Don’t Dilly Dally

…とことことことこ

『ロッキー』のテーマと共に ~Philadelphia~

2024-09-29 06:53:48 | 回顧録

アメリカに滞在中、BFの仕事の関係で定期的にボストンやワシントンD.C.を訪れます。そしてたまに訪れるのがペンシルバニア州のフィラデルフィアです。

以前に投稿した【夏に観たくなる映画 #01 - Don’t Dilly Dally (goo.ne.jp)】で、その映画『刑事ジョン・ブック』に出てくるフィラデルフィアの駅やアーミッシュについて書きましたが、フィラデルフィアは歴史の深い、とても素敵な街です。

1776年に米国独立宣言が採決された合衆国誕生の地でもあるフィラデルフィア。

上の画像は、映画『ロッキー』で主人公があの有名なテーマ曲と共に階段を駆け登り、フィラデルフィアの街に向かってガッツポーズをとる場面の撮影場所です。

映画にちなんで、ロッキーステップと呼ばれています。

このロッキーステップは、フィラデルフィア美術館の正面玄関なのですが、映画の爆発的なヒットで美術館よりも正面の階段の方が有名になってしまいました。ちなみにフィラデルフィア美術館そのものも合衆国生誕100年を記念して1876年に建てられた、とても歴史ある建造物です。

何度目かにここを訪れたある秋の日のこと。

なぜかBFはとても機嫌が悪く、階段の目の前まできて、「自分は登らない」と言い始めました。「あっそ。なら一人で登るわよ」と私が一人で一気に階段を駆け登りガッツポーズをとっていると、というのは嘘で(笑)トボトボと階段を登り、息を整えていると、

「すみません。シャッターを押してもらえますか?」と白人のカップルに声をかけられました。「もちろん。どちらで?」と背景を街にするのか美術館にするのか訊ねると、美術館をバックに撮ってほしいとのこと。

そしてカメラを構えると、めちゃめちゃラブラブなお二人。こちらは険悪モードの真っ只中。この温度差は何?と怒りよりも笑いが溢れてしまったのをよーく憶えています。

ちなみに近くにはロッキーの像も立っています。

観光客の前で常にガッツポーズのロッキー。

ボストンともニューヨークとも雰囲気のまったく異なるフィラデルフィアの街。

裏通りでちょっと面白いモニュメントを発見しました。

こちらはフィラデルフィアのチャイナタウンの入口。

いつも車で通りかかるだけで、いまだに立ち寄ったことがありません。ボストンのチャイナタウンにあるレストランはよく利用するのですが、こちらには何故か立ち寄る機会がないのです。

日本のお寿司屋さんもあります。

『KABUKI SUSHI』。アメリカらしい店名が付いています。

フィラデルフィアといえば、フィリーチーズステーキサンド。

こちらがフィラデルフィア名物のサンドです。

牛肉と玉ねぎ、そしてフィリーチーズの旨味が凝縮されたフィラデルフィア発祥のサンドウィッチで、香ばしく炒めた牛肉と玉ねぎ、とろけたチーズを長いロールパンにはさんだ逸品です。ちなみにフィリーとは、フィラデルフィアの略称で、アメリカ国内でも有名なご当地グルメです。

私はセントラルマーケットのフィリーチーズステーキサンドが一番のお気に入り。

このボトルビールを飲んだ日、BFがホテルのロビーで寝てしまったのも今では楽しい思い出。仕方なく私はコーヒーを飲んで彼が起きるのを待っていました。

いつも賑やかなセントラルマーケット。

アーミッシュのお店もあります。

こちらでサルサソースを購入したことがありますが、ナチュラルでシンプルな味わいがとても美味しかったです。

 

見出し画像の紅葉が美しい並木道。

あのケンカ中だった日に撮ったものです。

恋人同士が腕を組みながら歩くはずのこの並木道を、我々はそっぽを向きながら離れて歩きました。(笑)

 


誕生日の前に思うこと

2024-09-27 08:35:31 | 雑記

数年前に姉を病気で失いました。

私と姉は8歳違い。可愛がってもらった記憶などは特になく、妹に対してモラハラ全開の姉でした。そんなモラハラな姉が、乳がんを発病しました。姉は独身で、仕事一筋の人だったので仕事仲間の男性が数人いるだけで女友達などはおらず、すでに両親も他界しているので家族と呼べるのも私だけでした。

そんな姉が、自分の誕生日の夜に電話をしてきました。お互いの誕生日を祝うような仲でもなかったので、本人に言われるまで、その日が姉の誕生日だと気が付かなかったくらいです。

電話の内容は、「胃が重くて苦しい。たぶん癌の何かだと思う。だから救急車を呼ぼうと思う」というものでした。時計を見ると深夜12時過ぎ。

近所の病院に一旦救急搬送され応急処置。翌日に掛かりつけの病院に移動。即入院手続き。そして手術。医者の見通しも不明瞭なまま病状は日を追うごとに悪化。

ある日、驚いたことに「外泊許可」がおりました。本人の希望によるものでしたが、あの容体でよく許可がおりたものです。私が必ず付き添うというのが外泊許可の条件でした。

すでに入院してから1ヶ月が経過おり、気がつけば毎日姉の病院に通い、2時間ほど共に過ごす日々。そしてついに、仕事中に病院から連絡がきました。

「本人には内緒で、先生から妹さんにお話があります。明後日の13時、直接外来の方へ来てください。くれぐれも本人には内密でお願いします。」

すぐに余命宣告だとわかりました。

医師からの宣告は、余命1ヶ月。

すぐに本人が前々から希望していた辻堂のホスピスへ転院の手続きを取りましたが、あいにくその段階では満室。どうしても生まれ育った茅ヶ崎に帰りたいと本人が言うので、茅ヶ崎近辺の一般病棟でホスピスの空きを待つことにしました。しかしGWに突入。本人に余命は伝えていませんでしたが、「転院」という言葉からすべてを察しているようでした。

姉はその後、2日間だけ元気を取り戻しました。なんせ早朝に電話をしてきて、「朝マック買ってきて」などと言うほどです。

          ~このカモメがなんとなく姉に似ている。(笑)

しかし元気だったのも束の間、容体は急変。起き上がることも出来なくなりました。どう考えても転院の日までは持ちそうもありませんでした。すぐに転院の手続きをしてほしいと病院に申し入れましたが、

「GW中なので手続きは難しいです。もし仮に、こちらが送り出せたとしても、相手先の病院が受け入れてくれません。」とのこと。そう説明してくれた若い看護師の目が涙で潤んでいるのを見て、それ以上は何も言えなくなりました。

「帰るね」と姉に伝えると、「今日はありがとうね」といつもなら言うはずのところを、「いつもごめんね。いつもありがとうね」と姉は答えました。それが私が聞いた姉の最後の言葉になりました。

翌朝、病院から危篤との連絡があり、それから3日間昏睡状態が続き、姉はそのまま息を引き取りました。

葬儀を終えても、姉が経営していた会社の解散手続き、マンションの引き払い、諸々の雑用で目まぐるしい毎日でした。そんな折、姉の元同僚の方と食事をする機会がありました。そのときにその人が私に言ったのは、

「外泊許可が出たとき、誕生日祝いをしてあげたんでしょ。妹が誕生日祝いをしてくれて嬉しかったってメールがきたよ。」

その言葉を聞いてハッとしました。

外泊許可が出たとき、電車の中で「今夜は私がご馳走するね。1カ月遅れの誕生日祝い。」と言った記憶がありました。しかし、都内の病院からマンションのある横浜に着く頃には姉はかなり疲弊しており、とてもレストランでお祝いをするような状態ではありませんでした。

それでもどうしても夕食を食べに行くと言い張るので、半ば呆れながらレストランへ連れていったのです。当然ながら食事などできるはずもなく、サンドウィッチだけ注文しました。

「お誕生日おめでとう」とお水で乾杯。

姉は、お水の入った自分のグラスを少し笑みを浮かべながらしばらく眺めていました。今でもその時の姉の様子をよく憶えています。わざわざメールで友人に知らせるほど嬉しかったのか…、そう思ったらさすがに涙が溢れました。

あれから私は何度か誕生日をむかえています。誕生日をむかえるたびに、黙って水の入ったグラスを見つめていた姉の姿を思い出します。

最後の誕生日になるかもしれない、そんな姉の覚悟。

子供の頃から苦手だった姉ですが、キャリアウーマンとして強く生き抜いた姿には今でも尊敬の念を抱いています。たまに姉は意外な言葉を漏らしました。病床でも同じことを言いました。

「私はあなたが羨ましい。私は石橋を叩いてからじゃないと渡れないタイプだから。あなたのように一気に橋をかけ渡ることは絶対に出来ない性格だから」

「でも私は、途中でその橋が壊れて転落した経験が何度かあるけどね」と私が笑って答えると、姉も笑って、「それでもたまたま通りかかった人に助けてもらってちゃっかり向こう側に渡ってるでしょ」

思わず2人で大笑い。私たちの笑い声が廊下まで聞こえたらしく、「楽しそうね」と看護師さんが笑顔で覗きました。今となっては懐かしい思い出です。

 

もうすぐまた私は誕生日をむかえます。両親の分も、姉の分も、私は生きていろいろな世界を見てこよう。遊んで、学んで、食べて、眠って。

元気なおばあちゃんになることをここに誓います。(^-^)

 


祟るのか、崇めるのか

2024-09-25 05:17:13 | 雑記

『日本三大怨霊とは、菅原道真、平将門、崇徳天皇の3人を指す言葉です。平安時代の人物で、人々に深い怨みを残し、災いをもたらしたとされています。』

 

コロナ禍で外出が規制されていたとき、私は都内に在住していました。仕事も休みになっており、運動不足解消と気分転換を兼ねてウォーキングを楽しんでいました。

目的地を決めて、そこまでテクテクテクテク。

たまたま行ったのが、神田明神と湯島天神。歴史好きのアメリカ在住の BFにそのことを伝えると、「なら残るは崇徳天皇だけだね」と言われました。ん?と思って理由を訊ねると、「日本三大怨霊でしょ(笑)」

なるほど。ちなみに見出し画像は怨霊となった崇徳天皇です。では、三大怨霊を順番に。

【湯島天神】菅原道真

あ!平安時代の人が写ってる!(笑)

湯島天満宮は、東京都文京区にある天満宮です。通称は湯島天神。ここの主祭神の一人が、菅原道真です。

菅原道真は、無実の罪で左遷され大宰府(現在の福岡県)に送られてしまいます。弁明などはまったく聞き入れられることなく、囚人同様の扱いで幽閉され、失意のうちにわずか2年で非業の死を遂げました。

その後、菅原道真に代わって権力を握った藤原時平は突如として亡くなり、さらに複数の貴族は落雷で命を落とし、菅原道真を左遷した醍醐天皇とその皇太子も続けて病で死亡。これらの災いは、すべて菅原道真の祟りだと言わたそうです。

そのため神様として崇められることになり、落雷をもたらしたことから雷神となりました。そして「天神様」となったそうです。祟ると神様になれるのですね。(笑)

さらに時が経ち、学問の才能に秀でていた菅原道真にあやかろうと、「学問の神様」として崇められるようになりました。現代では、湯島天神は学力向上や合格祈願で有名な神社となっています。

祟りだと恐れられて雷神様になるよりも、頭脳明晰で学問の神様になれたことの方が、きっと本人にとっては名誉なのではないでしょうか。

【神田明神】平将門

神田明神を見ると、私はドラマ『VIVAN』を思い出してしまうのですが、私がウォーキングしていたのは、ドラマの放送よりも前の話です。

東京都千代田区にドドーンと構える神田明神は、ビジネス街という立地上、ビジネスの成功や技術の発展など、現代的な参拝者の多いことで知られています。『VIVAN』の主人公もお参りしていましたが、私が訪れたときもスーツ姿の人がお参りをしていました。

主祭神は平将門。平将門は、領地の相続を巡り、親族間での争いで圧勝しますが、この行為が朝廷への反逆とみなされてしまいます。そして平将門の追討令が出され、あえなく討ち取られてしまうのです。

平将門の首は京へと送られ、都の河原に晒されますが、無念の死を遂げた平将門の首には、奇妙な出来事の噂が絶えませんでした。そのことを人々は平将門の強い怨念として恐れました。ついに!その首は体を求めて関東へと飛んでいったのです!ワーオ。

目撃者までいるから怖いです。しかもかなりな距離です。

そして、飛んでいった先に建てられたのが、現在の東京都千代田区大手町の将門塚(しょうもんづか)。

東京の丸の内から徒歩数分、オフィス街に突如として現れるこの首塚…。

私は画像の入口から先へは怖くて近づけませんでした。コンクリートの中にポツンと佇む首塚が入口からも確認できるのですが、なんとなく背筋がゾ〜…。

【虎ノ門 金刀比羅宮】崇徳天皇

金刀比羅宮は、東京都港区虎ノ門にある神社です。敷地内には、金刀比羅宮と複合施設の高層オフィスビルがあり、社務所や神楽殿がこの施設と一体化しています。まさに都会の神社ですね。

こちらには崇徳天皇が祀られており、万民泰平の幸運のご利益があるとされています。

崇徳天皇は、皇位継承争いで敗れて出家しますが、讃岐(現在の香川県)へと流され幽閉されてしまいます。閉ざされた空間の中で自ら仕上げた写本を「京都の寺に納めて欲しい」と朝廷に差し出すのですが、「呪いが込められているのではないか」と送り返されてしまうのです。ひどい話です。

その屈辱以降、崇徳上皇は「妖怪に生まれ変わって無念を晴らす」と誓い、死ぬまで髪と爪を伸ばし続け、鬼のような形相へと変わり、そのままこの世を去りました。

その執念、死後に怨霊となっても不思議ではありません。

崇徳上皇の死後、国を揺るがす事件が立て続けに発生しました。また、崇徳天皇と敵対していた後白河法皇の身内も次々と亡くなります。これら一連の出来事は、崇徳上皇の怨霊が引き起こす祟りであると考えられました。

そこで「崇徳院廟」が建てられ、罪人の扱いは取り消されますが、しかし!崇徳天皇の怨念はその程度のものでは消えません!

後白河法皇が亡くなるまで災いは続き、崇徳天皇の怨霊はその後の天皇にも恐怖を与え続け、明治時代以降の天皇も崇徳天皇の鎮魂の行事を執り行っているほどです。

天皇家を呪い死んでいった唯一の天皇。そう考えると崇徳天皇が一番恐ろしいかもしれません。

 

「祟る(タタる)」のか、「崇める(アガめる)」のか、

漢字が似ていて間違えそうです。


九份の階段 ~Jioufen~

2024-09-23 13:54:15 | 回顧録

10月の初めに私の誕生日があります。

数年前の誕生日、台湾へ一人旅をしました。思いつきだったので仕事は休めても3日。よし!台湾で美味しいものを食べて、九份を散策しよう!と「無計画な計画」を実行しました。

 

そして誕生日当日、台湾に向かっていざ出発!

ちょっと都会的な喧噪の漂う台北の街。遠くには山並みが見えます。

この日は夜市でつまみを買ってホテルでのんびりと過ごすことに。立ち寄った夜市は、見出し画像の「饒河街夜市(Raohe Street Night market)」です。

台湾の屋台グルメ「胡椒餅」と台湾ビールを購入して、一人で自分に乾杯!Happy Birthday!

ちなみに私はこの日、初めて胡椒餅を食べました。胡椒餅(フージャオビン)は、発祥は中国の福建省らしいですが、今では台湾のB級小吃(シャオツー)の代表格となっています。日本のおやきのような焼きまんじゅうです。

翌朝は、ホテルのビュッフェで疲れた胃を労りお粥を選択。

お粥といっても、具材?が沢山あるので健康的にお腹いっばいになりました。

午後からはオプションツアーに参加して九份を訪れました。

九份といえば、スタジオジブリのアニメーション『千と千尋の神隠し』の舞台になっていることでも有名です。現地ガイドさんがバスの中でこのようなことを言っていました。

「九份は、本当に神隠しの町です。だから我々は九份には住みません。九份で働く人たちは皆、近くの町から通っています。九份は人が住んではいけない場所なのです。」

へー。

九份はかつて金鉱の町として栄えた、風情のある山間の町です。斜面に建物が立ち並んでいるので、あちらこちらに階段があります。

私はその数多い階段に魅力を感じ、あれこれ想像を巡らせながら歩いてみることに…。

夕食までは自由行動だったので、一人でゆっくりと散策することができました。

ノスタルジックな雰囲気が漂います。

お!あんなところに美味しそうなお店を発見。

入ろうか入るまいか悩んだのですが、夕食付きのプランだったので泣く泣く断念。今思えば、そんなことは気にせずに食べておけば良かったです。

この階段をのぼるとどこに行くのだろう…神隠しにあってしまうだろうか、なんて思いながら見上げてみたり、

あら、魅力的な階段。この階段を駆け降りてみたい!などと転ぶことなど考えずに空想してみたり、

まだまだ九份の階段の画像はあるのですが、切りがないのでこの辺でやめておくことにします。いつかまた個人で訪ねてもっとじっくりと散策してみたいです。

階段ばかり見ていましたが、もちろんちゃんと店舗も覗いてきました。

お釈迦様の頭と呼ばれるフルーツ、釋迦(バンレイシ)。

そしてこちらは丸焼き!?

ワーオ。

そしてノスタルジックなお土産物屋さん。

ゆっくり物色すれば掘り出しものがありそうです。

そうこうしているうちに陽が西に傾き、辺りに灯りがともり、ますます幻想的な雰囲気が漂い始めました。

やばい!神様たちが湯屋にやってきてしまう!(笑)

こちらがアニメのなかで千尋が働いていた湯屋のモデルらしいです。

反対側を見ると、夕暮れ色に染まる東シナ海。午後7時過ぎ。

この景色を眺めながら、また一つ歳を重ねることが出来たことに感謝をしました。どこか体が不調なわけではありませんが、早くに両親を亡くしているので、心身共に健康であることの有難みを痛感しています。

2泊3日の強行日程でしたが、鼎泰豊(ディンタイフォン)の本店で小籠包も食べたし、マンゴースイーツも食べたし、大満足の旅となりました。

行きと同様にキティちゃんの飛行機で帰路につきました。

ちなみに機内食もキティちゃん。

ワーオ。

 


パブリックアート

2024-09-20 10:20:05 | 雑記

芸術の秋。

日常的にアートを感じることのできるパブリックアート。

国内のパブリックアートで私が真っ先に思い浮かべるのは、六本木ヒルズの巨大なクモのオブジェ『ママン』でしょうか。

クモは大が付くほど苦手な私。初めて見たときはギョッとしましたが、アートだと言われればアートのような気がしてくるのが、「アート」の不思議なところです。便利だね、アート。

パブリックアートは、大恐慌後のスウェーデンやアメリカが始まりらしいですが、確かにニューヨークは、パブリックアートが街なかに沢山あることでも有名です。メッセージ性の強いものやイメージ的なもの、カラフルなものやシンプルなものなど、あらゆるアートで溢れています。

その中でも有名なのが、ウォール街のチャージングブルやフィアレスガールではないでしょうか。特にチャージングブルは記念撮影を目的とした観光客が常に列を成しています。

みんなが撫でるのでピカピカです。

後姿にも行列が出来ており、やはり撫でられる箇所はピカピカ。

そしてこちらが、フィアレスガール(恐れを知らぬ少女)。ニューヨーク証券取引所の前に堂々と立っています。

しかし意外と小さいので見落としがち。

そして、ガイドブックでよく見かけるマイケル・ジャクソンの壁画。

この日、たまたま前に停まっていたフードトラックと色合いがとてもマッチしていました。

私の一番のお気に入りは、もちろんこちら。

巨大なダルメシアンが実物大のイエローキャブを鼻にのせています。

ダウンタウンの病院の前に設置されており、この巨大なダルメシアンが患者さんや医療関係者を励ましているのかと思うと、ダルメシアン推しの私としては嬉しい限り。

ちなみに、コロナ禍では紫色のマスクを付けていました。

昼間は雑踏に紛れて無視してしまいがちなこちらも、夜の街ではピカピカとネオンを反射してよく映えています。

無視してしまいがちといえば、

ポートオーソリティターミナルにあるこちら。

ポートオーソリティは、観光客の少ないターミナルなので撮影している人は滅多にいません。生まれも育ちもニューヨークだという私の英語の先生にとっては、「ポートオーソリティ=治安が悪い」というのが子供の頃からの認識らしく、今でも怖いそうです。

しかし、以前のニューヨークは治安が悪いことで有名でしたが、今はすっかり改善されており、安心して歩くことができます。

そして、私が滞在していたニュージャージー州にあるプリンストン大学。

木陰で本を読む男性。隣に座って一緒に私も本を読みたくなりました。私はこういうインテリ男性に弱いのです。でも、実際に好きになるのは全く違うタイプなのが我ながら謎。(笑)

 

日常的にアートを感じ、楽しむことのできるパブリックアート。

日本ではあまり見かけませんが、コロナ禍の銀座で車の荷台に積まれた巨大でカラフルな「小便小僧」に遭遇したことがあります。

ベルギー人のアーティスト、パトリック・ジェロラさんの作品で、『コロナ禍で美術館などでの展示が自粛されるなか、移動展覧会で作品を見てもらおう』というプロジェクトでした。

素晴らしいプロジェクトですが、さすがにビックリしたー。(笑)