【歴史】
天正3年(1575)に起こった越前の内乱を鎮圧した織田信長の家臣金森長近は、その功により越前大野郡の約2/3を与えられた。長近は亀山に大野城を築いて領国支配の本拠とした。大野城主はその後、長谷川秀一、青木一矩、を経て信長の孫にあたる織田秀雄へと交代した。
江戸時代に入ると大野城は越前松平氏の支城となるが、後に大野藩として独立。天和二年(1682)譜代の土井利房が城主となり、以降幕末まで土井氏の藩主が続いた。
【縄張り】
山頂に本丸を、東山麓に二の丸を置き、その東と南に三の丸が配置された梯郭式の縄張りで、二重三重に堀と川で防御を固めていた。
本丸には武器蔵、焔硝蔵などを廃して門櫓を巡らせていた。 本丸の中心に石垣を巡らせた天守台を置き、その上に大天守、小天守が建っていた。天守と小天守は御殿風の造りであったともいわれる。
※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
【見どころ】
年間10日ほどではあるが、盆地にある亀山は雲海に覆われ、ぽっかり浮かんだ山頂部に建つ大野城はまるで天空の城のようである。
「ラピュタの会」という民間の有志の集まりが撮影スポットの案内パンフや、関連写真などの企画販売を手掛ける。→こちら
標高249mの山頂に立つ天守を目指すには「西登り口」、「南登り口」、「北登り口」の3か所がある、
大手門がある古来の大手道は「南登り口」で二の丸方向から緩やかな坂道となっている。
写真
左が「大手門跡」に続く「大手道」奥には「柳廼社」、中央は「百閒掘り」、右手は「二の丸」、「三の丸」に建つ「学びの里めいりん」
そして山の上に御城「天守」が見える。
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一方「西登り口」からは急峻な坂と階段ではあるが最短で行ける。
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麓には駐車場やトイレも完備、ゲートボール広場併設。
今回はこちらから登城しました。
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登ること10分くらいで山頂部に到達、天空の城ラピュタ仕様の自販機が迎えてくれる(^^)/
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さらに階段を登ると南側にある「搦手の虎口門」に到達
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そこをくぐると「お福池」があり、小天守下の石垣沿いに進むと「武者登り」が見える、
そして御城の正面に出る。
正面が「大天守」、その左(南東方向)側に「小天守」が連なる。
本来は望楼付きの2重3階の大天守に2重2階の小天守、天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守であったが、1795年に焼失して以降、再建されないままであった。
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大天守の右(北西方向)側ある「駕籠道」は天主台に取り付けられた傾斜の緩い階段です。先ほどの曲がりくねって急な「武者登り」と対になっています。
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駕籠道(北西方向)から見た天守閣
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1968年(昭和43年)に元士族の萩原貞の寄付金を元に往時の絵図や創建当時の同時期の他の城の天守を元に、鉄筋コンクリート構造によって推定再建されたものである。しかし、小天守が天狗の間の位置に建てられていることなど史実に基づいた復元再建ではない。
御城への入り口は南西側にあり、資料館受付となっている。
入館料大人300円、中学生以下無料、12月から3月までは休館
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本丸広場には初代城主「金森長近」の像が建立されており、石碑が建立された大手道が城内に続く。
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その先の曲輪には「麻木櫓」の跡がある。
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また天守台をぐるっと北から南に反時計回りに進むと、当時の武器庫があった場所に進む。
この奥に「焔硝蔵」があった。
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さらに進むと「武器庫蔵」
「お福池」を見下ろす太鼓橋と小天守の立体的構図も見どころ。
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御城搦手(南西方向)の曲輪
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越前松平家の支城から大野藩として独立後、譜代の土井利房が城主となり、以降幕末まで土井氏の藩主が続いた。
藩の財政改革に尽力し明倫館を創設するなど教育にも力を入れた名君、大野藩七代目藩主土井利忠の銅像が建立されている。
麓にある「柳廼社」祭神でもある。
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麓に下りて曲輪、周辺を散策
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「二の丸」跡地には運動広場が、「三の丸」跡地には「学びの里めいりん」が建設されている。
背後の「亀山」山頂にそびえる天守
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百閒掘りと「三の丸」跡地に建つ「学びの里めいりん」
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百閒掘り沿いにあったメインストリート「柳町通り」には当時、家老邸をはじめ武家屋敷が並んでいた。
家老職 旧内山家
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家老職 旧田村家
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柳町通りから一筋入った「三の丸通り」
こちらにも公開されていないが威厳のある邸宅があった、
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観光駐車場の周辺には
「結楽座」というお土産、トイレ、休憩の施設がある。
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また大野藩七代目藩主土井利忠の時代に財政再建のため創設された「大野屋」が「平成大野屋」として観光客の憩いの場となっている。
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この他にも古い町並みや歴史が残っており見どころ豊富です。
【越前大野城】
《山頂に建っていた大小の天守》
ホームページは→こちら
名称(別名);亀山城
所在地;福井県大野市城町3-109
城地種類;平山城
築城年代;天正3年以降(1575)
築城者;金森長近
主な城主;金森氏、松平氏、土井氏
文化財区分;県指定文化財
近年の主な復元等;昭和43年(1968)天守推定復元
天守の現状、形態;連結式望楼型2重3階(1968年 RC造復興)
地図;
※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)