富山城郭カードは→こちら
周囲を土塁が囲み、北東側に深い谷が残る戦国末期の典型的な平山城である。
一向一揆の拠点になった瑞泉寺は寺の周囲に土塁や外堀を築いて防御した。しかし天正9年(1581)に(織田信長の命で)佐々成政に攻められて町家と共に兵火にかかった。
その後成政の家臣前野小兵衛が入って城として整備された。阿弥陀堂跡が本丸となり、祖師堂跡が二の丸、太鼓堂跡が三の丸になったと記録にある。まもなく天正13年には前田利家に攻められて落城した。
城の規模は、東西250m南北230mで城としての遺構がいまよく残っている。現在は本丸跡に井波八幡宮の社殿、その東側に庭園のある臼浪水、そして二の丸跡には招魂社の社殿がある。
構造の特色、南半分は直線的に折れ曲がる土塁と堀を巡らす。これは横矢をかけるための備えであり、すでに山科本願寺にも例が見られる。
、、、現地案内板(南砺市教育委員会)
場所は富山県南砺市井波町井波
「井波彫刻」が有名で、古い町並みの「八日市通り」の突当りに「井波別院・瑞泉寺」があります。→こちら
その隣、瑞泉寺旧地に建つ「井波八幡宮」の辺りがかつて「井波城」があった場所です。
当日の行程を縄張り図で示します。(越中中世城郭図面集Ⅲ)
井波別院瑞泉寺を目指し、その左手方向に行きますと「いなみ公園」「井波八幡宮」への分岐の案内看板が現れます。
右手の階段を登ると「本丸」「三の丸」(現在の井波八幡神社)
中央の小径を登ると「二の丸」(現在の招魂社殿)
「本丸」(現在は井波八幡神社)
写真は二ノ丸から本丸方向
城郭全体は全周を土塁と堀で囲み、本丸は二の丸奥にあって小高く盛り土された削平地に建つ。
隣には「臼浪水」が建ち、ほぼ四角の直線的曲輪で城郭の南西部分に位置している。
本丸の西側土塁
八幡神社西側の石段を登ると土塁上の遊歩道に出ます。
「南西隅櫓跡地」
井波八幡宮本殿裏から南側土塁上に登ります。
土塁上に櫓台と思しき台地発見!
他にも2か所、都合3か所に隅櫓があったそうですが、この南西隅櫓跡が唯一立ち入ることができました。
ここから南面土塁上を東方向に歩いていけば南櫓台に行けるはずですが、藪が行く手を拒み、ワタシの心も折れましたので一旦本丸に戻ります。
土塁を下りた先には本殿隣に建つ臼浪水の庭園がありました。現在の前庭と違い旧の庭園らしく、荒れ果てた感じです。
こちらは臼浪水の中庭です。東屋と手入れの行き届いた庭園に癒されます。
それとは対照的な臼浪水正門に繋がる石垣
これが井波城当時の石垣なら凄いのですが。。。(;^ω^)
「二ノ丸」(現在の招魂社)
城郭の東側に位置する広大な曲輪。
現在の招魂社の大鳥居をくぐると広い庭園と、さらに鳥居を構えた本殿が建っています。
現在は二の丸と本丸の間を道路が貫き、旧町内から井波バイパスに抜ける生活道路となっています。
当時、二の丸から本丸と三ノ丸に通じる虎口がその辺りにあって「升方」を形成した枡形虎口だったそうですが、今は見る影もありません。
「二ノ丸石垣跡」
招魂社参道の大鳥居をくぐってすぐ左手に歌碑の石碑が建っていますが
その裏手にある土塁に石積みが見られます。
石塁と言うより、土塁の崩落を防ぐ目的だったのでしょうか?
瓦石を積んだ野面積ですね。しかし、ここだけに残るのはぜでしょう?
「三の丸」(現在井波八幡宮の神主さんの居宅)
その神主さんとは、何を隠そうあの綿貫先生
自民党幹事長、衆議院議長も務めた、元政界の実力者のご自宅なんです。
城郭の北西部に位置する、本丸下段の曲輪。
写真、石段正面を登ったところが井波八幡宮
左手が旧三の丸
中央の土塁を挟んで右手の道が城下からバイパスに抜ける脇道
外周を取り巻く土塁
三の丸から本丸にかけての土塁外周面
ここから二の丸と本丸の間を通る道を抜け、南面にあるという隅櫓を探しに行きます。
鬱蒼とした森に包まれた南面土塁。真ん中にぽっかりと空いた生活道路は堀切のようにも見える(笑)
しかし、目指す隅櫓はこの藪の中なので断念。
次に南東面にある隅櫓跡ですが、バイパスに出て外周から工場敷地を特別な許可を得て(現場のおっちゃんに声を掛けましたw)通り抜けさせていただきまましたが、先ほど同様酷い藪の中で断念。
その辺りの雰囲気は伝わりました。(;^ω^)
せっかくなので城郭土塁をぐるっと一周することにしました。
南東隅から東面にかけて、公園が整備されています。川を取り込んだ彫刻と水のある公園で市民に愛されている場所の一つですね。
公園の滝
城郭の東面土塁にある谷筋からの排水路に石積み発見!
昭和の石積みか?(;^ω^)
公園を抜け城郭北東面の土塁
公民館が建つ裏の急斜面は土塁です。というか土塁の上に公民館を建てたんですね(笑)
この城跡は瑞泉寺が創設された場所で、越中一向一揆の拠点だったそうです。
小矢部市末友の安養御坊は元の勝興寺で、一向一揆の総本山的な位置づけでしたが、どちらも戦国武将の手で落城しました。
しかし戦略的見地から和睦と衝突を繰り返しながら戦国の世を乗り越え、宗教本来の姿を取り戻すことにより今日まで生き残ってきたと言えるのではないでしょうか?
安養御坊(安養寺城)の記事は→こちら
勝興寺(府古府城)の記事は→こちら
【井波城】
名称(別名);いなみじょう(利波城)
所在地;富山県南砺市井波町井波
城地種類;平城
標高/比高;
築城年代;16世紀
廃城年代;天正13年?
築城者;瑞泉寺
主な改修者;佐々成政
主な城主;佐々氏
文化財区分;南砺市指定文化財
主な遺構;曲輪、切岸、土塁、横堀
近年の主な復元等;
※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;
【日本遺産】
木彫刻のまち 井波
「井波別院 瑞泉寺」
山門
唐門
石畳みの古い町並みの突当りに見える山門と石垣
まさにお城です
門前町へと続く石垣
石畳みの古い町並み「八日町通り」
酒屋さんの看板も井波彫刻です
車で来たら八日町通り入り口にある「交通広場・観光案内所」のコインパーキングがお勧め。券売機で前払い制です。
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