「神との対話」の実践

「神との対話」の実践

自制

2018-04-16 23:22:57 | スピリチュアル
次女のお弁当生活が始まりまして
ちょっぴり忙しくなりました。
昨日は少し楽になるのかなと
思って作り置きを何品か
作りましたが
結局すぐに消費されてしまいました。
やっぱり子供3人いると
食べますね。

でも、我が家の燃えるごみは
とても少なくて
コンビにの袋で12号くらいの袋で
3日間の用が足せます。

糖分も少し控えるようにしました。
なるべく蜂蜜原料のお菓子を
食べています。
近くにはちみつのお店、ラベイユが
あるので上質のお菓子が頂けます。

体長もすこぶる元気です。
神から与えられた肉体
大切に維持しないとなりません。
それが自分のためにもなるから。
まして、
将来、子供のお荷物にならないためにも
自制が必要です。

本当、今の物質社会では
いかに自分をコントロールし
自制ある行動をとるかですよ。

誘惑はいっぱいあるから。

最近のごはん

2018-04-12 19:09:26 | スピリチュアル


最近の
ごはん
オイシックスで買ってからその
野菜のおいしさにびっくりしています。
それで玉ねぎを切るときも
少しどきどきします。

きれいな野菜なので
真摯にこちらも
向き合わないといけない。
やっぱり一週間に一回だから
どういう配分が必要とか何が必要とか
考えないといけないので
まだちょっと考えてしまう。
難しい部分があります。

先日、娘の入学式が
新高円寺で行われ
セシオン杉並で行われました。

行く前に通り道でみつけた
洋食屋さんが気になったので
帰り際に立ち寄ってみました。

私はカジキマグロのステーキ
おろし添えを頼みました、
ミネストローネスープも
スープから作っているし
サラダもドレッシング手作りだし
私はおいしかったのですが
娘は味が合わなかったみたいです。

娘はハンバーグ頼んだのですが
上にりんごの赤ワイン煮がのっていて
ひじき煮とかなますとか大根が煮てあるもの
が添えつけられており
なかなか和洋折衷感が
すごかったです。

私はおいしかったので
また近くに行ったら
寄りたいと思いました。


びわこタオル

2018-04-09 21:00:13 | スピリチュアル

最近
食器の洗い方を変えました。
今まではとにかく
泡立ち優先で
台所用石鹸で苦労して泡立たせ
一回スポンジで下洗いしてから
二回目泡立たせて洗うという
なんとも面倒くさい作業しておりました。
むかしは脅迫神経症で
円を描くように磨かないと
気が済まなくて
食器を洗うのに
一時間以上かけておりました。
なんともクレイジーです。

そんな私を「びわこタオル」が
救ってkれました。
今でも、一回目は下洗いしますが
その後はお湯とびわこタオルで
洗い流すだけ。

油汚れもきれいいに落ちます。

もともと
YOU TUBEで
整体師の方から、教えてもらいました。
その方から色んないい情報を
得ることができました。

石鹸を使わないことで
経済的だし、排水口のドロドロも
心配いらないし
とにかく

環境にいい!
 
みなさんも是非試して下さい。
私達の自然のために。

プリーチャー

2018-04-07 20:27:31 | スピリチュアル
またまたあらたにはまったアメリカのドラマ、
プリーチャー、牧師という意味らしいけど
詳しいことはわからない。

アメリカの同名のカルトコミックを
ドラマにしたらしいですが
さすが、はちゃめちゃ
最初はただグロいだけのものかと
思ったら、結構深い
すごく行きかたに影響されます。

もっと自分は自由に生きて
いいんじゃないかと思う。

窮屈な日本で
本音を出して生きていくことは
あまりよろしくないって
言い続けられているけど
人を蹴っ飛ばしたいときは
自己責任において
表現してもいいと思う。
蹴っ飛ばしたいのは
相手がその理由を作ったのだから。

というわけで
今日は本当に腹が立って
相方を蹴った。叩いた。
相手は全然痛くないだろうけど。
もう、うんざり。

彼は脅迫観念が強いけど
同じことを
何回も何回も言われ続けられたら
わたしの頭が腐っちゃう!

苦しみからの解放

2018-04-05 21:45:47 | スピリチュアル
父が亡くなってから、私には変化が起きた。
父が亡くなる前、あれほど父の死の訪れに悲しみ憂えていたのに
いざ、父が死んだら全然悲しくない。時々寂しく感じるけど。

父の死で、私は何故か自分がポジティブに変化したことに
気付いた。
父が私の悲観的でネガティブな精神を上げてくれたのだろうか。

何をするにも過去にこだわり、自分の失態や今の現状に
不満を持っていた私の精神のそういう部分が
無くなったのである。
いつもひとりぼっちに感じていた心も
今は、父のためにも
もう、幸せになろうって決心した。

下着を下洗いしたり、
ご飯のあとの食器の片付けにも
過去にこんなことがあったと
思い出し
ちっぽけなことを悔やんでいたのに
今は思わない。

そもそも、自分の楽しいことと
しなければならないこと
嫌なことの
境界線が消えている。

やっと、苦しみから解放されたのである。
それが父のおかげだったら
自分であげたことではないので
ちょっと悔しいけど…