≪選抜出場校の思い出2023 その8≫
四国代表 英 明 (香川) 3度目(5年ぶり)
夏2度出場 甲子園通算 1勝4敗
昨年は秋、春と県大会を制したものの、夏の選手権では準優勝。一昨年も秋準優勝、春優勝と実績を積み重ねたものの夏は準優勝と、あと一歩で甲子園をつかみ損ねていた英明が、昨秋は県大会に続いて四国大会も制して、ようやく甲子園の切符をつかみ取りました。ここ10年以上にわたり香川県の高校野球界を引っ張ってきているチームですが、ここ一番の戦いに敗れることも多く、ワタシの見立てでは今の倍は、甲子園をつかめていたチームだと思います。四国の中でも尽誠学園の全盛期以降埋もれていた感のある香川県勢ですが、名門・高松商の復活以降、上昇の兆しを見せてきつつあります。なんと昨秋の四国大会ではワンツーフィニッシュ。そしてこの選抜で、英明、高松商が揃って出場します。2校出場なんて、高松商、丸亀商が県内2強で覇権を争っていた昭和50年代を思い出しますね。英名は昨秋高松商に県大会、四国大会といずれも決勝で2連勝。明治神宮大会でも1勝を挙げ、狙うは8強入りです。
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香川からは英明が2度目の選抜出場を決めました。英明といって思い出すのは、元巨人のドラ1、松本投手を擁した11年夏のチームですかね。あの時の松本投手はセンセーショナルでした。左腕からキレのいい球を、まさにビシビシと投げ込んでいく感じでしたね。それを見て巨人もドラ1指名を決断したんでしょうから、あの夏の甲子園での投球は見事なものでした。そのチーム以外の英明は、甲子園では勝利を挙げられていませんが、チームカラーとしては「強打のチーム」というイメージですね。この英明をはじめとして、香川県内には尽誠学園、寒川、香川西など関西からの野球留学生をチームの中心に据えた私学の台頭が目立っていましたが、初期の尽誠学園以降、どの学校もあまり甲子園で実績を残せていませんね。逆に県内の高校野球ファンは、一昨年春の高松商や昨夏の三本松、丸亀などの公立名門校が甲子園に出場するときは、非常に応援の「温度」も上がっている感じがします。特にベテランのファンの思い入れの強い【四国四商】の高松商の活躍には、ファンの目の輝きが違いました。そんなファンの目の輝き、英明も甲子園で快進撃を続ければ、手に入れることができると思っています。何せ香川の人たち、本当に野球好きですから。そんな大ブレーク、いっちょ起こしてほしいですね。
四国代表 高松商 (香川) 26度目(4年ぶり) 優勝2回 準優勝3回
夏22度出場 優勝2回 甲子園通算62勝45敗
高松商についても、前回、前々回の時に書きつくしていますから、いまさら書く思い出もないのですが、昨夏のチームはなかなかセンセーショナルでしたね。大看板・浅野を軸に据えて、3回戦で優勝候補の九国大付を接戦で破り、準々決勝ではあの近江と大接戦。浅野が山田から放った大アーチには痺れました。あの試合を見て、ワタシは「高松商の完全復活だな」と思いました。そもそもワタシのイメージの中では、高松商は「春の高松商」。選抜では活躍するものの、夏は甲子園で力を発揮できないというイメージがこびりついています。あの昭和50年代の「出ると負け」の時代、夏は毎年のように甲子園に出場しましたが、5年連続を含めて0勝6敗。1勝がホント、遠かったですね。一方でこの時期も選抜では4回の出場で4勝4敗。選抜では強さを見せていました。1975年以降、2度の8強、そして1度の決勝進出はすべて選抜。何しろ一昨年までは、夏の選手権では40年以上にわたりわずか1勝しか挙げていませんでしたから。。。その殻を破ったのが浅野率いる一昨年、昨年のチームというわけですね。2年間で3勝を挙げ、しかもその内容が抜群でした。「高松商ここにあり」を満天下に見せつけてくれ、また、ドラフトでも話題を独占した感がありました。さて、今年は「ポスト浅野」の年。しかしながら、高校野球では「最強の年のポスト年」に大活躍を見せるチームがしばしばあります。そういった年にできるかどうか。今年の高松商の戦いには、目が離せません。
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前回選抜準優勝を飾った名門、高松商がまた甲子園に戻ってきます。『四国四商』の一角である高松商の歴史はいまさら言うまでもありませんが、前回の甲子園での復活、大活躍を見るにつけ、四国の野球ファンは「やっぱり高商じゃなきゃ、いけん」という気持ちをさらに強くしたんじゃないでしょうか。高松商の復活があったとはいえ、その前も後も、やはり香川県のチームが甲子園で活躍するという姿はあまり見受けることはできません。ですが、高松商の復活劇は、同じ香川の公立校である三本松の奮起を即して一昨年夏の甲子園8強進出につながりました。「やればできる」を実践して見せたこの強豪校は、どんなに時代が変わっても「四国の高校野球の軸」であることに変わりありませんね。昨夏は同じく四国四商の一角である高知商が、長年の沈黙から目覚め宿敵・明徳義塾を破って甲子園に出場、秋の四国大会では『四商』のうち高松商、高知商、徳島商の3校がそろい踏みしました。残念ながらなんと3校が同じブロックに入るという不運がありましたが、そんな中勝ち上がったのが高松商。高知商、徳島商の「魂」もこもっていますから、今回もまた、甲子園で大暴れしてほしいものです。それはそうと、松山商はどうしているんだ~。00年以降も『四商』の中で最も安定した戦績を上げていたっていうのに、ここ15年程、何の音さたもないぞ~。復活へののろし、上げてくれ~~。ということで、高松商への期待は、ワタシの中ではMAXに上がっているところです。
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このセンバツ高校野球大会の輝ける第1回優勝校が、20年ぶりに甲子園の舞台に帰ってきました。しかも『秋全国制覇』の称号を引っ提げて。四国の高校野球と言えば、古くから【四国四商】を抜きには語れません。この高松商をはじめとして、松山商、徳島商、高知商。それぞれが高校野球界に確かな足跡を残し、全国制覇の経験もあるこの四校。(徳島商は、”幻の甲子園”での制覇があります。)ワタシが高校野球に興味を持ち始めた昭和40年代。四国四商は『かつての栄光』からはやや力を落とし新興勢力に押される状況でしたが、それでも何度も甲子園までコマを進めていましたので、それぞれのチームに深い思い出があります。高知商は昭和50・60年代がピークでしたし、松山商も昭和61年の準優勝や平成8年の優勝など、栄光を重ねました。徳島商は昭和50・60年代の池田時代を経て、平成に入りまた息を吹き返して何度も甲子園に出場し、いい戦いぶりを見せてくれました。そんな中、四商の中で最も伝統がある高松商は、ワタシの目に触れる中で印象に残ったのはほんのわずか。ワタシの中では『出ると負け』のチームという印象があります。ワタシが最も甲子園に熱い思いを抱いていた昭和50年代、高松商はまさに『毎年甲子園に出てくるチーム』でした。しかしワタシの印象は『甲子園では弱い』チーム。あの時代の”強い四国”にあって、地方大会ではいつもあれだけの実績を残しながら、なぜ甲子園ではあんなにすぐにころりとやられるのだろうということを、不思議に思っていました。同じ四国四商の高知商や池田、同じ香川の丸亀商や尽誠学園などがしっかりと甲子園で実績を残す中、高松商の『大舞台での弱さ』はなぜか際立っていた気がします。この当時、高松商と松商学園、両名門校は毎年のように甲子園に出ながら初戦敗退を続けていたので、ワタシの中では『マツのつくチームは、ダメだなあ』ということがなんだか、刷り込まれています。記録をひもとくと、昭和50年代、高松商は何と10回も甲子園に出場。要するに毎年春か夏のどちらかは、甲子園に来ていたということですね。その中で初戦を突破したのはわずかに3度(4勝)。後の7回は初戦敗退でした。その苦しい時代に光を放ったのが、77・78年のエース、河地投手でした。真っ向勝負のこの右の本格派は、78年センバツでは浪商の牛島投手(元中日)と投げ合って完封勝ち、夏は仙台育英の大久保投手(元広島)と延長17回の球史に残る投手戦を展開しました。最後はサヨナラデッドボールという悲運の終幕でしたが、『高松商・河地』の名は、深く高校野球ファンに刻まれましたね。その77年から79年までの3年間、戦後初めて甲子園に皆勤した、堤選手という好選手もいましたね。何しろこの時代、5季連続甲子園出場なんて夢のまた夢で、しかも全部にベンチ入りするなんて、これまた夢の様な話でした。特に甲子園のベンチ入りが14人という時代だったので、この堤選手は『日本一幸せな選手』として話題を集めました。しかしその後は、80~82年に早実の荒木大輔や小沢が1年から皆勤して、5季連続出場選手は珍しくなくなりましたし、PLのKKコンビはあまりにも有名です。最近では『1年生の即戦力選手』が目白押しなので、5季連続出場も珍しくなくなりました。さて、高松商は平成時代に入ってからはまったく振るわなくなり、甲子園からは遠ざかってしまいましたね。かつて栄華を誇った『公立商業高校の野球』が新興勢力に押されて、なかなか厳しくなってきたのと足並みをそろえて・・・・・という感じです。90年センバツ、96年春夏に出場がありますが、特に目立った成績も残せず、近年は20年も甲子園から縁遠くなっていました。その間、四国四商が勝てなくなってきたと同時に、四国の野球自体も全国の高校野球の中で、光を放てなくなってきています。香川勢は特にそれが顕著で、00年代に入ってからは、夏は何と16年間で4勝しかしていません。勝率.200という寂しさです。選抜では02年以来13年も勝利なし。野球好きが多い事でも知られる香川県の高校野球ファンは、怒っているのではないでしょうかね。そして、この名門高松商の復活を、心待ちにしていたのではないでしょうか。今年のチームは秋の明治神宮大会で、”選抜の2強”と言われる大阪桐蔭と敦賀気比を連破して優勝。『強い高商』が、半世紀ぶりに復活する機運は高まっています。さて、今年のセンバツ。高松商がどんな戦いを見せるのか、注目度はMAXです。
四国代表 高 知 (高知) 20度目(2年連続) 優勝1回 準優勝1回
夏13度出場 優勝1回 甲子園通算35勝30敗
高知といえば、70年代までに優勝2回、準優勝1回を誇る高知の名門校として、名をはせていたチームです。その頃までは高知商・土佐と並んで「高知3強」と言われ、00年代以降は明徳の最大のライバルとして、いつも覇を競い合ってきて今に至ります。選抜は2010年代以降で5度目の挑戦となりますが、なかなか上位進出を果たせず、明徳には大きく水をあけられている現状があるだけに、今大会では何とか昨年を超える2勝を挙げ、夏に明徳を迎え撃つ態勢を整えたいところですね。高知といえばえんじの早稲田カラーのユニフォームに身を包んで・・・・・・というところまではわかるのですが、今一つ「どういった特徴を持ったチームなのか」という事がわかりづらい最近のチームという感じはします。岡本監督の時代は粘り強く正統派の野球をして接戦をものにするチームという特徴があったと思いますが、島田監督になって少しそのあたりがぼやけてきて、今はあまりよくわからなくなっています。必ずしも勝っていくためにチームの特徴づけをする必要はないと思いますが、チームの中を流れるDNA、というところがあって、強くなるチームは毎年強くなってくるのだと、ワタシは思っているんですがね。この選抜も「明徳不在」の中での高知の出場。ライバルいぬ間に、甲子園で自信をつけていきたいところです。
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高知高校が、4年ぶりに甲子園に帰ってきました。前回はライバルの明徳義塾がとってきてくれた「明治神宮枠」での出場。しかし今回は、秋季四国大会を制しての、堂々の出場です。しかしなあ。。。。。森木(阪神)のいた3年間、すっぽりと抜け落ちてしまっているんだよなあ。「森木がいれば、全国制覇が狙える」と大いなる期待を寄せていましたが、結局1度も甲子園の土を踏めず。すべてライバル・明徳の恐ろしさというものを感じるだけの3年間となってしまいました。しかしこういった「超絶に強いチーム」だとか「スーパースターがいるチーム」だとか、そんな年のポスト年の方が、実は結果を残している・・・・なんてこともよくあることではあります。例えば07年に、中田のいた大阪桐蔭が夏の切符を逃したのに、地味と言われた翌08年のチームがまさかの初の全国制覇を達成。。。。。。。とか、高校最速の160キロを投げる二刀流エース、大谷の花巻東が12年に夏の切符を逃すと、かなりスケールが落ちるといわれた翌年のチームが夏の甲子園4強にまで進出。。。。とかですね。そういう意味で、「ポスト森木」の今年の高知のチームが、いったい甲子園でどんな戦いをしてくれるのか、非常に興味があります。そして、この春の選抜で得た自信とか経験を持ち帰り、今年の夏こそ明徳義塾を破って、真夏の聖地へ勝ち上がってきてほしいと思っています。
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高知県とは浅からぬ因縁を持ち、高知県代表を応援し続けているワタシ。そのワタシにとって、高知商、土佐らと並んで特別な響きを持つ高校がこの高知です。早稲田カラーのえんじのアンダーシャツを身にまとい、胸にKOCHI。そのユニを見ただけで胸躍ってしまうワタシがいます。ワタシが高校野球にどっぷりはまったころの昭和50年代、高知と高知商、その2チームは本当に強かった。これに土佐を加えたつばぜり合いの中、甲子園にどこが出場するかは、大いに注目の的でした。そして出場したチームは、8強は当たり前。そんな時代、高知県はわずか20数校の加盟校しかないにもかかわらず、全国屈指の「野球強豪県」として君臨していました。そんな中で高知高校。ワタシが物心ついたときは、有藤、弘田らの卒業生がロッテで活躍しており、そのころはそんな関係でロッテを応援したりもしていましたっけね。ワタシが強烈に印象に残っているのは、75年春の選抜。原辰徳がいた東海大相模を決勝で下して選抜初優勝を成し遂げた年です。高知には三塁手に”超高校級”のスラッガー杉村が君臨。東海大相模・原とのスラッガー対決に、甲子園は大いに沸きました。この決勝の写真の中に、タイムリー3塁打の後3塁ベース上に立つ原に、杉村が何やら話しかけているというものがあります。その写真、「恰好いいなあ」と子供心に、大いに刺激された思い出がありますね。そのころはまだ、「スター選手」といえばまずサードを守っていた・・・・・そんな時代でした。延長13回で10-5の決着。それまでの甲子園で、そんな決着の仕方をした試合はあまりなかったので、この打撃戦には大いに酔いしれました。この高知のチームの中に、現在の春日部共栄の本多監督がいたりするんですね。だから、春日部共栄のユニフォーム、高知とそっくりでしょ。そんな高知ですが、甲子園で輝きを放っていたのはこの70年代まで。80年代になると、その勢いはぱったりと止まり、高知商、そして明徳にいいようにやられてしまう時代を迎えてしまいます。県内を勝ち抜けないのはもとより、県内を勝ち抜いても甲子園では思ったような成績を上げられないこともしばしば、という感じで今日まで来てしまっています。県内の公式戦、とりわけ夏の選手権大会予選で、明徳の前に屈したことは数知れず。80年代から2013年までは、甲子園に13回も出場しながらその間わずか3勝。3勝12敗というあり得ないような戦績で、明徳には何か腹に一物持っているベテランのファンにさえ「やっぱり明徳じゃなきゃ、甲子園では勝てん」とまで言われていました。しかし、2013年選抜で、本当に本当に久しぶりに、高知のエンジのユニが甲子園で躍動する姿を、目に焼き付けることができました。今までのうっ憤を晴らすような活躍で4強まで進出。準々決勝で優勝候補の仙台育英を破った時は、「こりゃ、優勝まで駆け上がるかも」と期待しましたが、準決勝で同じ四国の済美に接戦で敗れて頂点までは届かず。「絶対に勝てる」と思っていた試合を落としたので、かなりへこみましたね、あの試合は。これで『名門復活ののろしを上げたか?』と思いましたが、この辺りからまた明徳が勢いを盛り返してきて、厳しい戦いを強いられています。何しろ、2011年から2015年までの5年間、常に明徳と決勝で対戦すると、図ったようにすべての試合で1点差負け。接戦に持ち込んでいるだけ、本当に悔しい負けが続いているのです。そうこうしているうちに、2016年は中村に、17年は梼原に決勝に到達する前に敗れて、明徳の前までたどり着くこともできず、昨年の夏の大会後はワタシも高知高校のチームとしての退潮傾向を感じざるを得ませんでした。しかしながら、昨年の秋。高知高校は秋季四国大会の8強で敗れるものの、その四国大会を制した明徳義塾が明治神宮大会も制して「明治神宮枠」を持って帰ってくれたおかげで、まさかの選抜出場が転がり込んできました。例年の枠数であれば、考えられなかったことです。しかも長年のライバルであり、常に頭を押さえられる続けてきた明徳のおかげで、甲子園が転がり込んできたんです。明徳には感謝しつつ、これはやるしかないでしょう。こんなチャンスはなかなかないだけに、実力云々はさておいて、甲子園で「ここに高知あり」を証明してもらいたいと思っています。本当に楽しみな選抜です。
21世紀枠 城 東 (徳島) 初出場
夏出場なし
21世紀枠で甲子園初出場を飾った城東。徳島県は、全国唯一の公立校だけが甲子園に出場している県ですが、城東はこれまで甲子園出場の機会に恵まれませんでした。ワタシも「城東高校」と言って思い出せることは、何一つありません。徳島県は戦中、徳島商が「幻の甲子園」と言われた大会に優勝したものの正式な記録には残らず。その後徳島商、そして鳴門の時代が長く続き、その後昭和40年代後半から池田高校が蔦監督の下、長い沈黙を破って甲子園に見参。選抜初出場だった昭和49年には、わずか11人の部員で「イレブン池田」と呼ばれ快進撃、見事に準優勝を飾りました。そこから平成に至るまでの15年ほど、池田は甲子園で無双を続け、全国の耳目を一身に集め続けましたが、その「池田台風」が去ると、徳島はなかなか上位までたどり着くことができなくなりました。それでも02年には鳴門工が選抜準優勝、翌03年には徳島商が4強進出を果たし、「強い徳島復活」と思ったものの後が続かず、その後はなかなか上位進出を阻まれています。選手権は鳴門が10年代から県内を席巻、12回の選手権のうち出場は9回を数えています。選抜では川島、城南、富岡西など、21世紀枠に恵まれて出場数は多いのですが、やはり聖地で勝つのはなかなか難しく、苦戦も続いています。今年の城東もなかなか苦しい戦いになるとは思いますが、思い出だけではなく、なんとか全国の強豪に対して、四国代表として勝ちを目指してほしいと思っています。
(つづく)