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あみの3ブログ

直峰城@新潟県上越市安塚区 2022年10月1日

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直峰城は、築城時期は不明ですが、南北朝時代(1335~1392)、南朝方の雄将風間信濃守信昭公の居城でした。中世の典型的な山城で、標高344m、自然の地形を巧みに利用して作られた堅固なものです。
 上杉謙信公の時代には、春日山城から関東へ抜ける要衝であり、謙信公は関東遠征の際、一泊目の宿泊地としたとも伝えられています。
 謙信公が四十九歳でこの世を去ると、養子の景勝と景虎が跡目を争った「御館の乱」が起こり、春日山城・直峰城を抑えた景勝が勝利しました。景勝は、大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続の実父の樋口惣右衛門兼豊を天正12年(1584)御館の乱の功績により、直峰城の城主としました。
 直峰城は、徳川時代になり、廃城となりましたが、今も大規模な空堀や曲輪の跡、2Kmに及ぶ敷石の道(旧三国街道)などが残り、樹齢800年と言われている大ケヤキが歴史の流れを伝えています。

場所は新潟県上越市安塚区坊金
県道253号線(ほくほく街道)「浦川IC」下車、県道43号線へ右折。「高田高校安塚分校」から約450m先の「安塚交差点」を左折、国道403号線に入る。そこから二つ目の「S字カーブ」で左に入る側道(林道)がありますが、看板が引っ込んでいるので見逃しやすく「旧三国街道」の案内板まで行くと行き過ぎです。引き返してくると初めて「直峰城登城口」の看板が見えてきます。
この林道を終点まで登ると「直峰城駐車場」です。



広い駐車場の隅にトイレが併設されています。



「直峰城跡パンフレット」はトイレ内の洗面台に設置されています。(※両方確認要ですw)





大手道
整備された遊歩道



駐車場からはもう一つ、搦手道もあります。
絵図をみると、この先の尾根筋には大きな空堀がいくつもあるようですが、誠に残念ながら大腿四頭筋の痙攣でギブアップです💦😿



駐車場トイレ建屋に掲示されている案内板より



パンフレットより



家臣団屋敷跡



宅馬屋敷



池田屋敷



水の手か?



上杉屋敷



二の丸



二の丸からの眺望



米蔵削平地
絵図によると、ここから搦手道が尾根筋にあって、大きな堀切が連続しているようですが、どこから降りて行くのかわかりませんでした。
というか、筋肉プルプル状態で積極的に探したく無かったのです(笑)
もし見つけても絶対降りて行くことができなかったからです(;^_^A アセアセ・・・



米蔵案内板




大ケヤキ
推定樹齢800年で天然記念物に指定されています。
鎌倉時代・南北朝・戦国期の動乱期、城の歴史の一部始終を見ていたんでしょうね。



空堀



本丸





築城年代は定かでないが、南北朝時代に風間信濃守信昭という武将が城主だったそうで、その顕彰碑が建立されています。



本丸虎口
発掘調査によって石垣が出土したそうですが、豊臣政権下で上杉氏にとって代わった堀氏の家臣、堀伊賀守光親が城主をしていたころのものと思われます。



本丸に自生する「矢竹」
弓矢の矢に加工して使ったそうです。



上杉謙信が生涯十数回にわたって関東遠征をした山越え。謙信は最短ルートで行く軍用道路「上杉軍道」を整備したそうです。
それが今でも添景寺墓地付近から城の腰付近に残っているそうで、リベンジした際には堀切と共にぜとも歩いてみたいものです。
もちろん、事前の準備運動を万全にしてからですよね(^^)/


※参考、、、現地説明板、公式パンフレット他

【直峰城】
《のうみねじょう》

名称(別名);
所在地;新潟県上越市安塚区坊金
城地種類;山城
標高/比高;344m/270m
築城年代;南北朝期?
廃城年代;1610年
築城者;風間信昭?
主な改修者;
主な城主;風間氏、上杉氏、吉田氏、小日向氏、樋口氏、堀氏(堀光親)
文化財区分;県指定史跡
主な遺構;土塁,郭,堀
近年の主な復元等;
地図;
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