あみの3ブログ

158 福知山城@京都府福知山市 令和二年(2020)10月31日 御霊神社、光秀ミュージアム

市指定史跡【福知山城】



《水堀の総構と石垣で城域を囲む》

〔歴史〕
丹波の土豪横山氏の築いた横山城が前身とされ、天正7年(1579)に丹波を平定した明智光秀が、新たに福知山と命名して横山城の跡地に築城を開始した。光秀の甥明智秀満が城代となり、織豊系城郭として石垣と天守が築かれたという。
天正10年(1582)に光秀が討たれると豊臣秀吉臣下が城主となり、江戸時代には福知山藩の藩庁として有馬氏、岡部氏、稲葉氏、松平(深溝)氏がそれぞれ一代で交代し、朽木氏が13代続いて明治維新を迎えた。

〔縄張り〕
城は由良川と土師川の合流点にある小高い丘陵上の突起部に築かれ、東側は川を利用した大堀、西側には堀と土塁、南側は堀切、そして北側は由良川を堀と見立て、城下四方を防御する総構の城として築かれた。石垣が積まれたのは主郭部のみで、山城的な石垣地区と、平城的な水堀地区の両方を備えた平山城であった。
※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)

明治6年(1873)の廃城令により天守付近の石垣や銅門を残し、福知山城はその大半が失われました。しかし、昭和に入り市のシンボルとしての城再建の機運が高まり、市民による「瓦一枚運動」等もあり、有馬豊氏から松平忠房のころの絵図資料を参考にした3層4階の望楼型の大天守と2層の小天守が昭和61年(1986)再建整備され現在に至っている。、、、福知山城パンフレットより抜粋


【見どころ】
天守は小高い丘の頂上に建っているので、市内からよく見える。

市役所の辺りからは城の西面、大天守と小天守の裏側が連なって見えます。



ぐるっと回って福知山城公園からは城の東面、天守と小天守の正面が連なって見えます。



こちらは山陰本線ガード下から見た南面、大天守の陰になって小天守は見えません。



いよいよ登城
福知山城公園から、昇龍橋越しの天守



東側正面には天守閣内への入り口(資料館)
外のテントはコロナ対策で受付と消毒



西側裏面からは小天守も視界に入って美しい



「城門」




「豊磐井」(とよいわのい)
この井戸は城主であった朽木稙昌の父朽木稙綱の神号「豊磐稙綱命」にちなんだものである。井戸の深さは50mあり、海面下7mに達する。高所に関わらず水深37mもあり、現在も満々と水をたたえている。伝承ではこの井戸に抜け穴があり、二ノ丸の北側の対面所裏にあった横穴に通じていると言い伝えがある。第二次世界大戦前まで二ノ丸の北側に深い洞穴があったようだが、奥が行き詰っており氷室であったという指摘もある。



「銅門番所」(あかがねもんばんしょ)
福知山城の銅門(市役所の東側)にあった番所で城内の建物として当時を忍ばせる。
昭和59年天守閣再建に伴いこの場所に移築された。



【石垣】
1873年(明治6年)の廃城令で建物や堀、石垣もかなり失われてしまい、遺構としては天守台と本丸の石垣が残されるのみとなった。石垣は、「野面積み」「乱石積み」「穴太積み」と呼ばれる自然石をそのまま利用されている方法で積まれている。石材の加工と用い方は「野面積み」、角部の積み方は「算木積み」、勾配としては、基底部は傾斜が緩やかで段々傾斜を増していき、上部はほぼ垂直になる「扇の勾配」と呼ばれている。また宝篋印塔、五輪塔などの石造物が大量に使用されており、「転用石」とも呼ばれている。一辺が62cmと大型の石材もあり、相当の寺院や墓所を破壊して石材を調達したことがうかがわれる。点数は現在発掘調査により増加しているが、おおよそ500点で、五輪塔が約250点、宝篋印塔基礎が約35点となっている。種類としては、宝篋印塔、五輪塔の他に、一石五輪塔、石仏、笠塔婆、石臼等があり、これらは現在も石垣の部材として使用されている。福智山城以前の横山城時代の山城やその関係寺院、三岳山周辺の寺院を破却したとの伝承がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


本丸石垣



この階段は城門に通じている



大天守の石垣



隅部は算木積み
色んな転用石が数多く用いられている



野面積みの自然石の間に転用石が組み込まれています



南西面の石垣
隅部の算木積み、自然石を加工するより転用石を組み込んだ方が合理的。という考え方が伝わってくるようです。



北面、小天守の石垣



【福知山城石垣の転用石】
天守閣の石垣は「野面積」「乱石積」などと呼ばれる技法で、未加工の自然石が積み上げられています。また五輪塔や宝篋印塔をはじめ、石仏、石臼、灯篭などの石造物が大量に石材として利用され、これらは転用石と呼ばれています。転用石の大量利用例としては、福知山城や大和郡山城に見られます。再建時の発掘調査で500個余りが確認されています。なかに「延文四年」(1359)銘の五輪塔地輪(転用石の年号銘では最古)や、「天文十年」(1541)銘の五輪塔地輪(天守閣地階の階段に転用)があります。また宝篋印塔の塔身、基礎、基壇と、この地域の優れた石造品を窺い知ることができます。
、、、現地説明板

西側の転用石置き場



北側の転用石置き場



NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の中で、織田信長が将軍のために二条城を築城する場面がありました。「工期を短縮せよ」との信長の命で、石垣に使う石材としてお地蔵様が持ち込まれ、それを見た明智光秀が何とも痛ましい複雑な表情を浮かべるシーンがありましたね。
でも結局自分の城でも同じことをしているわけで、この辺の心境の変化も面白いところです。

因みに安土城に登城した際、階段の石段に「墓石」が転用されており驚きましたが、この時代には珍しいことでは無かったのですね。





【天守閣内部】(歴史資料館)


4階展望所


北東方向、由良川に架かる「音無瀬橋」


東方向
由良川と土師川の合流点、山陰本線の鉄橋も見える


西方向
市役所から市内の町並み






【福知山城】
《丹波平定を果たした明智光秀が築く》

名称(別名);
所在地;京都府福知山市字内記5
城地種類;平山城
築城年代;天正7年(1579)ころ
築城者;明智光秀
主な城主;明智氏、有馬氏、岡部氏、稲葉氏、松平氏(深溝)、朽木氏
文化財区分;市指定史跡
近年の主な復元等;昭和61年(1986)天守を再建、内部は福知山市郷土資料館
天守の現状、形態;鉄筋コンクリート3層4階望楼型天守、2層小天守

※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;







【福知山光秀ミュージアム】


NHK大河ドラマ「麒麟がくる」放送延長に伴い、開館期間を2021年2月7日(日曜日)まで延長決定! 公HP→こちら


1階は佐藤太清記念美術館
2階に「麒麟がくる」NHK大河ドラマ企画展
~明智光秀丹波を翔る~
第1章から4章にテーマを分けて資料や写真を展示。
ドラマの中で「お駒ちゃん」が着ていた着物が展示してありました。



佐藤太清記念美術館内
住所;京都府福知山市字岡ノ32-64(福知山城公園)
電話;0773-22-1010
開館時間;9:00~17:00(入場は16:30まで)
大人 500円 福知山城セット料金700円
子ども250円 福知山城セット料金300円
駐車場;福知山城公園駐車場



【御霊神社】
本来は五穀豊穣・商売繁盛の神として崇められてきたが、御霊神社の名前は明智光秀を祀ったことに由来している。
丹波平定後は城下に流れる由良川と土師川の合流点に堤防を築いて川の氾濫を防ぎ、城下町を整備するなど町民から慕われていた証拠と言えます。(後の福知山城主朽木氏の許しがあったればこそとも言えます)


例によって早朝に福知山入り。福知山城の登城前に、入場時間制限のない施設から先に観て回りました。

朱塗りの拝殿は耐震化で近年建て替えられた模様。


唐破風には明智の家紋「桔梗」
本来は「水色桔梗紋」(土岐氏の流れ)ですが、こちらは金色に輝いています。



拝殿と本殿



本殿の欄間には武者飾り



名称;御霊神社(ごりょうじんじゃ)
住所;京都府福知山市西中ノ町238
電話;0773-22-2255
駐車場;あり 隣に『福知山パーキング』もあり
地図;
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