Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

私の日常 in USA

2024-11-09 14:00:38 | 雑記

前回の投稿で、現在の日本での滞在先について記したので、せっかくだから今回はアメリカでの滞在先について記してみようと思います。

私が滞在するのはハドソン川に近いニュージャージー州の町です。小さくて治安の良い住宅街。こちらはちょうど今の季節の近所の風景です。

アメリカではあまりやることもなく、散歩するのが日課のひとつ。足元の落ち葉を踏みしめながら手を後ろに組んで歩いていると、気分だけは文学者か哲学者のよう。

 

下の画像はこの町のメインストリート。秋の始まりの頃に撮ったある雨上がりの日。私の滞在先のアパートもこの通りに面した場所にあります。

そしてこちらが近所のベーグル屋さん。

日曜日の朝、BFと買いに行くころにはショーケースはガラガラ。好みのベーグルを選んで生ハムやスモークサーモン、クリームチーズなどを挟んでもらいます。

買いに来ているのは男性ばかり。

すぐ近くにはセブンイレブン。

セブンイレブンのコーヒーがお気に入りで、わざわざ買いに行くこともしばしば。紙コップのサイズもアメリカン。

ドーナツも売っています。

天気の良い平日の午後などは、コーヒーとドーナツを買い込んで、本を持ってお気に入りのベンチに行ったりもします。

ここは貨物列車の駅なのですが、なんの堺もなく自由に出入りできます。このベンチに座ってコーヒーを飲んだり、本を読んだり。滅多に貨物列車が通ることもなく、ホームの端ではデッキチェアを持参した老人が日光浴をしていることも。

このベンチでの時間を楽しめるのはごく僅かな期間だけで、暑い夏は早朝もしくは夕方だけだし、寒い冬は昼間でも凍えてしまいます。そうなると部屋で過ごす時間が増えてきます。

 

常に一緒のダルメシアンのぬいぐるみ。今も私の部屋にいますが、一度だけどうしてもスーツケースに入らず、ひとりアメリカで越冬の経験あり。まるで『南極物語』のような話です。

部屋で過ごす日は、セブンイレブンで買ったドーナツを食べながら、本を読んだり、クリスマスカードを書いたり。

近くにダンキンドーナツもありますが、私は俄然セブンイレブン派。一番美味しいのはシナモンロールだと思うのですが、でも私はこのピンクのドーナツがお気に入りなのです。

こちらは近所の郵便局。

この日は、日本の友人知人宛にクリスマスカードの投函に行きました。

 

橋の上から見た眺め。右側が私が滞在する街です。私の後ろ側にハドソン川、その向こうがマンハッタンになります。しかし、この橋の反対側を歩くことがないため画像はありませんでした。

私にとって、アメリカが旅先なのか、それとも日本各地が旅先なのか、そもそも旅というのはどういうものなのか、この旅に終わりはあるのか。そんなことをふと考えるときがあります。

自分で自分の人生をデザインするということ。

計画し、図案し、さまざまな工夫を施し、納得のいく人生を自分の手で仕上げていく。

私の旅はまだまだ続きそうです。

 


秋に観たくなる映画 #02

2024-10-21 09:51:59 | 雑記

一番お気に入りの映画かもしれません。

2001年日本公開のドイツ映画『マーサの幸せレシピ』。ハリウッドがニューヨークを舞台にリメイクしていますが、私は俄然オリジナル派。オリジナルのほうが主人公の複雑な感情が描かれています。私が出会ったドイツ映画はこちらが2作目。ちなみに1作目は『クリスチーネ・F』でした。

簡単にこの映画の内容を説明すると、

ドイツのハンブルクを舞台にした心温まるヒューマンドラマ。腕は一流だけれど、人付き合いは苦手、仕事一筋に生きている女シェフ、マーサが、さまざまな人と交流していくなかで本当に大切なものは何かに気がついていく姿を描いています。

突然の事故で姉を失い、遺された姉の娘リナを預かることになったマーサ。

突然の母親の死を受け入れられない姪っ子。その子の叔母にあたるマーサの戸惑い、姪っ子に対する不器用な愛情…

そこへ登場するイタリア人のシェフ、マリオ。生真面目なマーサは、陽気なマリオを毛嫌いします。

私は10代の頃から「40歳になったら調理の資格をとってレストランを開こう」という漠然とした夢を思い描いていました。私が初めてこの映画を観たのは30代の時、仕事で忙しい毎日を送り、そんな夢は忘れていたときのことでした。

職種は違えど、”私が今もし姪っ子を預かることになったら"という目線でこの映画を観ていました。仕事をしながら姪っ子の世話は大変だけど、でも可愛いかもしれない…。そんな風に思ったものです。

映画の中には、レストランの厨房のシーンやマーサ宅のキッチンで作った料理などが出てきます。

寒さが映像越しに伝わってくるドイツの街の中で、温かさが伝わる料理の数々。上の画像はマリオとリナが作ったイタリア料理。美味しそうです。

私は40歳のときに10年以上勤務していた会社を辞めました。

そして飲食業界に2年勤務して、念願の調理師免許を取得。しかし、免許を取得したところで料理の腕が上がるはずもなく…。(笑)

それでも自分の店を開くつもりで、ワインの知識を得るためにワイン関係の仕事(フランス料理店)に就きました。そうこうしているうちにコロナ禍に突入。自分の店を開く前で良かったと心の底から思ったものです。

ワイン関係の仕事は多岐に渡り、様々な人と出会うことができました。日本の情勢に影響を及ぼす人々に会うことなどきっとこの先ないでしょう。

こちらの画像は、マーサとマリオが部屋でワインを飲む場面。

ドイツワインを飲んでいるのか、イタリアワインを飲んでいるのか、ちょっと気になります。イタリアンを食べていたからイタリアワインでしょうか。

現在、私は縁あってホテルの調理場に勤務しています。

調理師としてずいぶんと遅いスタートになりました。しかし、学びに遅いということはなく、そして学びに終わりはないはずです。ワイン関係の仕事をしていたときはフレンチがメインでしたが、今後は会席料理を中心に和食を学んでいくつもりです。

ちなみにこの映画のDVDを入れた荷物を船便でアメリカに送ったら、ものの見事に途中で紛失されました。そういえばそうだったと思い出し、先日あらためてDVDを購入しました。

 

 


かぼちゃがいっぱい

2024-10-08 13:01:34 | 雑記

もうすぐハロウィンです。

今の私の周りではコンビニエンスストアに少しカボチャのお菓子が並んでいる程度なので、アメリカのハロウィンを思い出して気分を盛り上げることにしました。

こちらは、ご近所のハロウィン飾り。

ライトアップされた夜も迫力満点ですが、昼の太陽の下でも楽しさ満載です。ある秋晴れの日、ハロウィン飾りを眺めながらご近所を散策しました。

そこで骸骨カップルの結婚式に遭遇。

あらー。どうぞ末長くお幸せにー。

あ!あの骸骨は昼間から飲んでる!

かなりベロベロなご様子…。すでにボトルも空ですしね。(笑)

スーパーもハロウィン全開。

ニューヨークの Union Square Greenmarket にもカボチャの店が登場していました。

カボチャというのはこんなに種類があるのか、としみじみ。

ボストンのスーパーマーケットの外には大きなカボチャがゴロゴロと。

同じ頃、ボストンのチャイナタウンでは…

ワーオ。ランタンがいっぱい!

なんて幻想的なのでしょう。

一昨年(2022)の10月に撮影したものです。

うっすらと霧の出ていた雨上がりの夜。あまりにも美しくて、しばらくうっとりと眺めてしまいました。

こちらはニュージャージー州のフレンチタウンです。【大好きな街 ~Lambertvill~ - Don’t Dilly Dally (goo.ne.jp)】の中で書いたもう一つお気に入りの街です。

初期の入植者がフランス語を話していたため「フレンチタウン」と呼ばれるようになったとか。ランバートビルと同様にデラウェア川沿いにある可愛らしい街です。

ハロウィン色に染まったフレンチタウンの一角。

秋を彩る午後のひとときでした。

こちらはボストンのパブリックマーケットで購入したハロウィン限定の可愛いドーナツ『フランケンシュタイン』。

このドーナツはBFとシェアしたのですが、彼は頭からナイフで真っ二つに切りました。まあ他に切りようもないですけどね。(笑)

 


なつかしい街、横浜

2024-10-04 13:13:31 | 雑記

就職して最初の勤務地が横浜でした。

22歳の時の話です。そこで知り合ったのが、私と同い年のFさん。お互いの気持ちを知りながら、結果的には結ばれることはありませんでした。周りからはゴールデンカップルと言われていたのにね。(笑)

あの時、お互いにもう少し素直になっていたら、もう少し勇気を持っていたら、そんな風に思うこともあるけれど、今となっては若き日の切ない思い出。きっと貴方もすっかりオジサンになっているだろうね。

 

私も昨日、52歳の誕生日をむかえました。

大好きな横浜で、自分で自分のお祝いを一人ですることにしました。朝、目が覚めるとアメリカ在住の現在のBFからバースデーメール、そして従姉や友達からも可愛らしいバースデースタンプやメッセージが送られてきました。

私が生まれた年のロマネコンティ。もちろん空き瓶。(笑)

今年のバースデープランは、秋物の洋服をいっぱい買って、美味しいランチを食べて、美味しそうなお菓子を買うぞ!というもの。いかんせん今はとても不便な場所に滞在しているので、それだけでも充分にご褒美なのです。

そして何よりも嬉しかったのが、私がこのブログを始めてすぐにコメントをくださり、それ以降も親しくさせていただいているシャインさんが仕事中にわざわざ会いに来てくださったこと。

ほんの少ししかお話出来なかったけれど、とても楽しく気さくな方で、まるで前々からの知り合いみたいでした。ぜひ次回はゆっくりお会いしましょうね。

シャインさんとお別れしたあとは、予約していたレストランへ。

今年はイタリアンのフルコースランチ。一人で自分に乾杯!

秋らしいコースメニューに舌鼓を打ちながら、「あ!シャインさんと写真撮ってないや!」と気がつきました。あーあ。

以前に住んでいたこともある横浜の街。懐かしい思い出がいっぱい詰まっています。

一時期、ちょっとハマっていたのが、中華街で鑑定してもらう算命学。ものすごーく言い当てる鑑定士とぜんぜん的外れな鑑定士と、当たり外れはあるけれど、共通して言われたのが、「あなたは海外に縁があります。」

なるほど。

そして横浜といえば、やはり家系ラーメン。

これがまた当たり外れがあり、美味しくない店のものは本当に食べられたものではないですが、美味しい店のものはちょっとクセになります。

そういえば、ニューヨークにも家系ラーメンの店がありました。その名も『E•A•K』。私は食べたことがないのですが、アメリカ人の口に家系ラーメンは合うのでしょうか。気になるので次回は食べてきます。

港町横浜。

開港祭の花火を見たり、年越しに一斉に響き渡る汽笛の音を聞いたり、その時々で違う相手だったり一人だったり、仕事してたり、どれもみんな良い思い出です。

来月末にアメリカからBFが遊びに来ます。予定の中に横浜中華街も入っているので、きっとまた新しい思い出が増えるでしょう。

 

こちらは、シャインさんからいただいた紅茶と自分で買ってきたお菓子です。

次の休日は、紅茶とクッキーを楽しみながら読書をする予定。

 


誕生日の前に思うこと

2024-09-27 08:35:31 | 雑記

数年前に姉を病気で失いました。

私と姉は8歳違い。可愛がってもらった記憶などは特になく、妹に対してモラハラ全開の姉でした。そんなモラハラな姉が、乳がんを発病しました。姉は独身で、仕事一筋の人だったので仕事仲間の男性が数人いるだけで女友達などはおらず、すでに両親も他界しているので家族と呼べるのも私だけでした。

そんな姉が、自分の誕生日の夜に電話をしてきました。お互いの誕生日を祝うような仲でもなかったので、本人に言われるまで、その日が姉の誕生日だと気が付かなかったくらいです。

電話の内容は、「胃が重くて苦しい。たぶん癌の何かだと思う。だから救急車を呼ぼうと思う」というものでした。時計を見ると深夜12時過ぎ。

近所の病院に一旦救急搬送され応急処置。翌日に掛かりつけの病院に移動。即入院手続き。そして手術。医者の見通しも不明瞭なまま病状は日を追うごとに悪化。

ある日、驚いたことに「外泊許可」がおりました。本人の希望によるものでしたが、あの容体でよく許可がおりたものです。私が必ず付き添うというのが外泊許可の条件でした。

すでに入院してから1ヶ月が経過おり、気がつけば毎日姉の病院に通い、2時間ほど共に過ごす日々。そしてついに、仕事中に病院から連絡がきました。

「本人には内緒で、先生から妹さんにお話があります。明後日の13時、直接外来の方へ来てください。くれぐれも本人には内密でお願いします。」

すぐに余命宣告だとわかりました。

医師からの宣告は、余命1ヶ月。

すぐに本人が前々から希望していた辻堂のホスピスへ転院の手続きを取りましたが、あいにくその段階では満室。どうしても生まれ育った茅ヶ崎に帰りたいと本人が言うので、茅ヶ崎近辺の一般病棟でホスピスの空きを待つことにしました。しかしGWに突入。本人に余命は伝えていませんでしたが、「転院」という言葉からすべてを察しているようでした。

姉はその後、2日間だけ元気を取り戻しました。なんせ早朝に電話をしてきて、「朝マック買ってきて」などと言うほどです。

          ~このカモメがなんとなく姉に似ている。(笑)

しかし元気だったのも束の間、容体は急変。起き上がることも出来なくなりました。どう考えても転院の日までは持ちそうもありませんでした。すぐに転院の手続きをしてほしいと病院に申し入れましたが、

「GW中なので手続きは難しいです。もし仮に、こちらが送り出せたとしても、相手先の病院が受け入れてくれません。」とのこと。そう説明してくれた若い看護師の目が涙で潤んでいるのを見て、それ以上は何も言えなくなりました。

「帰るね」と姉に伝えると、「今日はありがとうね」といつもなら言うはずのところを、「いつもごめんね。いつもありがとうね」と姉は答えました。それが私が聞いた姉の最後の言葉になりました。

翌朝、病院から危篤との連絡があり、それから3日間昏睡状態が続き、姉はそのまま息を引き取りました。

葬儀を終えても、姉が経営していた会社の解散手続き、マンションの引き払い、諸々の雑用で目まぐるしい毎日でした。そんな折、姉の元同僚の方と食事をする機会がありました。そのときにその人が私に言ったのは、

「外泊許可が出たとき、誕生日祝いをしてあげたんでしょ。妹が誕生日祝いをしてくれて嬉しかったってメールがきたよ。」

その言葉を聞いてハッとしました。

外泊許可が出たとき、電車の中で「今夜は私がご馳走するね。1カ月遅れの誕生日祝い。」と言った記憶がありました。しかし、都内の病院からマンションのある横浜に着く頃には姉はかなり疲弊しており、とてもレストランでお祝いをするような状態ではありませんでした。

それでもどうしても夕食を食べに行くと言い張るので、半ば呆れながらレストランへ連れていったのです。当然ながら食事などできるはずもなく、サンドウィッチだけ注文しました。

「お誕生日おめでとう」とお水で乾杯。

姉は、お水の入った自分のグラスを少し笑みを浮かべながらしばらく眺めていました。今でもその時の姉の様子をよく憶えています。わざわざメールで友人に知らせるほど嬉しかったのか…、そう思ったらさすがに涙が溢れました。

あれから私は何度か誕生日をむかえています。誕生日をむかえるたびに、黙って水の入ったグラスを見つめていた姉の姿を思い出します。

最後の誕生日になるかもしれない、そんな姉の覚悟。

子供の頃から苦手だった姉ですが、キャリアウーマンとして強く生き抜いた姿には今でも尊敬の念を抱いています。たまに姉は意外な言葉を漏らしました。病床でも同じことを言いました。

「私はあなたが羨ましい。私は石橋を叩いてからじゃないと渡れないタイプだから。あなたのように一気に橋をかけ渡ることは絶対に出来ない性格だから」

「でも私は、途中でその橋が壊れて転落した経験が何度かあるけどね」と私が笑って答えると、姉も笑って、「それでもたまたま通りかかった人に助けてもらってちゃっかり向こう側に渡ってるでしょ」

思わず2人で大笑い。私たちの笑い声が廊下まで聞こえたらしく、「楽しそうね」と看護師さんが笑顔で覗きました。今となっては懐かしい思い出です。

 

もうすぐまた私は誕生日をむかえます。両親の分も、姉の分も、私は生きていろいろな世界を見てこよう。遊んで、学んで、食べて、眠って。

元気なおばあちゃんになることをここに誓います。(^-^)