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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2020 その5

2020年02月14日 | 高校野球

ふ~やっとここまでたどり着いたか。。。
思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第5回『東海・北信越編』です。


≪選抜出場校の思い出5≫

東海代表   中京大中京(愛知)     31度目(10年ぶり) 優勝4回 準優勝4回
                   夏28度出場      優勝7回   甲子園通算 133勝47敗  

戦前からずっと「高校野球の顔」であり続けた中京大中京。甲子園の歴史は中京の歴史であったと言い換えても何らおかしくないほどの超名門校です。その輝かしい戦歴を振り返ってみると、本当にものすごいという言葉では言い表せないものがありますね。1931年に最初の甲子園の土を踏んでから、その30年代には12回甲子園の土を踏んで優勝5回、準優勝2回、ベスト4が2回と、まさに超強豪の名に恥じない成績を残しています。その間何と40勝7敗。勝率は.850というすごさです。その中に、31年~33年の輝く3連覇があり、33年の準決勝の明石中戦は、高校野球史に残る延長25回の激闘でした。この試合を記録でひも解くと、お互いの安打は明石中8に対して中京商(当時)は7。四死球の数も違いがありませんが、勝負を分けたのは失策の数。明石中が7に対して、中京商はなんと無失策でこの試合を戦い抜いています。やはり中京は、昔から「安定感のある堅い守備で投手を盛り立てる」野球が徹底されていたことがうかがわれますね。その伝統は脈々と受け継がれ、中京が甲子園で好成績を残すときは必ず、堅い守備力がクローズアップされますね。66年の春夏連覇、そしてワタシが強烈に思い出として残っている78年~83年ぐらいにかけて強烈な光を放っていたチームたちも、そんな堅い守備力がベースにあったと思います。その傾向は平成に入っても続きましたが、90年代に入って学校の方針が変わったとかで一時期ぐっと力を落とした時期がありました。90年代にはなんと、あの強かった中京が甲子園に出場したのはたったの1度っきり。その出場した97年選抜では準優勝に輝いたものの、中京の低迷に愛知をはじめ全国の高校野球ファンの嘆きがよく聞かれました。その中京も2000年代に入ってからは徐々に復活して、09年にはエース堂林、主砲河合、磯村らを擁した強力打線で久しぶりの全国制覇を達成しました。監督は大藤監督。若くして中京の監督に就任し、集大成の夏となったのではないでしょうか。思えば中京は、超名門ながら若い”これだ!”と思った監督にチームを任せて、じっくりとチーム作りをさせるというチームですね。だからこそ長くその強さを維持していけるというのも真理でしょう。昭和40年代から監督に就任し、ワタシなぞ「中京といえばこの人」と今でも思ってしまう杉浦監督は大学卒業後すぐに監督に就任して3年で春夏連覇を達成、その後もずっと強い中京を作り続けた人物です。大藤監督も若くして監督に就任し、20年の長きにわたりチームを支え続けた人で、多くの野球人を輩出しました。思えば愛知って、そういう名将が多い地域でもありますね。『私学4強』と言われた中京、東邦、享栄、名電の4校には、それぞれ個性の強い『名将』がデンと鎮座していた印象です。中京の杉浦監督⇒大藤監督、東邦は阪口監督⇒森田監督、享栄は柴垣監督が30年以上にわたって指揮を執り、名電は中村監督⇒倉野監督と受け継がれています。いずれの監督も20年は最低監督としてのキャリアを同じ学校で積んでいて、愛知県の高校野球に関しての何とも言えない懐の深さみたいなものを感じることが出来ます。中京大中京の現在の監督は高橋監督。まだまだ中京として甲子園で実績を残している監督ではありませんが、既に就任10年目を迎えました。これからどんどん円熟味を増していくことが予想され、「強い愛知」の復活に一役買いそうです。今年の中京大中京はドラ1が確実と言われるエース高橋を擁して昨秋の明治神宮大会で優勝。昨年の東邦に続いて、愛知県勢の選抜連覇を狙っています。果たしてどんな戦いを見せてくれるのか?ワタシを含めオールドファンにはうれしい伝統のユニフォームに復活して臨む今年の選抜、注目度は非常に高いです。



東海代表   県岐阜商(岐阜)      29度目(5年ぶり) 優勝3回 準優勝3回
                    夏28度出場 優勝1回 準優勝3回  甲子園通算 87勝52敗   

県岐阜商も中京と並び、甲子園の超名門校。戦前から「高校野球の顔」として甲子園を席巻し、輩出した野球人は数知れず。先日亡くなった元中日の高木守道氏もその一人です。中京と同じく1930年代の活躍はすさまじく、初出場した32年から40年までの9年間では優勝4回準優勝2回と、中京とまさに全国における高校野球の盟主の座を争っていた学校です。戦前の名選手のストーリーを読むのがとても好きなワタシなのですが、中京や和歌山勢(海草中、和中など)のストーリーの中に、必ず県岐商の名前を発見することが出来る名門校ですね。そんな県岐阜商ですが、ワタシの中では「さほど強くない微妙な名門校」として位置づけられていました。ワタシがこのチームを初めて意識して見たのは77年の選抜。8強に進出して気を吐いたチームのエース関谷投手、そして翌78年選手権で同じく8強に進出して強さを見せたチームのエース野村投手がいずれも横手(下手)投げの好投手だったので、県岐阜商と横手の好投手という印象がセットになって残っています。名門らしく基本に忠実な「投手を盛り立てて少ないチャンスをものにする野球」での勝ち進みでしたが、時代が池田、PLを中心とする「打って打って打ちまくる」野球に移行する時期と重なり、その後は低迷していきます。名門の公立校が全国で苦戦し始めるさきがけのような感じで、その後は甲子園には出てくるものの聖地で勝ち進むことはままならずという時期を過ごしていきます。79年~08年までの20年間には、16度も甲子園に登場しながら戦績は6勝16敗と、かつての名門としては歯ぎしりするような戦いぶりに終始してしまいました。しかし10年代にかかってきてようやくちらほらと甲子園での戦いに光明が見え始めてきて、09年夏は久々の4強進出。13年選抜では藤田監督とエース藤田の親子鷹で前年春夏連覇の”絶対王者”大阪桐蔭を下して8強入り。15年選抜でも超高校級のエース高橋を擁して8強入りと気を吐いています。その県岐阜商に2年前あの鍛治舎巧監督が就任。独特の手法で鍛え上げ、初めての甲子園を掴みました。OBでもある鍛治舎氏、「切り札」としての投入だと思いますが、70という年も見えてきたこともあり、長く監督にとどまるつもりはないとみています。監督としての前任校で、甲子園で暴れまわった熊本の秀岳館が鍛治舎氏が抜けた途端に勢いを失ったようなことには、なってほしくはないと思っています。前述の愛知県の各校のように、長くその強さを維持できるような体制づくりにいそしんでほしいなあというのが、勝手な高校野球ファンとしての願いです。多分現在の「青・黄色」の新ユニフォームは鍛治舎氏がチームを離れると自然に元の伝統のユニフォームに戻るような気もしているので、特にそのことに関しては感想はないのですがね。。。。「劇薬」であってはならない、畑を耕す人になってほしい、OBなんだから。。。。。そんな願いを持って、この選抜を見ていきたいなあと思っています。

 

 

東海代表   加藤学園 (静岡)      初出場
                      夏出場なし   

加藤学園の初出場。少し前ぐらいから静岡県内では強豪と位置づけられている学校だったので、波に乗れば甲子園も十分にありうると思ってはいましたが、見事に選抜の切符をつかみ取りました。西武の高橋朋投手の母校という事で、同投手も喜びのコメントを寄せていました。静岡県東部の学校としては本当に久しぶりの甲子園だと思います。静岡の高校野球というと、何と言っても県の中部と西部に位置する静岡と浜松商の「静岡の早慶」の戦いがし烈を極めていた時代を思い出してしまいます。大型チームを作ってくる静岡と粘りの野球の浜松商の対決は、本当に面白かった記憶がありますが、東部の地域の野球はそこになかなか食い込んでいけなかった歴史がありますね。それでも80年代には、東部でもなかなかのチームが毎年出て来て、甲子園にもたびたび出場した記憶もあります。東部といって良いのかわかりませんが、富士山のふもとは富士、富士宮北、富士宮西などの公立校が甲子園に覇を競うように出場してきた時期があります。80年前後から90年代にかけてですね。79年に初出場した富士のエースは川村投手。現在の湘南高校の監督として勇名をはせていて、主将の捕手はテレ朝の記者(?)である三雲氏でしたかね。初戦の強豪・高知戦の延長15回、サヨナラのシーンは今でもはっきりと覚えています。富士宮北は翌80年の選抜に出場。あの上宮との春夏初出場対決に見事に勝ったのを覚えています。84年には日大三島が選抜に初出場。初戦で大阪中の応援を一身に受ける公立進学校の三国ヶ丘が相手でしたが、最終回に大まくり勝ちをして、球場全体を大きな悲鳴で包んだものでした。富士宮西の初登場は87年選抜。やはり相手は大阪の公立校市岡。帽子に3本線の入る戦前からの特徴的なユニの伝統校です。考えてみると静岡東部の高校は、よくよく大阪勢と縁があるんだなあと思いますから、今回も??  実はその年の選抜には富士も出場していて、富士と富士宮西が呉越同舟で甲子園での戦いを挑んだ年でもありました。92年には御殿場西も初登場。エースはロッテで活躍した小野投手。そういえば富士宮西のエース佐藤投手も、プロで活躍した投手でした。好投手を生む土壌なのかもしれません。選手権では89年の日大三島、91年の市立沼津、95年の韮山らの出場が続きました。静岡と浜松商が相対的に力を落とし「絶対の2強」ではなくなっていた時期と重なり、東部の学校も甲子園への扉を開け続けた時期でしたね。市立沼津は初戦で対戦したのはあの松井の星稜。松井が2年生の時でしたが、大きな一撃を放ったのを覚えています。韮山は初出場初優勝を成し遂げて以来の出場という事で話題になっていました。いわく「まだ甲子園で負けたことがないチーム」ってね。そんな話題、結構あったりするんですよね。過去をひも解くと、湘南やら桐蔭学園やら岩倉やら・・・・・。初出場初優勝を遂げて、その後甲子園に長いこと縁のなかった学校・・・・・ってことです。何と静岡東部からの甲子園出場は、その韮山以来ってことです。およそ4半世紀ぶりらしいです。加藤学園には、静岡東部のファンや少年たちのために、頑張ってほしいですね。

 

 

北信越代表   星 稜(石川)      14度目(3年連続)
                     夏20度出場 準優勝2回    甲子園通算 33勝33敗  
 

昨年奥川を擁して甲子園を席巻した星稜。その戦いぶりはまさに「激闘王」の言葉そのまま。最後は敗れてまたも栄冠には届かなかったものの、やはり星稜は「甲子園の美しい敗者」そのもので、見ている者に強烈なインパクトを与えてくれる存在でしたね。今や「星稜に言葉はいらない」って感じの存在なのですが、今年のチームにもスーパー球児である内山がいたり、先輩である奥川が大絶賛する1年生がいたりと、話題には事欠きません。おまけに今年は全国で暖冬傾向が強く、雪国である金沢でもしっかり調整ができたのではないかと思っています。今年もあの黄色と青のユニフォームを見ると、心が弾んでしまうワタシです。さて、今年は聖地でどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。


昨年の記事 ⇒

さあ、星稜の登場です。昨年春夏連続出場を飾り、春夏ともに大激戦を繰り広げたうえ甲子園を去った星稜。しかしそのレギュラーメンバーの主要な選手は今年のチームに残り、いよいよ今年の「星稜史上最強チーム」で捲土重来を期しています。”甲子園最速”のエース小松を擁したチームや”神様の創った試合”で箕島と延長18回を戦ったチーム、はたまた松井を擁して”5打席連続敬遠”で敗れ去った伝説のチームや、クレバーなエース山本で星稜初の決勝に進出したチームなど、枚挙にいとまがないほどの好チームを甲子園に送り込んできた星稜ですが、今年ほど期待される年もなかったのではないでしょうか。ドラ1確実と言われる超絶なエース奥川に、寺沢、寺西、萩原など他校に行ったらエースになる実力派がわんさかとベンチに控えていて、盤石な投手陣を形成しています。そして打撃は、昨年春、夏ともに大打撃戦を展開して敗れ去ったものの「星稜の打線はものすごい」と甲子園ファンに印象付けた猛打線が健在。どこをどう切り取っても、今年の狙いは「悲願の初全国制覇」しかありません。それを十分に達成できる力を持ったチームです。今年の星稜は、見る者をワクワクさせる力を持った強豪。このチームを見るのが、楽しみで仕方ありません。

 

一昨年の記事 ⇒

さあ、”北信越の雄”星稜の登場です。この星稜のあの黄色いユニフォームに、今もたくさんのファンが声援を送っています。とにかく星稜というと、ドラマチックなチームという形容詞をつけたくなりますが、力を伸ばしたのは山下監督の時代から。センセーショナルな実質の甲子園デビューは1976年でしょう。ワタシもこの大会の前、「星稜」という名前を聞いても、何も反応できるものはありませんでしたが、大会が始まってみると驚きばかり。2年生エース・小松(中日)の球の、そりゃあもう速いこと速いこと。3回戦では当時の超大型チームである天理を、接戦の末破って8強へ。そしてそこでも小松は、豊見城の赤嶺と堂々と投げあって撃破して4強まで進出しました。その大会、海星の酒井をはじめ、好投手が目白押しの大会でしたが、大会前には全く無名だった小松が、最も速い球を投げていたという記憶があります。翌年は3年生になった小松を擁して春夏ともに甲子園出場も、打線が振るわず両方ともに初戦敗退。しかし夏の初戦、智弁学園・山口との素晴らしい投手戦は、見るものに高校野球の面白さを存分に味あわせてくれました。思えばこの試合、星稜ベンチには山下監督、智弁ベンチには高島監督(現智辯和歌山)という『稀代の名将』が、若き指揮官としてどっかりと腰を下ろしていたんですね。感慨深いものがあります。その後の歩みは周知のの通りです。甲子園の常連となった星稜が一番輝いたのが、79年の【伝説の延長18回】箕島との激闘です。延長で2回にわたる奇跡の同点アーチ、そして1塁手・加藤の”伝説のつまずき”など、今もって「甲子園最大の激闘」「神様が創った試合」といわれる試合を経て、高校野球ファンの間で”星稜ファン”は爆発的に増えた気がします。そして時を経て、「国民栄誉賞男」松井秀喜が登場。92年夏の選手権では、あの「5打席連続敬遠」という社会現象にまでなった試合が行われました。そしてその試合での松井のあまりにも素晴らしい試合態度、山下監督の男気などにも触れることができ、星稜はチームとしてのピークを迎えたと思います。95年には頭脳派エースの山本を擁して快進撃。決勝までたどり着くも、選手はもうボロボロで試合すらできないのではと思われる状態でした。最後には帝京に敗れて山下監督の”夢”であった全国制覇は逃しましたが、決勝では何かといわくつきだった相手の帝京が完全に”ヒール”の役割になり、スタンドは星稜の応援一色でしたね。その後山下監督の退任とともに星稜は力を落としていき、2000年代に入るとなかなか甲子園への出場すら難しい時期を過ごしました。しかし2014年、県大会決勝で9回に8点差をひっくり返すという「星稜の奇跡」という出来事があり甲子園へ。そして久しぶりに甲子園でも暴れ、『星稜復活』を力強くアピールしてくれました。時代は変わっていきますが、星稜は全国強豪に成長した付属中学からの選手がチームの骨格を担い、着実に「初の全国制覇」を狙うチームへと変貌を遂げています。北陸勢では敦賀気比があセンバツを制覇し、紫紺の大旗を持ち帰りましたが、まだ真紅の大旗は北陸路にはためいてはいません。その栄光を狙って、「ニュー星稜」が今年も甲子園にやってきます。ドラマチックな試合が見たいのなら、星稜の試合は、見逃せませんよ。



北信越代表   日本航空石川(石川)     2回目(2年ぶり)
                       夏2度出場  甲子園通算 4勝3敗   

一昨年の選抜では、初出場ながら2回戦で明徳義塾を9回大逆転のサヨナラ3ランで破るなど素晴らしい戦いぶりで8強に進出した日本航空石川。あの時のチームと比べると今年はやや戦力ダウンがささやかれるものの、彼らの持っている「最後まであきらめない粘り」がまた甲子園をわかせてくれるのではないかという期待を抱かせてくれるチームです。石川県は長く星稜と金沢の2強時代が続いていたので、この2校以外の学校が選抜の土を踏むのは本当にまれで、過去50年さかのぼってみても、21世紀枠を除くとわずかに遊学館とこの日本航空石川があるだけ。日本航空石川は2強以外の学校としては初めて2度目の選抜出場となります。そういった意味でも、新たな強豪として登場してきているこの日本航空石川が、「星稜より先に帰るわけにはいかね~」という気迫で甲子園で大暴れ・・・・・というのを期待してもいいかもしれませんね。


前回の記事 ⇒

日本航空石川。山梨の日本航空の兄弟校ですね。石川県の中でもさして目立った存在ではないこの学校でしたが、甲子園に出場した年はなかなかインパクトのある戦いぶりで、全国のファンに強い印象を残しています。初出場の09年には初戦で明桜と延長12回の激闘の末サヨナラ勝ち。そして昨夏は力のある木更津総合に対し、9回に4点を奪って大逆転勝ちを収めました。いずれも「あきらめない粘り」が勝利を呼び込んだ形で、強いマインドを持ったチームだということが見て取れますね。いずれの大会も次戦では大敗を喫してしまいますが、初出場から2回連続で初戦突破とは、なかなかどの学校でもできることではありません。県内では星稜、遊学館、金沢ら強豪が鎬を削る状態が長く続いていますが、その”強豪の輪”の中にしっかりと食い込んでいる現在、狙うはさらなる飛躍しかありません


(つづく)


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