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あみの3ブログ

三雲城@滋賀県湖南市吉永 令和三年(2021)7月17日

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三雲城(吉永城)は、長享元年(1487)佐々木六角髙頼の命を受けて築城されました。代々の城主三雲氏はもと関東御家人で武蔵七党の児玉氏を名乗っていましたが、明応年間に(1492)にこの地に定住し、三雲氏を名乗り士豪として活躍した戦国武将でした。
 三雲氏が歴史の表舞台に登場するのは、三雲成持(1540~1603)が城主の頃です。成持(しげもち)の兄賢持(かたもち)は永禄9年(1566)に浅井長政との戦いで討ち死にし、父定持(さだもち)も元亀元年(1570)の野洲川の戦いで討ち死にするなど、近江守護六角氏の被官として活躍した一門として知られています。城は幾度か六角氏の亡命に用いられ、天文6年(1537)には、六角義賢が、永禄11年(1568)には義賢・義治が逃げてきています。
 三雲氏は織田信長が近江を平定した元亀元年(1570)の野洲川の戦いで佐久間信盛に敗れた後、信長に従わず浪人となりました。成持は六角氏没落後、蒲生氏に仕えていたが、江戸時代になると一千石の旗本として徳川幕府に仕えることとなり、幕末まで家名を存続できた一族でした。、、、現地案内板より


場所は湖南市吉永
名神高速栗東ICから国道1号線を甲賀・鈴鹿方面に向かい、岩根交差点で県道13号(彦根八日市甲西線)を右折して野洲川を渡ります。JR草津線を渡ってすぐに右折した後は「三雲城跡」の案内看板に従って進みますが、トンネルや住宅街の中を通って右折左折を繰り返しますので、予め目標を「青少年自然道場」にセットしておくとよいでしょう。


県道13号、JR草津線踏切手前から見えてくる三雲城址遠景
右手山腹に〈白く四角い塊のようなもの〉が見えます。それが「八丈岩」で、その辺りが三雲城址です。


同踏切を渡り、一筋目が「旧東海道」
ここを右折して「大沙川隧道」通称「マンボ」をくぐります。
これは天井川に建設された現役最古の石造物トンネルで明治17年に建設されました。JR草津線も同じようにトンネルをくぐっていますので凄くフォトジェニックな撮影ポイントでもあります。



同トンネルを抜けて一筋目を左折し、麓の新興住宅街に入り込みます。少し場違いな日常の中を右折左折を繰り返し「三雲城址」の看板を頼りに、山頂に向かって登っていきます。すると程なく「青少年自然道場」と「三雲城址」の分岐にでます。分岐はちょっとした公園となっており、ここに車を停めて徒歩で登っていくこともできます。ずぼらな自分は分岐を右折して林道を車で登りました。



分岐から数分で「三雲城址登り口」に到着。林道と言っても舗装され、緩やかなカーブなのでとても安全でした。
先ほどの分岐から徒歩では20分くらいで、この場所に合流します。

入り口の説明看板、ポストにはパンフレットが準備されており、またレンタルの杖まで用意されているので凄くありがたいですね。



「登城口」の先は二手に分かれます。
左は「大手道」
右は「八丈岩」「家紋入りの岩」から「馬の背」経由で「兵站曲輪」にて「大手道」に合流します。
なので往路は「大手道」、復路は「八丈岩」周りのルートとしました。



大手道を登ると程なく立派な石垣が見えてきました。


よく見ると「近世治山石垣」という看板が建っていました。
要するに三雲城由来の遺構ではないという事なんでしょうね。
近世って何時なのかな?
砂防ダム的なコンクリート造りだと歴史的景観を破壊するので、あえて手間のかかる石積みにしたんでしょうか?


さらに上の方には「石切り場」が残されています。
使われなかった割石が散乱していますが、ここから切り出した石で「近世治山石垣」を築いたんでしょうね。


大手道周辺にも自然岩盤や巨石があちこちに露出しているので、石材の調達には苦労しなかったと思われます。



ここで当日の行程を説明します。

以下、現地説明板より抜粋(ブログ管理者加筆)
◆三雲城復元ジオラマ(二次元に印刷したもの)
赤い矢印は往路、青い矢印は復路のルートを示しています。



◆三雲城想像図
こちらも分かり易いイラストですね。




近世治山石垣を過ぎ、最初にあるのが「兵站地(郭5)」と呼ばれています。
「兵器や食料などの物資の補給地」と説明書きがあります。


「郭5兵站地土塁」
郭5の北側の尾根上には土塁が築かれ、細長く二段にわたって削平された曲輪を防御しているかのようです。


この土塁から尾根(馬の背)伝いに麓に降りると、「八丈岩」を経由して「大手道」と合流して登城口へと至ります。



「兵站地(郭5)」から見上げると石垣が見えてきます。(三雲城復元ジオラマ内2⃣
「主郭北、東辺の石垣」と案内板にあります。


角石が残っているので、現存しているのは北側と東側を構成する石垣の一部という事でしょう。


石を切り出した「矢穴」の跡がくっきりと残っています。


石垣の裾野に落下した石が多数見られます。


他にも矢穴加工された石が多数落下散乱している場所があり、破城の痕跡と思われます。


20㎝ほどもある下穴を掘り込み、ここに鉄の鏨を打ち込んで割れ目を造ったんですね。




「枡形虎口」(三雲城復元ジオラマ内1⃣


枡形虎口の穴太積み石垣


こちらにも矢穴加工が残る石がたくさん使われています。


枡形虎口を主郭上より俯瞰
大手道から駆け上って主郭に入ろうとすると門があり、そこを入ると90度クランクして櫓門が待ち構えている。押し寄せる敵兵はこの四角い空間に足止めされ、主郭部から狙い撃ちされる。



「主郭(曲輪)」(三雲城復元ジオラマ内3⃣



「井戸」(三雲城復元ジオラマ内7⃣


深さ約6m 穴太衆による野面積



「本丸土塁」
主郭(本丸)の北側の防衛線



本丸北側の「竪堀群」


北側斜面の横方向の移動を抑止するため縦に掘られた堀



「山頂廓(廓2)の石垣」(三雲城復元ジオラマ内8⃣


廓2の北側と西側下に石垣が積まれている。
こちらは日当たりが良いせいか、下草が生い茂り石垣を覆い隠しているようです。



「山頂廓(廓2)からの眺望」(三雲城復元ジオラマ内6⃣


NHK朝ドラ「スカーレット」で放送された一場面
遠く三上山や琵琶湖が見渡せる絶景の地


山頂廓(廓2)に鎮座する巨石
縦に長い巨石を周囲で支え、まるで天然の石碑のようです


裏から見た巨石
縦約8.5m、横約3.5m、厚み約1.8m、比重2.6 形状係数0.9とすると、ザックリ126トンもありそうです。



虎口のような配列の巨石を抜け、その先にある「廓4」へと向かいます



「南廓(廓4)堀切」(三雲城復元ジオラマ内5⃣


廓2と郭4を結ぶ尾根を分断し敵の侵入を防ぐ堀



「南廓(廓4)削平地」(三雲城復元ジオラマ内🔟


南廓(廓4)斜面に散乱する石と自然岩盤


これは明らかに石垣の痕跡、経年劣化で崩れたのか破城の跡なのか



一旦山頂廓(廓2)に戻り、「東廓(廓3)東見張り台」を目指します。



「東廓(廓3)東見張り台」(三雲城復元ジオラマ内4⃣


見張り台からの眺望はイマイチ
当時は雑木林の背が低かったのかな


東廓(廓3)東見張り台「石垣」


尾根の北面に残る石垣の痕跡


隅部も残っています



ここで廓5兵站地に戻り、帰路の「八丈岩」へのコースに向かいます。

馬の背と呼ばれる細い尾根道を下ると突如として巨石群が現れます。

「佐々木六角氏の家紋岩」(三雲城復元ジオラマ内9⃣
佐々木六角氏の家紋【四ツ目結】→こちら
が刻まれた岩です。


縦長の石碑のような巨石中央からやや下の方に家紋が刻まれています。


家紋部拡大



「八丈岩」


北東尾根筋に、この山のシンボルとも言うべき巨大な八丈岩がある。その巨大な岩の前は急な崖で、しかも岩は地面から浮いているような感じで、何時崩れ落ちても不思議でない状態で立っている。
落ちそうで絶対落ちない岩として合格祈願のパワースポットとなっていますよ。
人間がこんなに小さく見える


合格祈願の祠(白龍が祀られている)や祈祷の石もあります


裏から見るとギリで止まっているのがよくわかる


願い事が書かれた小石と眺望
東西に流れている野洲川が一望でき、観音寺城(佐々木六角氏居城)からの道があった



城址見学の後のお楽しみはミュージアムショップでのお買い物(笑)
先ほど登って来た時の林道分岐にある公園、


ここにロッジ風の「三雲城ミュージアム」的な、資料やグッズを販売している施設がある。


御城印や資料、ファイルケース、缶バッジなど多彩な三雲城グッズが揃っていて、見るだけでも楽しい。


また作家司馬遼太郎の小説「風神の門」に登場する、忍者「猿飛佐助」の舞台としても知られ町興しのキャラクターとなっています。



【まとめ】
「観音寺城」→こちら
「小堤城山城」→こちら
を訪ねた結果以下のことが分かり、どうしても「三雲城」を訪ねてみたくなりました。
①石垣が多用されされている点
安土城が築城される以前の戦国期の近江の城郭で、石垣を多用する事例は「観音寺城」と「小堤城山城」、「三雲城」など数例に限定される。
近江の寺院勢力下の石工集団を再編して観音寺城の石垣を構築した六角氏の協力を受けていたと考えられる。

②六角氏退却先の城の一つだった。
六角氏は有事の際、甲賀郡の土豪の支援を受けながら平野部の奪回に向けて抵抗を続けており、「小堤城山城」と「三雲城」の築城の背景には有事の際の臨時拠点として使用する戦略があったと考えられる。

「観音寺城」と「小堤城山城」に比べ城域は狭く石垣の規模も小さいが、古い時代を感じさせる趣があった。またこの山から産出した石は運搬にも便利で、ふんだんに使われた様子がよく分かった。特に枡形虎口は他の斜面石積みと全く異なり、ほぼ完全な形で現存している事にも驚いた。
石垣ファンには見逃せない矢穴もたくさん見受けられ有意義な攻城となりました。



【三雲城】
《佐々木六角氏の隠れ城》


名称(別名);吉永城
所在地;湖南市吉永
城地種類;山城
標高/比高;334m/200m
築城年代;
廃城年代;
築城者;三雲氏
主な改修者;
主な城主;三雲氏
文化財区分;滋賀県指定史跡
主な遺構;石垣,土塁,郭,堀,井戸、枡形虎口
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;
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