元亀2年(1571)9月の山門(比叡山延暦寺)焼き討ち後、織田信長は明智光秀に滋賀郡支配を命じると共に、浜坂本(三津浜)に水城を築かせました。日本最古級の天守がそびえていた坂本城について、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは、天正4年(1576)に築城された信長の安土城に次いで豪壮華麗な城と称賛しています。
坂本城の目的は、山門の監視ばかりではなく、彦根の佐和山城と共に、信長の領国美濃と京都のルートの確保、水運の重要な拠点などがあげられます。この城は、天正10年6月の山崎の合戦ののち焼失しますが、丹羽秀長によって再建され、同14年頃、城主浅野長吉の時に大津城に移るまでこの地にありました。
昭和54年(1979)の「字城畔」の発掘調査では、厚い焼土や城の施設の一部とみられる建物の礎石や石組の井戸・土坑・溝・石垣の基礎石などが見つかっています。大津市教育委員会、、、現地案内板より
場所は滋賀県大津市下坂本
国道161号線(琵琶湖西縦貫道路)と並行して琵琶湖側を走る、県道558号線(高島大津線)「石川町」交差点から少し北に進んだところの右手に【坂本城公園】があります。
ここの駐車場に車を停め、公園内にある案内看板を確認してから、近くにある「本丸跡」「坂本城石垣」を見学しました。
また二の丸跡に建てられた「坂本城址の碑」周辺には駐車場が無いので、ここから徒歩で行くのが良いでしょう。
◆坂本城公園
城址石碑
光秀公銅像
ボランティアガイドによる説明
現地案内板を背に、ボランティアガイドのおじさんが説明をしてくれました。観光客が集まり次第始まりますが、土・日・祝日のみのようです。
琵琶湖畔
公園から砂浜に出ることができ、魚釣りをしている人や波打ち際で遊ぶ親子連れなど、地元の人にも親しまれています。
この浜伝いに本丸跡まで行けるのかボランティアガイドさんに訊いたところ、『芦が水中まで茂っており無理』との事。
一旦県道に出てから、回り込むしかないそうです。
「坂本城の石垣」
琵琶湖が渇水した際水位が下がり、水中に沈んでいた石垣列が露出した時の貴重な写真を見せて頂きました。
この石垣露出写真は2020年某TV番組の中で、城郭考古学・千田嘉博先生がこの地を訪れた際に放映されたものと同じものです。
感動です~\(^_^)/
「御城印」
ナント!!!!!
おじさんに御城印はどこで手に入るか質問したところ『ここにあるよ』って、やっぱりコミュニケーションは大切ですよね。
◆本丸
現地説明板の後方、中央の民家の裏手だそうです。
県道まで出て北へ100mほど、「すき家」の向かいのあぜ道を琵琶湖に向かって歩きます。
途中に案内標識もあります。
琵琶湖畔の波打ち際に到達しましたが芦が水辺まで密集しており、何が何だか分かりません。
意を決して左手の藪に突入!!!
チョット開けたところに出ました。左手には桟橋が見えます。これこそTVで千田先生が指摘していた石垣の場所!!!
さらに藪をかき分け進みます。
◆水中の石垣
今は水位が上がり水没していますが、ここです!!
現在の桟橋の付近でも発見されています。
琵琶湖が最大渇水した平成6年(1994)9月15日、水位は-1.23mを記録。
この際湖底に沈んでいた石垣の大規模な調査が行われました。その結果全長34mに及ぶ石垣列が発見され、さらに石の最下部には胴木(現在でも軟弱地盤で不等沈下が予測される現場に適用される)と呼ばれる丸太を敷き、その上に石を積むと言う工法を採っていたことが確認されました。
本丸跡から琵琶湖眺望
信長が構想した琵琶湖城郭ネットワークが見えてくるようです。
NHK大河「麒麟がくる」
近江坂本城の場面
同、天守内にて光秀と煕子(ひろこ)の場面
築城途中の坂本城天守から二人で琵琶湖を見るシーン。一国一城の主となった光秀と、苦労をかけた妻煕子を労う感動の場面に涙したものです💦
真っ白に光が差し込む天守の先に見えるのは、きっとこんな景色だったんでしょうね。
対岸に見える安土城(白いカントリーエレベータ―の隣に見える山)
◆二の丸、三の丸
ボランティアガイドさんが現地説明で配布している資料より
坂本城本丸と二の丸三の丸
湖畔に突き出た一角が本丸で、中央先端に天守が描かれています。
NHK大河のお城の場面もこれに対応していますね。
先に訪ねた「大溝城」同様船着き場や桟橋があり、水上交通の拠点だったことがわかります。
同配布資料より
「明智光秀を歩く」坂本城を考える会
坂本城址周辺の地図と関連施設(みどころマップですね)
この中で比叡山坂本駅近くにある⑨「聖衆来迎寺」は坂本城の移築門があるほか、宇佐山城の戦いのおり坂本で討ち死にした宇佐山城主森可成の墓がある事でも知られています。
①坂本城址の石碑
二の丸と三ノ丸の境にある中堀の南角、北國街道沿いに石碑が建つ
同
背後の山は比叡山
【坂本城】
《》
名称(別名);
所在地;滋賀県大津市下坂本3丁目
城地種類;水城
築城年代;1571年(元亀2年)
築城者;明智光秀
主な城主;明智光秀、丹羽長秀、杉原家次、浅野長政
文化財区分;なし
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;不明(天守と小天守が推定されている)
※出典、、、
地図;
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