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【歴史】
築城年代は定かではないが、長享元年(1487)に今川氏の後継者を巡る対立を解決した伊勢盛時(北条早雲)は興国寺城に入った。盛時はここを拠点に伊豆の堀越御所討ち入りをしたといい、伊豆侵攻後に派、韮山城へ本拠を移した。その後、興国寺城のある東駿河は北条氏、今川氏、武田氏が奪い合った。江戸時代には徳川家康の家臣となっていた天野康景が興国寺城藩を立藩するが、慶長12年(1607)に改易され、城は廃城になった。
【縄張】
城は、愛鷹(あしたか)山南麓の舌状に張り出した尾根の先端部に築かれていた。この地形の特徴から本丸の南側に二の丸、三の丸が直線的に並び、本丸の北側には石垣と伝天守台、さらにその北側には大空堀で遮断された北曲輪と呼ばれる曲輪が配置されていた。 また、本丸の東側には谷を隔てて清水曲輪が配されていた。
【場所】
静岡県沼津市根古屋
東名高速愛鷹(あしたか)スマートIC下車、沼津市内に向かって約1.5Km進み、県道22号線(根方街道)の交差点を右折します。高橋川を渡りスルガ銀行沼津青野支店前を通過、根古屋交差点手前右側が城址・駐車場となります。
駐車場からさらに上段に向かって細い農道を進むと三の丸北側の駐車場に行くことができます。
【遺構】
「三の丸」
南西部と県道22号線で分断された南側
南側作平地の奥から右手には土塁の痕跡が見えます。

三の丸東側
土塁が築かれ一段高くなっています
三の丸では発掘調査の結果、柱穴群が確認され建物群があったと考えられます。

三の丸北側(駐車場)

「二の丸」

本丸から二の丸、三の丸と続く作平地(本丸土塁上から撮影)
二の丸と本丸の間には、発掘調査の結果「本丸虎口門跡」が確認されました。

「本丸」
本丸跡地に建つ高尾山穂見神社(幕末)

神社背後の本丸土塁

本丸土塁上にある伝天守台(16世紀末から17世紀初頭)

伝天守台石垣

本丸土塁西側
西櫓台

「北曲輪」
本丸土塁と大空堀を挟んで築かれた北曲輪
北曲輪の北側(新幹線で分断された辺り)では発掘調査の結果、空堀が確認されています。


「大空堀」
伝天守台の北側には幅約30m、深さ約20mの巨大な堀が城を守っています。


大空堀に降りてみました(中程)

同、西側は景色が一変し、荒々しい土と岩がむき出しとなっていた。

侵食谷の深さと谷壁部分の急斜面という天然の要害を利用した構造や、天守台は豊臣期のものと考えられています。

西端

大空堀東端 (本丸土塁上より)
二重堀切のように中央に土塁上の盛り土が見えます。

北条期、今川期、徳川期、豊臣期とそれぞれの時代背景で改修され役目を果たしてきたが、その役割も低下し慶長12年天野氏の改易により廃城になりました。
【まとめ】
城の南は県道が通り、北の端には新幹線通って分断されている。県道側から見ると小さな杜にしか見えないが、本丸土塁と背後の急峻な谷を利用した大空堀は迫力があります。
北条早雲、今川氏、武田氏、徳川氏、豊臣氏が取ったり取られたりの歴史の中、穴山梅雪も絡んだりして興味深い城でした。
またここで買い求めた御城印は沼津西高校書道専攻の女子生徒さんが、街おこしのために制作したとのこと(沼津四大城御城印プロジェクト)そりゃあ買うよね~

ヤマップ工程データ

ヤマップ3D

【御城印】

販売所:野崎園 沼津市根古屋473 (自分はこちらで購入しました)
お茶の興国園 沼津市井出103
S.Kimura 沼津市根古屋175-1
【興国寺城】
《関東に王国を築いた北条氏旗揚げの城》
名称(別名);杜若城(かきつばたじょう)
所在地;静岡県沼津市根古屋
城地種類;連郭式平山城
標高/比高;35m/20m
築城年代;不明
廃城年代;慶長12年(1607)
築城者;不明
主な改修者;
主な城主;北条氏、今川氏、武田氏、松平氏、天野氏
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;石垣、土塁、空堀、曲輪、天守台
近年の主な復元等;22年度より復元工事
※出典、、、続日本100名城公式ガイドブック(学研)
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