発病しました。姉は独身で、仕事一筋の人だったので仕事仲間の男性が数人いるだけで女友達などはおらず、すでに両親も他界しているので家族と呼べるのも私だけでした。

そんな姉が、自分の誕生日の夜に電話をしてきました。お互いの誕生日を祝うような仲でもなかったので、本人に言われるまで、その日が姉の誕生日だと気が付かなかったくらいです。

電話の内容は、「胃が重くて苦しい。たぶん癌の何かだと思う。だから救急車を呼ぼうと思う」というものでした。時計を見ると深夜12時過ぎ。

近所の病院に一旦救急搬送され応急処置。翌日に掛かりつけの病院に移動。即入院手続き。そして手術。医者の見通しも不明瞭なまま病状は日を追うごとに悪化。

ある日、驚いたことに「外泊許可」がおりました。本人の希望によるものでしたが、あの容体でよく許可がおりたものです。私が必ず付き添うというのが外泊許可の条件でした。

すでに入院してから1ヶ月が経過おり、気がつけば毎日姉の病院に通い、2時間ほど共に過ごす日々。そしてついに、仕事中に病院から連絡がきました。

「本人には内緒で、先生から妹さんにお話があります。明後日の13時、直接外来の方へ来てください。くれぐれも本人には内密でお願いします。」

すぐに余命宣告だとわかりました。

医師からの宣告は、余命1ヶ月。

すぐに本人が前々から希望していた辻堂のホスピスへ転院の手続きを取りましたが、あいにくその段階では満室。どうしても生まれ育った茅ヶ崎に帰りたいと本人が言うので、茅ヶ崎近辺の一般病棟でホスピスの空きを待つことにしました。しかしGWに突入。本人に余命は伝えていませんでしたが、「転院」という言葉からすべてを察しているようでした。

姉はその後、2日間だけ元気を取り戻しました。なんせ早朝に電話をしてきて、「朝マック買ってきて」などと言うほどです。

          ~このカモメがなんとなく姉に似ている。(笑)

しかし元気だったのも束の間、容体は急変。起き上がることも出来なくなりました。どう考えても転院の日までは持ちそうもありませんでした。すぐに転院の手続きをしてほしいと病院に申し入れましたが、

「GW中なので手続きは難しいです。もし仮に、こちらが送り出せたとしても、相手先の病院が受け入れてくれません。」とのこと。そう説明してくれた若い看護師の目が涙で潤んでいるのを見て、それ以上は何も言えなくなりました。

「帰るね」と姉に伝えると、「今日はありがとうね」といつもなら言うはずのところを、「いつもごめんね。いつもありがとうね」と姉は答えました。それが私が聞いた姉の最後の言葉になりました。

翌朝、病院から危篤との連絡があり、それから3日間昏睡状態が続き、姉はそのまま息を引き取りました。

葬儀を終えても、姉が経営していた会社の解散手続き、マンションの引き払い、諸々の雑用で目まぐるしい毎日でした。そんな折、姉の元同僚の方と食事をする機会がありました。そのときにその人が私に言ったのは、

「外泊許可が出たとき、誕生日祝いをしてあげたんでしょ。妹が誕生日祝いをしてくれて嬉しかったってメールがきたよ。」

その言葉を聞いてハッとしました。

外泊許可が出たとき、電車の中で「今夜は私がご馳走するね。1カ月遅れの誕生日祝い。」と言った記憶がありました。しかし、都内の病院からマンションのある横浜に着く頃には姉はかなり疲弊しており、とてもレストランでお祝いをするような状態ではありませんでした。

それでもどうしても夕食を食べに行くと言い張るので、半ば呆れながらレストランへ連れていったのです。当然ながら食事などできるはずもなく、サンドウィッチだけ注文しました。

「お誕生日おめでとう」とお水で乾杯。

姉は、お水の入った自分のグラスを少し笑みを浮かべながらしばらく眺めていました。今でもその時の姉の様子をよく憶えています。わざわざメールで友人に知らせるほど嬉しかったのか…、そう思ったらさすがに涙が溢れました。

あれから私は何度か誕生日をむかえています。誕生日をむかえるたびに、黙って水の入ったグラスを見つめていた姉の姿を思い出します。

最後の誕生日になるかもしれない、そんな姉の覚悟。

子供の頃から苦手だった姉ですが、キャリアウーマンとして強く生き抜いた姿には今でも尊敬の念を抱いています。たまに姉は意外な言葉を漏らしました。病床でも同じことを言いました。

「私はあなたが羨ましい。私は石橋を叩いてからじゃないと渡れないタイプだから。あなたのように一気に橋をかけ渡ることは絶対に出来ない性格だから」

「でも私は、途中でその橋が壊れて転落した経験が何度かあるけどね」と私が笑って答えると、姉も笑って、「それでもたまたま通りかかった人に助けてもらってちゃっかり向こう側に渡ってるでしょ」

思わず2人で大笑い。私たちの笑い声が廊下まで聞こえたらしく、「楽しそうね」と看護師さんが笑顔で覗きました。今となっては懐かしい思い出です。

 

もうすぐまた私は誕生日をむかえます。両親の分も、姉の分も、私は生きていろいろな世界を見てこよう。遊んで、学んで、食べて、眠って。

元気なおばあちゃんになることをここに誓います。(^-^)