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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2020 その4

2020年02月13日 | 高校野球

ノムさんの訃報など、
衝撃のニュースが駆け巡った今週。

今日は通常軌道に戻って、
思いつくまま、気の向くままの連載記事第4回、
『首都圏編』です。

関東の6チーム、この記事を始めた4年前から必ず1度はセンバツに出場した学校ばかりですので、
前回の記事でほぼ書きつくした感はあるのですが、多少の加筆を加えて今年の記事としようと思います。


≪選抜出場校の思い出 4≫

関東代表   花咲徳栄(埼玉)   5度目(4年ぶり)
                 夏7度出場 優勝1回   甲子園通算 15勝10敗   

2017年夏に全国制覇。その後も18年、19年と連続して夏の甲子園を掴んでいる花咲徳栄は、名門としての地歩を着実に固めています。強くなってきた当初からしっかりとしたエースががっちりとマウンドを守る野球は健在ですが、そこに近年は振りの鋭い強力打線が絡むようになってきていて、投打にスケールの大きい戦いをするチーム構成になってきています。優勝した3年前の夏も、前評判はさほど高くなかったものの甲子園で波に乗って快進撃を続け、頂点に立ちました。花咲徳栄はそういうチームだと思います。ひとたび波に乗ると、頂点まで駆け上がる力は十分に持っており、今年のチームも秋は戦績を残せなかったものの、期待値は大きいはずです。例年完全に夏にピークを持って行くという「夏狙い」のチームではありますが、この春はいやな事件を払しょくする甲子園での活躍を期待しています。

前回の記事 ⇒

花咲徳栄は、今でこそ埼玉を代表するチームとなっていますが、その登場からはまだわずか15年、新世紀に登場したチームです。初登場は01年夏。しかしその2年ほど前に、突如春の関東大会で優勝を飾り、初めてのその名前を目にすることになりました。スカイブルーのさわやかなユニフォームを身にまとい、激戦の埼玉の高校野球界にさっそうと登場したこのチームは、01年にも春の関東大会を制覇。そしてその夏、初めての甲子園の土を踏むことになります。その初陣の大舞台初戦、名門宇部商に対して花咲徳栄は、打って投げて、伸び伸びと暴れまわり12-0と圧倒。鮮烈なデビューを飾りました。そして最も輝いたのは、03年春。好投手の福本を擁してセンバツ初出場の花咲徳栄は、存分にチームの力を発揮して8強に進出。そして『伝説の名勝負』である東洋大姫路戦を迎えました。東洋大姫路にも注目の好投手・アンがいて、福本―アンの投げ合いは甲子園のファンを魅了しました。延長15回引き分け再試合の末、その再試合でも延長にもつれ込むという大激戦。最後の最後、福本のワイルドピッチで試合が決まるという悲劇の終幕ということも相まって、この試合はファンの心に深く刻み込まれました。もとより埼玉出身のワタシ。この試合はワタシの中の、『埼玉勢名勝負数え歌』の一つに刻み込まれた戦いとなりました。花咲徳栄を23年にわたり指導する岩井監督の下、いよいよこの辺りから、チームもピークを迎えてくるのではと思っています。01年~03年のセンセーショナルな”甲子園デビュー”のころに感じた鮮烈な印象、最近はやや薄れつつあります。ライバルである浦和学院に押され、後塵を拝しているという感もなくはないイメージなので、昨夏の甲子園8強の余勢をかってこのセンバツでも上位進出を果たし、名実ともに『徳栄時代』を築くきっかけにしてほしいと考えています。



関東代表   東海大相模(神奈川)   11度目(2年ぶり)  優勝2回 準優勝2回
                   夏10度出場     優勝2回 準優勝1回  甲子園通算 42勝17敗

いまや横浜高校に代わって神奈川高校野球界の顔になりつつある東海大相模。長い苦難の道を通り抜けて数多のスター選手を生み出したこの「元祖タテジマ」の好チームは、脂の乗り切ってきた門馬監督の下、甲子園にやってくるときは必ず優勝候補の一角として乗り込んできます。21世紀に入ってからの20年で優勝3回、準優勝1回、4強1回の戦績はすべて門馬監督の指揮のもと。同級生である「21世紀高校野球界の盟主」大阪桐蔭の西谷監督を追って、「東の横綱」格として毎度甲子園に臨んでいきます。大型チームという事では大阪桐蔭に引けを取らないとも思いますが、東海大相模というチームにはしばしば「まさかの負け」という試合も見られて、そのあたりが安定感抜群の「負けない野球」をする大阪桐蔭との差になっているのではと個人的には思います。評するに、大阪桐蔭は「負けないチーム」であり、東海大相模は「勝つチーム」ではないか、そんなことも思う近年の戦いぶりではあります。今年はファン待望の、甲子園で初めての「大阪桐蔭vs東海大相模」の対決が見られるのか?そこが一番注目している点です。


前回の記事 ⇒    


高校野球ファンにはおなじみの、というより、高校野球界を代表するチームの一つである東海大相模が久しぶりの選抜登場です。その東海大相模ですが、選抜出場はなんと2011年の全国制覇以来。改めて聞くと、これにはちょっとびっくりです。その間には2015年夏の選手権制覇があったりしたのですが、考えてみると2014年以来3年間、神奈川県勢としても選抜出場はありませんですから、仕方がないかもしれません。東海大相模といえば強力打線やドラフト候補の好投手を擁した大型チームを毎年作ってくるのですが、ここ数年の栄光をつかむまでには、いろいろと苦労した時期もありました。というか、その時期が長く続きました。そのあたりのことを書いた記事がありますので、そちらを読んでいただければと思います。

https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/9ce8b4436071db4ba7f409fa5f6e6315



東京代表   国士舘(東京)      10度目(10年ぶり)
                   夏1度出場 甲子園通算 10勝10敗 

「東京の名将」永田監督が再度大学の指揮官から高校に戻って数年。確実に力をつけてまた「東京高校野球の顔」の一角に座るようになった国士舘が、2年連続で選抜の切符を獲得しました。昨年の記事にも書いたように、国士舘、いや、永田監督のチーム作りは完全に『春偏重』で、選抜は10度の出場回数を誇るものの夏は1回しか出場がありません。「永田マジック」は秋の都大会から春の選抜にかけて発揮される、言葉を換えれば新チーム結成から冬のコンディション作りまでに長けていると評していいでしょう。今年のチームも、決して東京NO1の戦力とは思いませんが、それでも秋に勝ってセンバツをつかみ取りました。細かいプレーをしっかりと決めて、1点差のゲームをしのぎながら取っていく国士野球は今年も健在です。しかし甲子園で挙げた10勝のうち8勝は、センセーショナルに甲子園デビューした90年代前半の、最初の3回の出場で挙げたもの。選抜ではその後の6回の出場でわずか1勝と、「甲子園では勝てないチーム」という評価も、あるにはあります。「やっぱり東京は、5強(日大三、早実、関東一、二松学舎、東海大菅生)じゃないと全国で勝負できねえよな~」なんていう声を跳ね返せるか? 今年の選抜、今後の国士を決める結構重要な勝負の大会だと思っています。

  
昨年の記事 ⇒

国士舘と言って思い出すのはやはり『春の国士』という事。春の選抜には過去9度出場しているのに、なんと夏の選手権は1度しか出場できず。普通に考えると必ず2校出場できる夏の大会の方が出場しやすいのではないかと思いますが、国士舘の場合は左にあらず。国士舘野球を育て、導いてきたのは現監督の永田監督。92年の選抜初出場時から、今回まで10度の甲子園で9度は永田監督が導いたもの。まさに国士野球の中興の祖と言える人物です。国士舘は80年代から東京の高校野球においては「中堅クラス」という位置にずっと鎮座していましたが、91年の秋の東京大会に優勝、勢いに乗って明治神宮大会も制し(かつての明治神宮大会は、各地区の優勝校が出場しなかったため、地元でもある東京の代表校【秋季大会優勝校】が優勝するのがお約束の大会でした。)、春夏を通じて初めての甲子園登場でした。ワタシも「えっ国士舘が甲子園出るの?いったいどんなチーム?」という感じでしたが、その頃の東京の高校野球、岩倉、関東一、東亜学園など「耳慣れない学校」が甲子園をつかみ取って、勢いに乗って上位まで駆け上がるというのも多かったので、結構この”新顔”である国士舘にも、注目して期待した覚えがあります。そしてこの国士舘の”甲子園デビュー”はセンセーショナルなもの。大会前の寸評では「強打のチーム」という触れ込みだったものの、実は強力打線はあまり機能しなかった代わりにエースの菊池投手が大ブレーク。好投、好投、また好投の大活躍で3試合でわずか1失点。準決勝ではその大会で話題を独占していた松商学園の上田投手としびれるような投手戦を展開。敗れはしたものの、国士舘は甲子園に確かな足跡を残していきました。この菊池投手も上田投手も、実に「センバツらしい」好投手。彼らのような投球が、「センバツは好投手がいるチームを選ぶ」なんていう高野連の一つの基準を形成する要因になったんですね。国士舘は2年後の93年に2度目の出場。この時も粘り強さを見せて4強に進出、96年にも8強に進出とすっかり「90年代の春の顔」となる実績を残しましたね。最初の3大会で8勝を挙げるというのは、並大抵のことではありません。しかし東京の高校野球を見ている人間ならばわかるように、「なぜ春にあれだけ強い国士が、夏を迎える前に段々フェードアウトするように力を落としていくのだろうか?」という疑問がわくような夏の戦いぶりで夏の甲子園には届かない年を重ねました。その後も97,98,00,03年と、2年と置かずに選抜に出続けている国士舘でしたが、夏の切符はつかめず。そしてその野球も、最初の頃のノビノビと攻撃する野球から、何かこじんまりと「負けない野球」みたいなものを追求するようになっていったという印象があります。そして当初甲子園デビューを飾った時のようなセンセーショナルさが消えて、「いやらしさは身に着けたものの、こじんまりとしている」というチームカラーになっていったのと同時に、夏の予選では「どこかで勢いに乗ったチームに粉砕されてしまう」という戦いが続きました。05年に、その厚い壁を破って歓喜の「夏初出場」をつかんだものの、何かこじんまりとした野球の印象は消えませんでした。東京のチームは、良くも悪くも「ノリのチーム」というチームが多くて、それがプラスの方向に針がぶれたとき、ものすごい力を発揮するというところが特徴のようにも感じているのですが(関東人の特徴かもしれないですね)、国士舘のチームからはそういうにおいは、感じることがなくなっていました。05年に「悲願」を達成したことで翌年からは監督も若い箕野監督に代わりましたが、結果を出すことができず10年後に再度永田監督の就任となりました。今年のチームも、東京のチームとしては実に手堅い野球をするチームで、選手のポテンシャルが、例えば横浜や東海大菅生、日大三などの選手に比べて高いわけではありません。しかし甲子園の「春の戦い方」を熟知したベテラン監督の下、どんな戦いをしてくれるのか、楽しみではあります。春の選抜では勝っても負けても、いや、特に負けた試合は激戦が多く「激闘王」と言ってもいいかもしれない国士舘。さあ、久々の聖地で、どう戦う? 東京のファンとしては、かつて東東京予選で「帝京キラー」として鳴らした国士の、帝京戦で見せたようなパフォーマンスを期待しています。あの強かった帝京に対して一歩も引かず、けたぐりを狙って技をかけ続けるような戦いぶり、しびれましたからねえ。特に実力が上回る相手に対してのしぶとさ、見せてほしいと思っています。

 

(つづく)


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