1980年5月:「急きょ沖縄へ」仕事で九州福岡へ。
某銀行のオンライン本番開始の立会い。
本番開始と言ってもリハ-サル数回実施済みとかで特に事前問題はなかった。
当然何事もなく、本番当日の朝の立ち上げを見て終了となった。
予定通り立会いを終え、連休前と言うこともあって急きょ沖縄に行ってみることにした。
沖縄は梅雨に入っており曇りとチョッピリ残念でもあった。
沖縄についてから、先ずケラマ諸島に行こうと思い泊港に行った。
ケラマ行きは一日に一便しか出ていないとかでNG。
急きょ民宿を探して泊まる事にした。
夜は初めて来た沖縄の町をブラブラ見学して回った。
町そのものは都会そのものであり横浜の町と大差ないようにも思えた。
見学していて特に風変わりな通りがあった。
国際通りの丁度中間に位置し、平和通り、又は市場通りとも呼ばれている。
通りに入った途端、人の波又波であった。
まるでお祭りのようである。
人込みの中をドンドン入って行ったが人又人でごった返していた。
いろいろなお店が出ていてまるでお店の展覧会である。
横道に入ってみたが、これが又お店々々できりがないと言った状況。
横道は道幅が2m前後の所が多く人が通るのにギリギリといった所もある。
店は、叔母さんが主体で顔色は日焼けして黒く健康そのものである。
品物は、野菜や肉をはじめ見た事のないような海産物が次から次と並んでいた。
皆元気がよく活気が溢れすさまじいような雰囲気であった。
以前これと同じような情景を見た思いがある。
映画「ブルースリー」の香港での市場通りによく似ていた。
小さな店の集合体で、まるで蜘蛛の巣のようである。
横道に入ってよく見ると小さな店が一つ一つ独立しており迷路のように道が入り乱れている。
初めての沖縄であり所構わず見学して回った。
「首里の町」
翌朝早くから沖縄の歴史の町と言われる首里の町を散歩して回った。
首里の町とはよく名付けたものである。
歴史そのものが残っており、沖縄のイメージがそのまま残っている。
最初に博物館に行き沖縄の歴史を勉強した。
歴史によると首里は城下町であり王様の都であった。
それから、弁財天堂、円覚寺総門、更に守礼門を見て回った。
守礼門では大学の女子学生がアルバイトで琉球舞踊の衣装を着て記念写真を撮っていた。
それから、首里城跡に行ってみたが、城跡には琉球大学ができており城跡の面影さえ見当らなかった。
城跡と言えるとすれば地形が抜群によい所で那覇市が一望できるところにある。
お城の条件としては地理的によいと言える。
首里としての歴史的な位置付けはすべて石畳通りであるといえる。
石畳通りは200m位の通りでこの間の家が皆石造りであり通りとの調和が見事にピッタリと合致していて大変素晴らしい。
更に高台から那覇市を眺める事ができ、景色が何とも言えない南国の国に来た感じがする。
最後に、玉陵と言う沖縄のシンボルの一つと言われる琉球建築の傑作を見学した。
王家の墓陵と言われているが、広い庭のような真っ白な広場に威厳らしき物さえ感じられた。
白さで思い出したが、那覇市を一望したとき市そのものが真っ白であった。
ヨ-ロッパのローマとかナポリの風景写真で見たことのある景色とそっくりである。
やはり南国の国と言う気候のせいであろうか。
今日はここ数日ぶりで晴れ間が覗き散歩が出来る状態になったとか。
天候には恵まれたと言える。
「ケラマ」
夕刻前にケラマ諸島行きの船に乗る。
待望のケマラへ、船から眺める那覇市は、梅雨と言うこともあってか、白い町並みと、梅雨のため独特の流れるような早い雲の動きで時々ではあるが真っ白な雲が覗き見、サラッとした早い動きの雲や、ドッシリとした重い雲といった具合に大変変化に富んでいた。
ケラマでは渡嘉敷島に下船し、二泊の予定でいたが二日目は天候が悪く朝から雨模様であったため一泊で帰る事にした。
ケラマは旅行案内等によるとコバルトブル-の海、熱帯森林といったものが実に素晴らしいとの評判であった。
事実その通りで、眼前にそのものズバリの景観が展開している。
渡嘉敷島の港に入ってから民宿のバスで阿波連に行った。
阿波連のビーチでは数人の人が泳いでいた。
ビーチは真っ白な砂浜で足跡さえない。
歩くとサンゴの砕けた小石の集まりである白く美しい砂に足跡がくっきりと残りまるで版画を見ているようである。
砂浜に沿って岩山の当たりを散歩して回ったが誰にも会わなかった。
ビーチで島の人に2~3人会った程度でひっそりとしている。
季節柄海水浴にはまだ早いのか梅雨時期のためか寂しくひっそりとしていた。
自然植物園のビロ-樹園は南国特有のもので南国ム-ド一杯である。
民宿、このビーチでは最も大きく最初から大きいところは余り気乗りがしなかったが、悪い予感がした通りで小部屋の4畳部屋で単に寝るのみ、衣紋掛けさえない。
食事はへんぴな島であるが島特有の魚類の料理でたんのう出来た。
夜は静けさそのもので、虫の音色の大合唱で一層寂しく感じた。
何種類もの虫の音色である。
想像がつかない位色々な聞いたことのない虫の音色であった。
辺境の地に来たと言った実感がひしひしと湧いてきた。
三日目、
曇天。ときたま子雨が降る。
午前中何もする事がなく林道遊歩道を散歩した。
片道4kmの道程であったがヒトッコ一人会わなかった。
道中は亜熱帯植物の生い茂る林道でどこまで行っても目を見張る素晴らしい景観であった。
林道を超えると磯釣りの名所と言われる裏海岸にでた。
やはりここでも誰にも会わなかった。
一人しかいないので大声でヤッホ-と叫んで見たが何の手応えもなかった。
チョッピリ不気味な感じさえして来る。
沖縄はハブが多いと言われているので、そのことが頭に浮かんで林道の山道を散歩ム-ドで歩いてはいたが心配であった。
ハブとまではいわないとしても何かしらの蛇がいるのではと思うと緊張しビクビク物であった。
トカゲのようなヤモリのような真っ黒な物を何度か踏みつぶしそうになってその都度ビックリ。
野鳥もほんの2~3m手前に来たところで始めて飛び立つため鳥より私の方が驚いてしまう。
やはり私も都会人になってしまったのだなあと実感した。
自然の道を歩いてビクビクするようではダメである。
夕方の便で那覇市に戻った。
那覇では、沖縄の味の散策をしに、泡盛(古酒)の飲める店に入った。
お店はこぢんまりとしていて古い民家造りの店で泡盛と濃くのある淡泊な琉球料理を味わった。
綾門料理と言い値段が3千円、なかなか濃くのある料理で泡盛に丁度ピッタリした感じである。
程好く酔いもまわりよい加減になり旅館に戻った。
四日目、
午前中は時間的に余裕があったので海軍豪と豊見城公園に行って来た。
海軍豪は戦時中の豪を再現させたと言うことであるが、まるでアリの穴のようである。
地理的には那覇市が一望出来景色としては抜群によいところにある。
すぐ近くに豊見城公園がありこの公園の亜熱帯植物が全て自然のままあったかの如くおおい茂っている様はさすがに見物である。
昼の航空便で一路東京へ。
空港では、サンダルを履き背広姿の人は他には見あたらなかった。
サンダル等現地調達で何も持っていない旅であり、仕事のついでに一寸沖縄に寄ったという気持ちであり、行き当たりバッタリの旅であった。
このためビジネスと遊び姿の旅スタイルとなってしまったが、個人的には気にいっている。