Don’t Dilly Dally

Maybe I’m a wanderer

共に駆け抜けた40代

2024-12-28 11:06:32 | 雑記

先日、ある人の訃報が私のもとに届きました。

そのある人とは、お世話になった人というより、おおいに迷惑を被った…という言い方のほうが私には正しいような人物でした。そしてその人の訃報を聞いて、同じようにその人から迷惑を被った女友だちのことを思い出しました。

彼女とは仕事先で知り合い、お互いに離婚した直後ということもあり意気投合。

ちょっとやんちゃな両親に育てられた私に比べて、お嬢様育ちの彼女。さらに元バレリーナという華やかさ。「ずっとバレエひと筋だったから仕事らしい仕事をするのは今が初めてなの」と語っていた彼女。

一緒にあちらこちらのカフェでいろいろなことを語りあいました。

上の画像は彼女のお気に入りの銀座のカフェ。この頃の彼女は「私は恋愛至上主義だから」と言い切り、フランス人の男性モデルと付き合っていたはず。

ある時は中目黒のスヌーピーカフェに行ってみたり。

「子供の頃からバレエのためにずっとダイエットしてきたから、今更ダイエットなんて真っ平」と言い切り、「日本の男は体型にこだわりすぎ。だから日本人の男なんてご免なのよね」という潔さ。

そしてまたある時は、「私は猛禽類が好きなの♡」とフクロウカフェに連れて行かれたりもしました。

自主的には絶対に行かない場所です。(笑)

ホー。

カフェの人の話によると、フクロウは夜行性だから昼間はずーっとウトウトしているとか。何番目かのフクロウなんてほぼ眠っていました。

確かによく見ると可愛いかもしれません。

母が飼っていた猫のスコティッシュホールドに少し似ています。そういえばこの時にも私がそう言ったら、「スコティッシュは耳が小さいからそう見えるだけだよ」と彼女に一刀両断されたっけ。(笑)

それでもこの日の彼女の楽しそうな姿は今も鮮明に記憶に残っています。

こちらも一緒に行った世田谷のカフェ。

ペーパーの日付が2017年となっています。

確かこの時、彼女は足を骨折して松葉杖をついていたはずです。この頃の彼女は少し情緒不安定で、「何をやっても上手くいかない」と不機嫌なことが多かったのですが、今思うと更年期だったのかもしれません。

ある冬の日、青山のレストランでムール貝をたらふく食べて、表参道のスタバでお茶していたときのこと。

私の何気ない一言が彼女の逆鱗に触れ、というよりも、私の何気ない一言が彼女をおおいに傷つけたらしく、この日を堺に彼女とは疎遠になりました。

その後もLINEで近況報告はときおりしていましたが、実際に会ったのはこの日が最後になってしまいました。

そして先日、

「久しぶり。◯◯さん、亡くなったらしいよ」と私がメールをすると、「久しぶり、その名前懐かしいね」とすぐに彼女から返信がきました。彼女は今はジュエリーの仕事をしており、すっかりキャリアウーマンが板についている様子。

「ところで今はどこの国にいるの?これ日本からのメール?」という彼女の一文に思わずクスリ。当時の私はといえば毎月のようにあっち行ったりこっち行ったり。その度にオシャレな彼女へのお土産に困っていたものです。

こちらは彼女のお宅で一緒に食べたイチゴ。

アスティエの食器とアンティークが大好きな彼女。

今は恋愛とも無縁とのこと。メールだけのやり取りでしたが、彼女は以前よりもどこかサバサバとしていました。ほんの数年だけれど、それでも月日は流れ、お互いに自分なりの生き方を見つけたのだと、あらためて思いました。

これが年内最後の投稿になります。どうぞ良い年をお迎えくださいませ。

 


私が見つけたもの

2024-12-05 13:07:43 | 雑記

アメリカから日本へ弾丸で来ていたBFを空港で無事に見送り、私が前回まで投稿していた『Welcome to Japan』シリーズは、未完を決め込むことにしました。

私たちの別れにはいつも涙やロマンスはなく、軽くハグをして「またね」とお互い笑顔。別れのたびに泣いていたら涙がいくつあっても足りません。

彼を乗せた飛行機を見送った翌日、私は生まれ育った茅ケ崎に立ち寄り、両親と姉のお墓参りをしました。数年ぶりの訪問を反省しながら、久しぶりに両親と姉に手を合わせました。

手を合わせながら、「そうだ。私もBFのように思い出の場所へ行ってみよう。」ふとそんな考えが頭に浮かびました。

翌日に向かった先は、大雄山の最乗寺。道了尊とも呼ばれる山の中にある静かなお寺です。

よく訪れたという意味の思い出の場所ではなく、幼い頃の記憶にのこっている場所で、訪れるのは少なく見積もっても、およそ45年ぶりになるはずです。

美しい紅葉と長い階段が私を出迎えてくれました。

私が二十歳くらいのとき、「大雄山のお寺に行こうよ」と両親を誘ったことがあります。しかし、すでに体を患っていた父からの返事は、「あそこは階段が多いから、今のお父さんの体では無理だよ。」というものでした。

それ以降、訪れる機会もなく、私の記憶からも薄れてしまった大雄山の最乗寺。

父の言葉を思い出す階段の多さ。健脚な私は難なく登れますが、体力の衰えていた父には確かに無理だったことでしょう。

階段を登りきると、幼かった私の心に大きな印象を与えた数々の下駄。

この光景だ。

まだ本当に幼かった私に両親が、「どの下駄なら履けるかな?」と笑いながら語りかけてきたのを覚えています。あれからいったい何年経つのでしょう…

私はいまだに自分の夢や望みを形にできずにいます。

計画を立てているようでいて、現実の形として具体的には何も描けておらず、ただ闇雲に日々を駆け抜けている気がします。今の私に必要なことは、もう少し長い目で事の成り行きを見ることかもしれません。つまり、幼いころから何も変わっていないということ。これが持って生まれた気質というのでしょうか。

そういえば、途中で天狗に出会いました。

烏天狗と山伏姿の大天狗です。

神通力を持ち、自由自在に飛び回ることの出来る翼を持つ天狗。

未来を見据え、聞く耳を持ち、天狗のように自由に自分の行きたい場所へ行く。私は相変わらず目標設定があいまいですが、深く静かな山の中にあるお寺の境内を歩きながら、そんなことを考えていました。

私が幼い頃から苦手としていたもの、それは努力。この努力という力を私は人よりも使っていないはずなので、きっとまだまだ余力はあるはずです。憧れや見栄ではなく、自分の実力相応のところに目標を持ち、そこを目指して努力をするということ。

これが、今回のBFとの再会、そしてこの長い連休の中で私が見つけたものです。

もう一歩の努力。

 

そういえば、我が家のお墓の前でどこかのネコが日向ぼっこをしていました。

私の代わりにお墓を守ってくれているのでしょうか。もしそうなら、これからもよろしくお願いしますね。

 


サンドウィッチあれこれ

2024-11-22 09:19:44 | 雑記

とても残念な知らせがありました。

ボストンパブリックマーケット内にあった私のお気に入りの店が閉店してしまったそうです。あの店のスモークサーモンのベーグルサンドがもう食べられないのかと思うと残念で残念で仕方ありません。

こちらがそのベーグルサンドです。

スモークサーモンの専門店で、注文をするとその場でベーグルサンドを作ってくれました。とってもお気に入りでした…。

しかし、同じマーケット内にオイスターサンドやロブスターサンドの美味しい店があるので諦めることにします。

気を取り直して記憶に残っているサンドウィッチをいくつか。

まずは王道、日本の玉子サンド。

こちらは藤沢駅の近くにある老舗の喫茶店で食べたものです。銀のお盆がレトロ。ふわふわのパンに優しい玉子のフィリングが郷愁を誘います。

店内もとてもレトロ。ドラマの撮影にも使われるというこちらの喫茶店、今もなお健在。店内にはインベーダーゲームもありました。この日は藤沢在住の従姉と来店。

そしてベトナムのバインミー。海外のサンドで私の一番のお気に入りはバインミーかもしれません。こちらはホーチミンで食べたもの。

ガイドブックに載っていた店で購入し、その後ちょっとしたハプニングに遭い、コーヒー豆専門店の店先で食べました。アイスコーヒーを出してくれたのですが氷が怖いので丁重に辞退。酢漬けとニョクマムとバゲットの絶妙なバランスがクセになります。

そういえば、日本でベトナムの男の子にバレンタインチョコをあげたら、お礼にバインミーを買ってきてくれたことがありました。あのバインミーも本当に美味しかった。

海外で癒されたのがカンボジアの空港にあるカフェのツナサンド。国内線がスコールで遅れて空港で足止めされたときに食べたものです。

ツナサンドを注文したら、お顔になって出てきました。

こちらの店員さんは最初から最後まで私を中国人だと思い込んでおり、「你好」から始まり、あえて私は日本語を使ってみたのですが、それでも最後は「謝謝」で終わりました。我是日本人。

こちらは韓国のカフェで朝食にオーダーしたもの。

味も美味しく、見た目も美しいプレート。

王宮の無料日本語ツアーに参加する予定だったのですが、食後のコーヒーを飲んでいるときに場所を間違えていることに気が付きました。慌てて目的地まで猛ダッシュ。よく脇腹が痛くならなかったものです。

しかも正門のチケット売り場から日本語ツアーの集合場所が遠いのなんの。チケット売り場の女性や掃除係の男性が「hurry!hurry!」と走り去る私に声援を送ってくれました。王宮の敷地内を駆け抜けながら、その広大さに朝鮮王朝の栄華を身をもって知ることができました。

こちらは日本で仕事先のお宅で昼食に出していただいた『まい泉』のカツサンド。

鮮やか。

そのお宅の運転手さんが買いに行ってくださり、お手伝いさんが盛り付けて出してくださいました。いつも箱からそのまま食べてしまう私とは大違いです。きっと『まい泉』のカツサンドも喜んでいたことでしょう。

ちなみに仕事内容は、そのお宅の地下にあるワイン庫の棚卸し。室温管理が完璧にされているワインの貯蔵室がご自宅にあることにも驚きましたが、その数の多さや内容にも驚きました。総額でいくらになるのかな、と考えてしまった私は所詮庶民です。

箱のまま食べるといえば、『大船軒』のサンドウィッチ。

こちらは電車の中で食べました。

私はわざわざ買って自宅で食べることはあまりありませんが、こうして電車に揺られながら食べるととても美味しい。さすが鎌倉ハムを使用しているだけのことはあります。

せっかく車内ゴハンの話になったので、サンドウィッチの番外になりますが最後にアメリカの電車アムトラックの中で食べたモーニングセット。

気分は「世界の車窓から」〜♪

でも反対側に目を向けるとビジネスマンだらけ。

皆さん忙しそうです。隣にいたBFも食事の前後はパソコンと睨めっこしていました。

 


小さな趣味 ~色紙で花をつくる~

2024-11-18 14:35:26 | 雑記

花というのは人の心を和ませます。野原や木々に咲く自然の花々が一番美しいですが、アレンジメントされた花もやはり美しいし、イラストの花や造花もやはり美しいです。

コロナ禍で外出自粛を強いられていた際に、イラストや写真を見ながら色紙を切ってA4サイズの黒い紙に貼って花々を作って遊んでいました。 ※生花の画像はネットからお借りしました

まずはバラ

やはり美しいです。情熱的な花言葉を数多く持つ真紅のバラ。

思い出すのはやはり『ベルサイユのばら』のオスカル・フランソワでしょうか。あとは『ポーの一族』。私は姉がいるので実年齢よりも上のアニメや漫画をよく見ていました。

簡単なように見えて意外と難しかったように思います。でも自分としてはお気に入りの作品となりました。

次に睡蓮

睡蓮といえば、やはり印象派の画家クロード・モネの作品の数々。モネは日本からフランスの自宅に睡蓮を取り寄せ、庭の池に浮かべて毎日何枚も睡蓮の絵を描き続けたと言われています。

モネをそこまで魅了した睡蓮を作ってみました。

自分がイメージしていた出来上がりにならず当時は失敗作だったのですが、最近見直したらこれはこれで良いような気がしてきた作品です。

次はフクシア

貴婦人のイヤリングとも呼ばれているフクシア。

私にとってフクシアは母の思い出のひとつです。母は貴婦人とは程遠い普通の女性でしたが、母が趣味のアメリカンフラワーで作ったフクシアがとても美しく、フクシアは幼なかった私のお気に入りの花となりました。

ふと思いましたが、私はフクシアの生花を見たことがないような気がします。どこかのフラワーガーデンで見ていたりするのかな…。

次は木蓮

母の思い出の花を作ったので、次は父の思い出の花です。

上を向いて花を咲かせる木蓮。私は紫色の木蓮が好きなのですが、父は白木蓮が好きで庭にも植えてありました。父が他界した頃、スターダストレビューの『木蓮の涙』が流行っており、思わず重ね合わせて聞いてしまったものです。

やはりこちらも簡単そうに見えて難しかった。

最後はパンジー

秋から冬にかけて花を咲かせるパンジー。寒さにも強く枯れては花を咲かせるパンジーは、前向きでひたむきな花言葉も多いです。

ちょっと時間をかけて作ってみました。

完成したときは本当に嬉しかった。もはや自己満足の世界です。

まだ数点あるのですが、長くなりそうなのでこの辺りでやめておきます。時間がないと作れないので今はちょっと無理ですが、来年アメリカで時間ができたら今度はアメリカンな色彩で遊んでみたいと思っています。

小さな趣味ですが、完成したときの自己満足度は大きく、私を幸せにしてくれます。そして思い通りに仕上がらなくても「あーあ」と笑顔でいられます。きっと趣味というのはそういうものなのかもしれませんね。

 


私の日常 in USA

2024-11-09 14:00:38 | 雑記

前回の投稿で、現在の日本での滞在先について記したので、せっかくだから今回はアメリカでの滞在先について記してみようと思います。

私が滞在するのはハドソン川に近いニュージャージー州の町です。小さくて治安の良い住宅街。こちらはちょうど今の季節の近所の風景です。

アメリカではあまりやることもなく、散歩するのが日課のひとつ。足元の落ち葉を踏みしめながら手を後ろに組んで歩いていると、気分だけは文学者か哲学者のよう。

 

下の画像はこの町のメインストリート。秋の始まりの頃に撮ったある雨上がりの日。私の滞在先のアパートもこの通りに面した場所にあります。

そしてこちらが近所のベーグル屋さん。

日曜日の朝、BFと買いに行くころにはショーケースはガラガラ。好みのベーグルを選んで生ハムやスモークサーモン、クリームチーズなどを挟んでもらいます。

買いに来ているのは男性ばかり。

すぐ近くにはセブンイレブン。

セブンイレブンのコーヒーがお気に入りで、わざわざ買いに行くこともしばしば。紙コップのサイズもアメリカン。

ドーナツも売っています。

天気の良い平日の午後などは、コーヒーとドーナツを買い込んで、本を持ってお気に入りのベンチに行ったりもします。

ここは貨物列車の駅なのですが、なんの堺もなく自由に出入りできます。このベンチに座ってコーヒーを飲んだり、本を読んだり。滅多に貨物列車が通ることもなく、ホームの端ではデッキチェアを持参した老人が日光浴をしていることも。

このベンチでの時間を楽しめるのはごく僅かな期間だけで、暑い夏は早朝もしくは夕方だけだし、寒い冬は昼間でも凍えてしまいます。そうなると部屋で過ごす時間が増えてきます。

 

常に一緒のダルメシアンのぬいぐるみ。今も私の部屋にいますが、一度だけどうしてもスーツケースに入らず、ひとりアメリカで越冬の経験あり。まるで『南極物語』のような話です。

部屋で過ごす日は、セブンイレブンで買ったドーナツを食べながら、本を読んだり、クリスマスカードを書いたり。

近くにダンキンドーナツもありますが、私は俄然セブンイレブン派。一番美味しいのはシナモンロールだと思うのですが、でも私はこのピンクのドーナツがお気に入りなのです。

こちらは近所の郵便局。

この日は、日本の友人知人宛にクリスマスカードの投函に行きました。

 

橋の上から見た眺め。右側が私が滞在する街です。私の後ろ側にハドソン川、その向こうがマンハッタンになります。しかし、この橋の反対側を歩くことがないため画像はありませんでした。

私にとって、アメリカが旅先なのか、それとも日本各地が旅先なのか、そもそも旅というのはどういうものなのか、この旅に終わりはあるのか。そんなことをふと考えるときがあります。

自分で自分の人生をデザインするということ。

計画し、図案し、さまざまな工夫を施し、納得のいく人生を自分の手で仕上げていく。

私の旅はまだまだ続きそうです。