Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

冬の気配

2024-11-08 14:45:47 | 滞在記(6/2024~)

東京では木枯らし一号が吹いたそうで。

長かった残暑がいよいよ終わりをむかえ、やっと気温も下がり始めて秋を実感するようになりました。朝目を覚ますと外はまだ暗く、なかなかベッドから出ることができません。

まず目覚めにベッドでコーヒーを飲むのが私の日課。

まだ薄暗いうちに出勤。もう少し冬に近づくと暗いなか出勤することになります。下の画像は昨日の朝の眺め。

朝焼けと雲。

そして今朝の眺め。海がキラキラと綺麗です。

今日は仕事が休み。

ちょっと職場に顔を出してから、ブランチ用にパンを買って帰ることにしました。歩いて行ける場所に素敵なパン屋さんが9月にオープンしたのです。

別荘地のなかに佇む小さなパン屋さん。

職場の人が「新しいパン屋さんができたよ」と教えてくれ、先日車で連れてきてくれました。

ご夫婦で経営している小さな小さなパン屋さんです。

今日で二度目の来店になりました。9時のオープンと同時に入店して、タルティーヌやフレンチトーストなど数点を購入。

こんな感じ。黒いのがチョコレート味のフレンチトースト。ちなみに前回は通常のフレンチトーストでした。前回はなかったイチジクのコンポート。こちらはイチジクの季節が終わってしまうので本日が最終販売になるそうです。

陳列棚はこんな感じ。前回に撮らせていただいたものです。

最近は職場の方が車で送り迎えしてくださるので歩くことが少なくなりましたが、職場までの道がこちら。

海が見えます。

そしてこちらがコンビニエンスストアまでの道。

この辺りはとにかく坂道が多く、夏の暑さのなかで歩くのはかなりな気合いと体力と根性が必要です。私はどれもあまり持ち合わせていないので、ほとんど外出しませんでした。(笑)

どこと繋がっているのかな、といつも思っていたこの道。

職場の人が仕事帰りに車でコンビニエンスストアへ連れて行ってくれたときに反対側から通ってくることができました。しかし複雑すぎて道順をあまり記憶していません。

この辺りはまるで迷路のようです。突然行き止まりになったり、獣道になったり。スマホのナビを見ながら歩いても、フツーに獣道を歩かされるので信用できません。

そんなことを思いながらパン屋の帰り道を歩いていたら、頰をパンパンに膨らませたリスが走っていきました。きっと巣作りをするのでしょうね。撮ろうとしたら逃げられてしまいました。

コイツならいつも撮らせてくれるのにね。

コイツ、私の顔を見ると「アホーアホー」って鳴くんだよな。

そういえば、アメリカのボストンで野生の七面鳥に遭遇したことがあります。

初めて見たとき、「なんだコイツは!!」とかなりビックリしました。ボストンは野生の七面鳥がよくやってくるらしく、街中を歩いている動画をBFが送ってくれたこともありました。

それにしてもデカい。

日本に来てあのアホガラスをやっつけてくれればいいのに。

あ、アイツにアホって言われてるのは私でしたね。アホは私か。まったくもう。

 


この土地を去るとき

2024-10-26 12:57:52 | 滞在記(6/2024~)

忙しい日々が続いています。

来年まで滞在予定この土地。職場環境に問題はなく、仕事にもやり甲斐を感じています。この土地を去るときがきたら、私はどのような気持ちになるのでしょう。少しの寂しさと次の土地への期待…といったところでしょうか。

帰る家を持たず、私はいつまで今の生活を続けるつもりなのか。しかし、私は現在52歳。一般的な考え方とは違うかもしれませんが、年齢を考えると「今」をどこの土地でどのように過ごすかというのは、私にとってとても貴重なことなのです。

毎朝眺めている朝焼けに染まる空と海。

ドイツの牧師、パウル・ゲルハルト作詞の古い讃美歌を思い出しました。思い出したと言っても、冒頭の部分とところどころの雰囲気だけで、決して暗記しているわけではありませんが…。

原題『Gu Die güldne Sonne, voll Freud und Wonne 』

(黄金色の太陽、喜びと幸いに満ちて)

黄金色の太陽は喜びと楽しみに満ち 
ままならぬ私たちは 
その輝きによみがえりのめぐわしい光を受ける
今こそ私たちは立ちあがって 
心ほがらかに晴れやかに 顔を上げて 空を眺める
神の救いとみめぐみは 私たちの心の耐えがたい痛みを癒し
私たちをこの世で またとこしえに やすらわせたもう 
十字架も苦しみも ここで終わりを告げ
荒れ狂う海も 立ち騒ぐ風もおさまって 
憧れの陽の光がここに輝く
満ちあふれた喜びと清らかな静けさ 
空の園生(そのお)で私の待つはそれ 
その地へと私の思いはこがれる

この讃美歌は、ヨハンナ・スピリ原作の『ハイジ』に出てきます。日本のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』でも朗読されていました。

私の記憶の中での『アルプスの少女ハイジ』は、私が小学校5年生の夏休みに再放送で見たものです。その年の夏、父が病に倒れて入院しました。父の見舞いに訪れた福島の伯父が、「夏休みなんだから福島においで」と、そのまま私を連れて帰ってくれたのです。

私が大人になってから聞いた父の話によると、「お前がまだ小学生で、そのことを心配していたら、”夏休みの間はうちで預かる。だから何も心配するな。”と福島の伯父さんが言ってくれたんだ。…だから福島の伯父さんには本当に感謝してる。」

福島で過ごした夏休み。

画像は昨年、アメリカから帰国直後に撮ったもの。伯父も伯母もすでに他界していますが、私にとっては第二の故郷と呼べる場所です。今も変わらない優しい風景。

ひとりで見ていた再放送の『アルプスの少女ハイジ』。懐かしいです。

きっと今のこの土地を去ったあと、懐かしく毎朝眺めているこの景色を思い出すことでしょう。

夜は沿岸の灯りが見えるのですが、朝でも目を凝らすと沿岸の家々が見えます。

そして海に浮かぶ一隻の船。静かな海。

〜荒れ狂う海も 立ち騒ぐ風もおさまって 
憧れの陽の光がここに輝く
満ちあふれた喜びと清らかな静けさ〜

ある日の午後、いつものように海を眺めていたら一羽の鳥が私の視界を横切っていきました。

 


私の半休の過ごし方

2024-10-06 10:39:40 | 滞在記(6/2024~)

最近ようやく秋らしくなってきたので、次の休日は部屋でゆっくりと過ごしたい気分。


この土地に滞在して今の仕事を始めてから、ほとんど決まった食材を食べるようになっていたせいか、ここ最近ずっと何か違ったものを私の体と心は欲しているようです。次の休みは、久しぶりに訪れた横浜で購入してきたお菓子とシャインさんにいただいた紅茶をいれて、部屋でのんびりと読書をしよう。秋の休日としては完璧なプランではないか、と思っていたら、残念なことにその日は午後から出勤となりました。

私の「秋の休日」の段取りはどこへやら。それなら行き当たりばったりの時間を過ごすことにしよう。午前中は休みだしね。

しかし悲しいかな、早々に目が覚めた。のんびり寝坊するつもりだったのに、身体はいつもの時間に目覚めてしまうようです。ベッドでコーヒーを飲んで、少しまったりしてから着替えてゴミ捨てへ。

ふと海の方に目をやると、朝焼けに染まった大島が見えました。

午前6時。綺麗な空。

ランドリールームの洗濯機に衣類を放り込み、部屋に戻って、前日に職場でいただいた秋刀魚の塩焼きで簡単に朝食。いよいよ味覚の秋の到来。

仕事は午後3時半から。軽く部屋の掃除と英語の勉強を済ませてから、前々から読んでいる本を再び開くことに。ちょっと別の本に浮気していたので、数ページ前から読み返すことにしました。

こちらは、私がいつも投稿を読ませていただいているみんとさんが以前、ご自身のブログで紹介していたものです。文豪・太宰治の娘である太田治子さんが父親と母親について書いたもの。私はその時、やはり太宰治の娘である津島佑子さんと勘違いしてトンチンカンなコメントを残しました。(笑)

太宰治の愛人、太田静子さんは『斜陽』のモデルででもあります。『斜陽』は太田静子さんの日記がもとになっており、そのまま引用されている部分も多々あるそうです。

実際は下曽我なのですが、小説の舞台は西伊豆。私は現在、伊豆半島に滞在しているのでマストな内容でもあります。

私は以前から文豪である太宰治の生き方が理解出来ませんでした。自殺願望の強さ、繰り返す自殺未遂、心中未遂で相手の女性を2人も死なせ、挙げ句の果てには別の愛人と入水自殺…。

しかし、娘の太田治子さんが執筆したこの本を読んで、少しだけ太宰治のイメージが私の中で変わりました。魅力的な人であったことは間違いなく、当時の小説家は自殺している人が多いですが、そんな彼らと同様に自分の哲学の結果の行為であり、とても弱い人だったということ。弱く危なげな男は魅力的ですしね。

あと数ページで読み終わってしまいます。映画でもそうなのですが、終わりが近くなると寂しくなります。所謂ロス状態。すぐに次の作品と出会うのですが、太宰治がすぐ次の女性と恋に落ちた?のは同じようにロス状態になっていたのでしょうか。

美味しい紅茶。

南国のフルーツの香りが心と体に沁み渡ります。仕事前の贅沢なひととき。

太田静子さんの日記に綴られた言葉、『…私は、太宰を通して太宰の作品の中で生きていくことになるだろう』

紅茶を飲みながら、『斜陽』という小説のなかに今も生き続けている太田静子さんのことをしんみりと考えました。

素敵な本との出会いをありがとう。そんな私の午前半休の過ごし方でした。

 


恋人岬にて

2024-09-13 05:51:53 | 滞在記(6/2024~)

先日、職場の友達と静岡県西伊豆の恋人岬までドライブをしました。

 

その日の明け方、不思議な夢をみました。

金縛りのように体が動かなくなり目を覚ました。すると暗いはずの部屋がとても明るいのです。そして体に何かが乗った重みを感じました。しかし、目も開けているし、部屋も明るいのに何も見えません。なぜか私は、13年前に亡くなった愛犬だと確信をし、愛犬の名前を呼びました。すると体がふっと軽くなり、そしてベッドの中に亡くなったはずの愛犬がいたのです。「会いに来てくれたの?ずっと気になってたんだよ」と半分泣きながら愛犬を抱きしめると、あの頃と同じように優しい目で愛犬も私に甘えてくれました。次の瞬間、愛犬は隣室におり、一度こちらを振り返り、そのまま歩いて壁の中に消えていきました。

夢か現実かと聞かれれば、たぶん夢だと思います。

私の愛犬はダルメシアンだったのですが、ベッドの中の姿が小さかったような気もするし、それに顔の黒ぶちの位置も微妙に違っていました。

しかしこの話を友達にすると、

「会いに来てくれたんだよ」と言ってくれました。

そんなことを語りながら恋人岬の展望デッキへ。

青い青い西伊豆の海。

この日の前日は母の命日でした。「もしかして、お母さんだったのかな…」と、ふと思いました。母も私の愛犬をとても可愛がってくれていました。もしかすると母が愛犬の姿で現れたのではないか、そう思ったのです。

海を眺めながらそんなことを考えていたら、若いカップルが楽しそうに展望デッキにやって来ました。邪魔しては悪いので我々オバチャマは退散です。

帰りの長い階段をのぼり、振り返るとそのカップルの楽しそうな笑い声がここまで聞こえてきました。

友達と顔を見合わせ、「良いことをしたね」と早々に立ち去ってきたこと自賛し合いながら思わずクスリ。

見ず知らずの彼らの幸せを願い、ついでに鐘も鳴らしておきましょう、ということで。

澄んだ鐘の音が青い海に響きわたります。

その清らかな音が心にスーっと染み込みました。ただの夢だったとしても、愛犬に再会できてとても嬉しかった。母と愛犬の最期には後悔があったけれど、そのどちらにも許されたような気がする。そんな風に思いました。

青い西伊豆の海から心地よい風が吹いてきました。

 


嵐のあとで

2024-09-03 11:12:10 | 滞在記(6/2024~)
台風シーズンの到来。
猛威をふるった台風10号がやっと熱帯低気圧になり、ほっとしたのも束の間、次々と台風の赤ちゃんが生まれています。
 
早朝、出勤前にふと海のほうを見たらどこか不思議な眺め。
車で迎えに来てくれた職場の人が「雨が降ってるんだよ」と教えてくれました。
 
実際に雨が降っていたかはともかく、私は三好達治先生の有名な詩「Enfance finie」のあの一節を思い出しました。
 
〜空には階段があるね〜
 
 
<Enfance finie>
 
海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。
鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。
 
約束はみんな壊れたね。
 
海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。
 
空には階段があるね。
 
今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。
 
僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。
 
✴︎
 
 
この詩から私が頭の中で思い描いていた「階段」のイメージは、雲の隙間から差し込む陽の光でした。でも、この眺めを見た瞬間に「Enfance finie」と思ったのです。
 
「Enfance finie」とはフランス語で「過ぎ去りし少年時代」という意味だそうで、この詩は、少年の日との別れを謳っているそうです。傷つきやすい思春期の思いを表現したとても素晴らしい詩だと思います。
 
しかし今の私には、世知辛い現代社会を謳っているようにも聞こえます。サラリーマンの哀歌とでもいうのでしょうか。テレビやネットの報道でも、コンプライアンスやハラスメントでがんじがらめになった内容が日を追うごとに増しています。
 
多様性社会といえども、やはり根性と忍耐は必要不可欠。
 
 
そういえば、コンクリートの間から百合が顔を覗かせていました。最初に気がついたときは蕾だったのですが、次に前を通ったときは見事に花を咲かせていました。
 
 
「百合のように生きる」と言うと、まるで「優雅に美しく、そして気高く生きる」という風に聞こえますが、しかしこの美しくも逞しい百合の姿に私はとても感動しました。
 
この百合が私に教えてくれたレジリエンス。
強くたくましく、そして柔軟にしなやかに生きるということ。