東京のあちこちで、今年も三月限りで閉校となる学校がでるのであろう。
少子化・晩婚時代とはいえ、寂しい限りである。
閉校後の校舎は、そのほとんどが解体され、私立学校などの新しい建物になっている。
もとの校舎を生かして何かに使っている所は、ほんの数か所である。
仕方ない、といえばそのとおりだが、その校舎を見ながら子ども時代を送った者には、
慣れ親しんだものが壊されるのは、胸がつぶれるような思いがする。
まして、その現場を見てしまった者は、本当にむごく、胸がつぶれるほどの思いがするであろう。
どうしようもないほどの喪失感におそわれるのではないか。
そして、閉校になった学校が壊される、その現場を毎日見ているのが、その学校に通っていた
子どもだったとしたら・・・・・・・・・。
なにも言わなくても、その子の胸の内は想像がつくであろう。
もちろん、学校がどうなろうがあまり感じない子・者もいる。もしかしたら、そういう子・者の方が
多いかもしれない。しかし、なかには、そうでない子がいる、そういう者ばかりではない、ということも知ってほしい。
実際に、閉校になったある小学校が取り壊された時、学校のすぐ裏に住んでいる子が、
自宅の、学校側に向かってある窓のカーテンをサーッと引いて、学校が壊される所を
見ないようにしていた、という話を聞いた。
やむをえず閉校した学校を取り壊す時は、その学校に通っていた子どもの気持ちを
少しでいいから考えてもらえたら、と思う。