朝倉氏によって当主館の東側背後、西方に福井平野を一望できる標高473メートルの一乗城山に築城された中世山城。15世紀前半には築かれていたと考えられる。一度も戦闘に使用されることなく廃城となった。現在でも、曲輪、空堀、堀切、竪堀、土塁や伏兵穴跡などの遺構が尾根や谷筋に沿って残っている。全長1.5キロメートル、幅200メートルの曲輪を配し、主郭部分はおよそ600メートル×200メートルである。「本丸(千畳敷)」は標高416メートルに位置し、東南へ尾根伝いに「一の丸」(443メートル)、「二の丸」(463メートル)、「三の丸」(473メートル)となる。各曲輪は堀切によって区切られている(連郭式城郭)。
元亀年間には織田信長の侵攻に備えて約140条の畝状竪堀を築くなどの改修が行われたようである。
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最短ルートの朝倉館背後の湯殿跡庭園から「千畳敷(本丸」に至るルートは災害で通行止めとなっているため、「馬出」ルートにて登城しました。
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「一乗寺谷レストラン駐車場」に車を停め「一乗谷史跡公園センター」前を通って
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「陣屋」前の橋を渡り、
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「陣屋」とは反対方向の「忠魂碑」の方向に左折。
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忠魂碑前にて二股に分岐しているので、細い道「八幡神社」方向に進む
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その脇を抜けて坂道を進むと
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「登山道入り口」の標識と幟旗が目印。
いよいよここからが本格的登山です。(クマ出没注意!)
トレッキングシューズ、熊よけの鈴(笛)、タオル、杖、飲み水、は最低限必要です。
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標高473mの山頂まで約1.5km、1時間30分ほどの行程ですが正直一から登るのは初めての体験。今まで訪れた山城は途中まで車でいけるコースだったり、標高が低くて登山感覚はありませんでした。 唯一徒歩で登った山と言えば地元の守山城がある二上山で標高が274m、凄くしんどかったけど完全舗装道路でした。それよりさらに200mも高くて獣道が続く細くて急な登り坂は足腰に応え、途中ケダモノと思われる足跡を発見した際には不安になりちょっぴり後悔もしました(笑)
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小さな谷に架かる丸太橋
行程中に2か所ありました。一部に腐ったところが有ったり、ぬかるんだら滑りそうなので要注意。
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馬出ルートと言うからには「馬出跡」がどこかにあったはずなんですが標識等がなく、素人の私にはわかりませんでした。
「小見放城」の手前辺りでそこそこ広い削平地が2か所あり、内1か所には石垣のようなものがあったので気になり写真を撮りました。
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またもう1か所にはお地蔵さんが建っていた(こっちを振り返って見ているような感じでビビりました)
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そして瞬く登ると目の前に広がる幅50m×高さ3mほどの巨大な石積み。
おぉ~、いよいよ山城の要害が見えてきたか~、、、と思ったら「砂防ダム」でした(;^ω^)
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小さな沢が雨水を集め、土砂崩れになるんですね。 ここには2本目の丸太橋がかかっています。
この沢の源は、後ほど紹介する「不動清水」からの湧水だと思われます。
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そこから少し登ると足元に石が目立つようになってきました。巨石から漬物石大までゴロゴロと露出している登りです。
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やや広い削平地が林の中に現れてきました。
「小見放城」
馬出地区を北西に臨むように大手道の南側に築かれた山城。尾根を分断する堀切や曲輪群が弾状に築かれています。
土塁や礎石、腰曲輪や竪堀などの遺構も確認されます。、、、案内板より
一乗寺谷城の出城だったんでしょうね。
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周辺には露出した石や岩に仏を彫る「石仏」も見られますが、写真は失念しました。残念!
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ここまで登山口から15分足らずで来ましたが
ここから「不動清水」までがナント!40分間の急峻な登りが続きます。狭くて細くて急峻で曲がりくねっている。
途中何回も足が止まり休憩を繰り返し、マジヤバいかも!と思いました。
疲れ果て、つづら折れの坂道は敵の侵入を阻み、両脇の土手上から攻撃されたらひとたまりもありません!
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【一乗谷城縄張り図】
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ようやく「不動清水」に到達。
いよいよ城域に近づきました。
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石に彫ったお不動様が、こんこんと湧き出る水を守っています。
これが城内の水源になっていたのでしょう。
登城の安全祈願に銭を積んできました。
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不動清水の上段に広がる広大な削平地。
「千畳敷」本丸跡
千畳敷は本丸跡と伝えられる場所で、山城のうち最も広い部分である。主郭群の中では最も新しく、義景の代に山腹を削平して造営されたようである。北側には竪堀群が存在している。枡形虎口を設けた観音屋敷跡や福井平野を一望できる宿直(物見台)跡、赤淵明神跡や月見櫓跡などがあり、堀切、土塁で区切られている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「観音屋敷跡」
三方が土塁で囲まれ、中央には基壇上の高まりがあり礎石の一部が有る事から建物があったと考えられている。、、、案内板より
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土塁で囲まれている。
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「宿直(とのい)跡」
観音屋敷からの通路には石垣土塁の虎口があり、建物の礎石が露出しています。ここからは三国港や福井平野が一望できるため見張りがいたと考えられます。、、、案内板より
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先端部
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眼下には一乗谷の町並みが手に取るように見えます
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また右手方向に目をやると、福井市内から遥か日本海「三国港」まで見渡すことができます。
さすがにこの景色を目にした時には来てよかったと思いました。
そして以前登った、朝倉と同盟にあった「浅井の城・小谷城」からの琵琶湖展望と重なり感無量でした。
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そこから一旦観音屋敷、千畳敷へと戻り、「一の丸、二の丸、三の丸」を目指します。
道は三方向に分かれ、これから先三つの山の頂にそれぞれ曲輪が配置されている。
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「一の丸」
この看板の背後にある山頂部(443m)に広がる約1100㎡の楕円形の曲輪で、上下3段で構成されているそうです。
残念ながら草に覆われ、登り口が見つけられず通過しました。
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畝状竪堀が数多く掘られ
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大きな堀切で二の丸と区画されている
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「二の丸」
標高463m、広さ約570㎡の楕円の曲輪。
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二の丸削平地
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二の丸堀切の土橋を渡ると尾根筋には直径3mの「伏兵穴」と呼ばれる窪みがいくつもあるそうです。塹壕ですかね。
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「三の丸」
標高473mの最高峰に二つの曲輪が築かれている。
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急な登り口なので、張られたロープを伝って階段をよじ登る。
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中央曲輪と北曲輪は深さ6.5mの堀切で区画されている。
階段で降りて、また登る
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先端部
「一乗城山」の標識と案内看板、そして登頂者が積んだ石積み。私も一つ記念に載せてきました。
到着時間12:26
途中休憩やら見学しながらでしたが、予定時間1時間30分とピッタリの行程となりました。
達成感ハンパなし!
バンザーイ!!
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【一乗谷城】
《戦国大名朝倉氏の山城と城下町》
名称(別名);
所在地;福井県福井市城戸の内町
城地種類;山城(麓に居館)
築城年代;15世紀後半
築城者;朝倉孝景
主な城主;朝倉氏
文化財区分;国指定特別史跡、国指定特別名勝、重要文化財
近年の主な復元等;平成7年中級武家屋敷、町屋などの町並みを発掘遺構上に復元
天守の現状、形態;非現存
地図;
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)