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選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました 2023  その9【九州】 おわり   

2023年02月10日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出9≫

九州代表  沖縄尚学(沖縄)       7度目(9年ぶり)  優勝2回
                     夏9度出場      甲子園通算22勝13敗

沖縄の高校野球界で現在、東西の横綱としてデーンと構えるのは、この沖縄尚学と興南の2校。両校ともに本当に毎年いいチームを作りたびたび甲子園に出てきており、甲子園でもいい戦いを繰り広げてくれます。よく紹介される沖縄の高校野球の歴史。首里高校がまず先陣を切り、程なく興南が全国で4強に進出。その後、栽監督率いる豊見城が沖縄の高校野球を席巻していきます。そしてその後は興南の時代、沖縄水産の時代と続き、沖縄水産は2年連続で選手権の決勝に進出。しかし「全国制覇」の夢はすんでのところで消え去り、その夢をかなえて沖縄県民を熱狂の渦に巻き込んだのが、この沖縄尚学です。1999年の春、ほぼノーマークで選抜に出場してきた沖縄尚学は、初戦から接戦を勝ち上がり、準決勝に進出。そこで激突したのが、前年甲子園で横浜・松坂と延長17回の激闘を繰り広げたPL学園。そう、その当時の高校野球界の盟主だったチームです。沖縄尚学は劣勢が予想される中、果敢に攻めて試合の主導権を握りますが、そこはさすがに「逆転のPL」、終盤追いついて、試合は延長戦へ。PL学園といえば甲子園の地元のチームで、いつもホームのような大声援を受けて試合をするのが通例。しかしこの時は、甲子園のファンの沖縄代表に対する判官びいきも手伝い、試合は異様な雰囲気でした。誰もが「まあPLの勝ちだろう」と思っていた試合が、わずか2回目の出場で、この時まで甲子園通算1勝しか挙げていないチーム(この大会は除く)に、押されている。。。。。信じられない思いのスタンドと、指笛での沖縄尚学に対する大声援。そんなものがないまぜになった、なんとも言えない雰囲気の試合でした。同点の11回表に沖縄尚学は1点をあげましたが、その裏PLは『甲子園の定番』である逆転のPLの本領を発揮して反撃を開始。その年のPLをぐいぐい引っ張っていた”ありえない瞬足”田中が同点ヒットを放ち、その勢いをかって2塁へ。しかしここで、沖縄尚学渾身のプレーが出ます。ライトが好返球でその田中を2塁ベース前で見事に刺し、サヨナラのピンチを防ぎました。そして、このプレーが非常に大きく、沖縄尚学はこの11回裏をなんとか切り抜け、すぐあと12回表に再度2点を挙げて突き放し、あのPLを見事に堂々と寄り切りました。そして夢の決勝進出を決めたのでした。沖縄尚学といえば鋭い打撃も看板ですが、守りの堅さもひとかどではありません。最後の最後でその守備が、彼らを救ったというシーンでした。決勝はもう、おまけみたいなもの。勢いも応援もすべて沖縄尚学が独占、水戸商に何もさせずに7-2と快勝。見事に沖縄に、初めての大旗、紫紺の大旗を持ち帰りました。そしてその時のエースだった比嘉公投手が、今度は9年後の08年、監督として甲子園に帰還。そして。。。。。東浜投手を擁し、見事に二度目の選抜制覇を成し遂げたのです。エースとしても優勝、そして監督としても優勝なんて、ワタシの知る限り習志野の石井投手・監督ぐらいしか思い浮かびません。それほどすごいこと、やってのけたのですね。あれから15年、沖縄尚学は春2度、夏4度の甲子園に登場していますが、思ったように勝ちあがることはできていません。その間に興南が11年の春夏連覇など、高校野球界に燦然と輝く実績を残していっています。沖縄尚学も、そしてライバルの興南も、身体能力に勝る選手をそろえて、正統派の野球を貫いて甲子園で戦い続けています。今や沖縄は立派な「野球県」。全国のファンも、毎年沖縄からやってくるチームには、注目し、そして期待しています。今年の沖縄尚学は、九州大会を制し、明治神宮大会では9回まで、夏全国制覇の仙台育英を圧倒し続けたほどのチーム。「3度目の選抜制覇」も、あながち夢だとは思えません。さあ、どんな戦いが待っているのか。楽しみな今年の選抜です。 




九州代表   海 星(長崎)       6度目(7年ぶり)
                     夏19度出場    甲子園通算15勝24敗     

長崎海星といえば、昔からの長崎の伝統校。長崎県では最多の甲子園出場を誇りますが、最高成績は下にも書いた、サッシー酒井が君臨した76年選手権のベスト4。あとは正直、挑めども挑めども、全国の厚い壁に跳ね返されてきました。酒井以降の海星、前回選抜に出場した2016年までの間、甲子園には9回出場してわずか2勝しか挙げられない「低迷期」を過ごしてきました。しかしながら、前回の選抜出場以降、少し流れが変わってきたように思われます。前回の選抜、初戦で21世紀枠の長田を破ると、2回戦では前年優勝で、この年も長身右腕・山崎(オリックス)を擁して優勝候補の一角に上がっていた敦賀気比を見事に撃破。準々決勝では高松商に打撃戦の末敗れましたが、久しぶりに海星の躍進を見ることができました。そして自信を付けたか、19年の選手権では聖光学院を破り、八戸学院光星に敗れたものの見事な戦いを行い、昨夏はまた、強打で甲子園2勝を挙げ、今上げ潮ムードに乗っています。決して目立った選手がいるわけではないですが、思い切って振り切る打線は、これまでの低迷を吹き飛ばすような勢いです。さあ、今年の春も、甲子園は海星の躍進を待っています。
どんな戦いを見せてくれるのか、注目です。


前回の記事 ⇒

智弁和歌山の高嶋監督の母校でもあり、阪神の平田コーチら好選手を輩出した名門校である海星。夏は17度もの出場を誇っていますが、春は4度出場してまだ勝利を挙げていません。海星の歴史は、甲子園での苦杯の歴史と言ってもいいかもしれません。しかしそんな中で、一度だけピッカピカに輝いた大会があります。それが76年(昭和51年)の夏の大会。そう、オールドファンには懐かしい、サッシー酒井投手が大活躍した年です。その年からさかのぼること3年前、甲子園は『戦後最高の投手』と言われた江川(作新学院)を大会に迎え、大いに沸きました。それから3年後のこの年、春先から高校野球界では『江川に勝るとも劣らない剛腕がいる』と評判の一人の投手に、注目が集まりました。その人こそ酒井投手。何しろ、『投げれば三振の山』は江川のそれと同じ。長身から投げ下ろす右腕本格派だっただけに、江川との比較に世間は沸き、『酒井を甲子園で見たいなあ』という声しきりでした。その酒井。この夏の予選の島原中央戦で、どえらいことをやってのけました。何しろ6回1死までだったかなあ、そこまで相手を『すべて三振』に切って取り、全国に『酒井は凄い!』を強く印象付けたのでした。何しろその頃は、今のようにyou tubeもなけりゃあ、地方予選の映像もニュースに映されない時代のことですから、映像すら見たことのない『まだ見ぬ剛腕』に対する私たちファンの”妄想”はMAXまで膨れ上がっていましたね。何しろこの年の甲子園。センバツ優勝校で”原爆打線”と剛腕黒田の超大型チームである広島の崇徳、そしてあの”若大将”原辰徳が3年になった東海大相模が『東西の横綱』にでんと座っていましたから、まれにみる注目を集めた大会でした。そのほかにも”アイドル”である豊見城の赤嶺とか、甲子園でブレークする星稜の小松、そして強豪の名をほしいままにした柳川など、強豪が多かった。結局決勝は意外や意外、その有力校や有力選手がすべて倒れ、東京の桜美林vs大阪のPLという、まさかの全員野球のチーム同士の『大都市決戦』となったのでした。
そんな中での酒井のピッチングは、やっぱりすごかったですね。特にその真価は、3回戦の崇徳との試合で発揮されました。海星・酒井vs崇徳・黒田の『めっちゃすごかった』投げ合いは、これまでの甲子園の歴史の中でも、忘れることのできない凄いものでした。ドシーンと『剛球』を投げる酒井に対して、『ビシッ』とキレキレの球を投げる黒田。『ドラ1確実』と言われた両投手の投げ合いを、観衆はかたずをのんで見守りました。結局9回を投げて、酒井は被安打2、黒田は被安打3、両投手の四死球は2ずつという凄い投げ合いでした。決勝点は、投手と捕手の前にコロコロと転がった緩いゴロが内野安打になったという不運なもの。これがなかったら、両投手が崩れる気配を全く見せなかったため、0-0で延長18回まで行ったのでは……というのがワタシの”妄想”です。それほど『すごかった』というイメージが、頭の中を離れない試合です。あの試合こそが、海星の長い歴史の中でも『もっとも甲子園で輝いた』試合なのではないでしょうか。近年では、永江(西武)がエースとして投げた2011年の東洋大姫路戦が印象に残っています。東洋大姫路の監督が『ルールを勘違いして』エースの原をおろしてしまった事から、後半一気に緊迫感が高まった試合でした。時は流れ、あの時のエース原はヤクルトにドラ1で入団、一方『西武の希望』と言われた5年目の永江は、なんだかまだ芽を出せずにいます。永江~~~そろそろブレークしろよ~~。(西武ファンの、心からの叫び)


九州代表   大分商 (大分)      7度目(26年ぶり)
                   夏15度出場  甲子園通算16勝19敗   

大分の名門、大分商が選抜に26年ぶりに帰ってきます。大分といえば今は明豊、その前は柳ヶ浦の時代がありましたが、昭和の時代は、なんといっても津久見と大分商が県内の高校野球を引っ張っていました。大分商は昭和の初めからずっと甲子園の常連。津久見はその後から登場し、春夏の甲子園を制覇した強豪でした。大分商と言ってワタシが思い浮かぶのは、74年の選抜2回戦、あの広島商を破った試合が最初ですね。広島商といえばあの頃全国の高校野球のあこがれの存在で、その年も堂々の優勝候補の一角でした。何せその前年、広島商は選抜であの江川の作新学院を下し準優勝、そして夏はサヨナラで全国制覇を果たしましたからね。その翌年であるこの年のチームも強力で、優勝候補に名を連ねていましたが、初戦で対戦した大分商は、揺さぶられても揺さぶられてもぶれることなくしっかりと守り続けて、広商得意のロースコアの接戦に持ち込まれるも、なんとその試合を制してしまいました。スコアは3-2。序盤に3-1とリードを奪い、その後のしぶとい守りは、なんだかすごかった覚えがほのかにあります。何せ、広商はこの試合、大会記録となる1試合14盗塁。走って走って走りまくる広商野球全開・・・・・ながら、それでも大分商の堅塁を崩せませんでした。そして次に思い出されるのは、79年のチーム。選抜に出場してきた大分商は、地味なチームとの評もありましたが、初戦で秋の関東大会優勝校・作新学院と激突し、これまた堂々と破っていったのです。エースは後に巨人で大活躍する岡崎。この試合も大分商は、耐えて耐えて、同点で迎えた終盤の8回に大爆発して、これまたアップセットを達成したのです。そしてこの粘り強さは夏も発揮され、夏からエースを担った左腕の2年生、松本投手をバックが盛り立てて、同校史上初めての「甲子園1大会3勝」を記録して準々決勝まで進出しました。何とも粘り強い、いいチームでしたね。翌年は3年生になった松本投手を軸に夏の甲子園に連続出場。初戦で好投手・欠端(元ロッテ)の福岡を破りましたが、2回戦では頼みのエース松本が肘痛を発症、スローボールだけしか投げることができなくなり浜松商に惜敗して甲子園を去りました。肘が痛くて思い切りボールが投げられないにもかかわらず、最後までマウンドに登り続けたところは、なんとも昭和を感じますね。しかしこの後、今度はその試合で勝った浜松商のエース浜崎投手がひじ痛を発症。スローボールのみになり滅多打ちにあうという、いわく言い難い展開となりました。その後平成に入ってからは柳ヶ浦、明豊など私学勢に押され甲子園出場もままなりませんが、97年に一度、春夏連続出場という時がありました。この時もセンバツ初戦で9回2死から追いつくなど、「さすがは粘りのダイショウ」とうなるような戦いを見せてくれましたね。最近ではワタシの最も好きなプレーヤーである西武の源田や、広島の剛腕・森下などのプロ野球選手を生み続けている大分商、「どっこいまだまだ生きてるぜ!」というところを全国の高校野球ファンに見せて、あの粘りの野球で大活躍してほしいですね。



九州代表  長崎日大 (長崎)       4度目(2年連続)
                     夏9度出場  甲子園通算12勝12敗

昨年の記事では、09年の大瀬良投手の代の長崎日大のことについて書きましたが、そもそも長崎日大というチーム、右腕の本格派を生んで甲子園に送り出してくると定評のあるチームでしたね。甲子園初見参となった93年は、中村隼投手が軸で、まったくの初出場ながら臆することなく強豪に挑み8強入り、夏も甲子園1勝をあげました。連続出場した99年夏は崎田投手が奮闘、初戦で日大三を破ったかと思うと、2回戦では当時全盛期だった明徳義塾をも破り3回戦へ。翌夏は3年連続出場となり、この時も右腕の浜口投手が軸。粘り強い戦いぶりで8強入りし、堂々と全国の強豪の仲間入りを果たしました。そして07年。今度は左腕の好投手・浦口を擁し、投打にバランスの取れたチームで4強入り。準決勝では佐賀北と隣県対決となりましたが、ワタシは「多分長崎日大が勝つのでは・・・・・」なんて思ったりもしていました。思えばこの長崎日大、何だか妙に、地元九州のチームと激突する確率が高いなあ・・・・・なんて思っていたのは、ワタシだけでしょうか?
金城監督時代を過ぎ、近年はなかなか甲子園に歩みを進めることが少なくなってしまった長崎日大。しかし昨年の選抜で久しぶりに甲子園に帰ってきたかと思ったら、準優勝する強豪・近江に対して9回までリードするという素晴らしい戦いを披露。復活をアピールしました。そして今年。。。。2年連続の選抜に、久々の1勝を期待するファンも、多いと思います。


前回の記事 ⇒

長崎日大というと、やはりワタシが思い出すのは金城監督。2018年夏限りで監督を勇退しましたが、沖縄尚学の監督として99年選抜で沖縄県勢初の全国制覇を成し遂げ長崎日大監督に就任。その前から甲子園に出場する実力を持った長崎日大を、全国の強豪に伍していけるチームにグレードアップさせました。07年の選手権では左腕の浦口投手を押し立て準決勝へ。その頃は清峰が非常に強いチームを作っていた時期ですが、この長崎日大も登場し、本当に長崎県の野球のレベルがグーンと上がったと思わせてくれる時期でした。長崎県は九州の中ではやや「野球後進県」的な位置づけを佐賀とともに抱いていた時期が長く、福岡、熊本、鹿児島、沖縄らの強豪には少し後塵を拝するという時期が長かったのですが、この2010年代に至る数年は非常にレベルが高かったですね。そして思い出すのは09年の夏。その年春は清峰が今村投手(元広島)を押し立てて全国制覇を成し遂げました。しかしここで黙っていなかったのが金城監督率いる長崎日大。こちらもエース大瀬良(広島)を押し立ててガチンコ勝負を挑み、長崎県大会準々決勝でその清峰を撃破。そのニュースは、瞬く間に全国に広がっていきました。今のように地方大会の動画をだれでもが見られるという時代でなかったために、ワタシはこの対決、今でも「見たかったな~」と思ったりしています。(ちなみにそのほかでは、85年高知大会の伊野商・渡辺vs高知商・中山、00年埼玉大会の浦和学院・坂元vs春日部共栄・中里の投げ合いなどが、心に残る剛腕対決です。)
そして清峰の今村を破って出場した甲子園、その初戦で長崎日大は、その年のセンバツ決勝で今村と投げ合った剛腕・菊池雄星の花巻東と激突するのです。いや~~熱い戦いでしたね。甲子園の神様の差配というものを、強く感じる試合でしたね。その運命的な試合、菊池からなんと3本のアーチをかけた長崎日大が3度までもリードを奪うものの、粘りに粘る花巻東に大瀬良がつかまって逆転負け。カクテル光線に輝いた「球史に残る戦い」で敗れ去った長崎日大は、その後なんだか急速に力を落としていってしまって、翌10年の夏に出場して以来、この10数年は全く甲子園に出場することがかないませんでした。今回は新たな監督である平山監督の下、捲土重来を期しての出場になります。あの輝きは、果たして戻ってくるのか。最近はすっかり新興勢力である創成館や海星、佐世保実、波佐見などに県内の主役の座を奪われている長崎日大の巻き返しが、はじまるのか、期待を持ってみることにしています。


(おわり)


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