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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   16.神奈川(その1)

2012年07月19日 | 高校野球名勝負

最も印象に残った球児

16.神奈川



原 辰徳  内野手  東海大相模   1974年 夏   1975年 春夏  1976年 夏 


甲子園での戦績

74年夏   2回戦    〇  3-2     土浦日大(茨城)      
        3回戦    △   13-6    盈進(広島)
        準々決勝  ●   4-5     鹿児島実(鹿児島)
75年春    2回戦    〇  1-0    倉敷工(岡山)
        準々決勝   〇  2-1    豊見城(沖縄)
        準決勝     〇  6-2    堀越(西東京)
        決勝     ●  5-10    高知(高知)      
    夏  2回戦    〇   5-3    松商学園(長野)
        3回戦    〇  7-3    三重(三重)
        準々決勝  ●   4-5    上尾(埼玉)
76年夏   1回戦     〇  5-0     鶴崎工(大分)
        2回戦     ●   0-1    小山(栃木)
        



神奈川県と言えば、
言わずと知れた全国最多の出場校数を誇る激戦区。

昭和20年代に湘南が全国制覇を果たし、30年代には柴田擁する法政二が【高校野球史上最強チーム】と言われるものすごいチームで夏・春を連覇。3季連覇の偉業を達成する寸前まで行きました。
40年代に入っても、東海大相模、桐蔭学園という新興勢力が現れ2年連続で全国制覇を達成しました。
この両チーム、東海が2度目、桐蔭は初出場での全国制覇ということで、
地区のレベルの高さは相当なものだったと思います。

そんな中、
神奈川球史に燦然と輝く大ヒーローは二人。
投の松坂(横浜)、打の原(東海大相模)です。

別の言い方をすれば、
”昭和の若大将”原と、”平成の怪物”松坂ともいえましょう。

この高校野球史に残るヒーロー二人、
どっちがワタシにとって【もっとも印象に残った】選手か、
悩みに悩みましたが結論は出ず。

どちらかに絞ることが出来ないので、
2回に分けて、
両選手の軌跡をたどりたいと思います。

まずは年代順に、
若大将・原辰徳からです。


原が甲子園に登場したのは1974年のこと。
東海大相模は、
三池工業を優勝に導いた名将・原貢を監督に迎えて急成長。
70年に悲願の全国制覇を達成して、
一大王国を築こうという道程でした。

しかしその年は、
前年の選抜優勝校で若き闘将・渡辺監督に率いられた横浜高校が剛腕・永川を擁しセンバツ出場。
夏もまた、永川の横浜が最有力と言われていました。

県大会の決勝は、
図らずも両雄の対決。

この決勝戦が、
時代を超えて現在になるまで続く横浜vs東海大相模のライバル対決の最初の第一歩だったのではないかという気がします。
結局この年は東海大相模が横浜の永川を攻略して甲子園へ。

そしてそのメンバーの中には、
エース村中・主砲津末と並んで、
原監督の息子である原辰徳が名前を連ねていました。
いずれも後に甲子園で『知らない人がいない』と言われる3人の、
1年生の時の姿でした。

名将・原監督の息子が甲子園に出場。親子鷹で甲子園制覇を狙う!

マスコミはこう報じたものの注目度はさほどでもなし。

しかしこの東海大相模、
【球史に残る】試合をこの大会で次々に演じたことで、
大会後は≪東海フィーバー≫が始まりました。

この大会、
まず東海大相模が対戦することになったのが土浦日大。
関東三羽烏と言われた工藤投手(のち阪神)を擁した超高校級のチームでした。

試合は土浦日大ペースで終始進み9回へ。
ここで東海大相模は2死からランナーを出します。
ここで原監督のとった手は、
なんと盗塁。

これが成功して次打者がタイムリー。
『まさに名将』と言われた勝負手で同点に追いついた東海、
延長ではリリーフの村中が小柄な体をいっぱいに使って好投。
ついに延長16回、
工藤を捕らえて満塁からサヨナラヒットでサヨナラ勝ち。

『やっぱり東海大相模は・・・・・原監督はすごい』
という余韻を残して、
3回戦に進出しました。

この試合、
原、津末、村中・・・・・・・
東海の黄金時代を作る1年生たち、
試合で躍動していました。

3回戦は猛打爆発。
16安打13得点での快勝で、
準々決勝に進みます。

相手は剛腕・定岡擁する鹿児島実。

この試合も、
手に汗握る大接戦となりました。

カクテル光線の下、
キラキラと光る美しい映像が、
記憶に残っています。

しかしワタシの記憶では、
この試合関東地方では、
途中で『サヨナラ~』という言葉とともに、
TV中継が終了したはず。

最後の最後は、
手に汗握りながらの『ラジオ観戦』だった記憶があります。

でも、
延長14回の鹿実セカンドのサヨナラ負けを救った超ファインプレーなど、
瞼に焼き付いているのはなんでなんでしょうか。

まあ、それはさておき、
この試合でも東海大相模は9回に追いついて延長へ、
そして14回にも再度先行された1点を追いついて、
なんとも粘り強い野球をしています。

この頃の東海大相模の、と言おうか原貢の野球。
豪快な打撃のチームという側面とは別に、
実に粘り強く『最後まであきらめない』野球を貫いているという特徴がありました。

それが全国のファンを熱狂させ、
また”アンチ東海”(強すぎた当時は、たくさんいたと思われます)に歯ぎしりをさせたところだと思います。
間違いなく高校野球史に大きな足跡を残したチームでした。

この鹿実戦、
最後は定岡が疲労困憊になりながらも抑えきり、
ナインと抱き着きながらマウンドを降りてくる写真が有名です。
(この試合は、また鹿児島編で)


さて、
悲願の全国制覇を達成できなかった東海大相模でしたが、
原監督は間違いなくこの後の2年間こそがチームのピークと思っていたことでしょう。

その期待に応えて、
翌春のセンバツ、
東海大相模は準優勝までたどり着きました。

この東海大相模。
原辰徳の3年間は、
4度の甲子園で4度敗れたものの、
そのすべてがすべて1点差、ないしは大接戦のものでした。

そういう点では、
『あと一歩』が届かなかった東海大相模。
しかしそこには、
間違いなく日本人の心に届く『敗者の美学』がありましたね。

ちなみに、敗れた試合を列記すると、

74夏 準々決勝  4-5  鹿児島実   延長15回の激闘の末(9回、14回1点ビハインドを追いつく)
75春   決勝   5-10 高知      延長13回の死闘   (9回1点ビハインドを追いつく)
75夏 準々決勝  4-5  上尾      まさかの逆転負け。
76夏 2回戦    0-1  小山      選抜準Vチームとの投手戦に敗れる。


ちなみにこの75年のセンバツでは、
準々決勝の豊見城戦で、
追い詰められた9回2アウトランナーなしの場面から、
大逆転勝ちをしています。


75年夏。
この年が一番優勝に近づいた大会だったかもしれません。
盤石の攻撃陣で準々決勝進出。
相手は関東では東海大相模よりも格下の上尾高校。
『東海の圧勝』
が予想された試合でした。

果たして東海が逆転して4-2、
そのまま決まるだろうと思われた8回に上尾が執念で大逆転した試合でした。

春のセンバツでそのスラッガーとしての能力を花開かせ、
もう【親子鷹】という話題だけではくくられなくなっていた原辰徳は、
この上尾との試合で4安打。
『アンストッパブル』
の状態になっていました。

しかし逆転された8回裏、
満塁で打席が回ってきた原は、
この『おいしい』場面で、
痛恨のキャッチャーフライを打ち上げてしまいます。


そして翌年の夏。
最後の夏も原は、
2回戦の小山相手に、1点リードされた最終回の場面で、
焦ってサードボテボテのゴロを打ってしまい、
ファンが『ここで一発頼む』というところで力の入ってしまう”癖”を露呈してしまいました。

後年巨人でも、
『チャンスに弱い』
『ここでという場面では凡退』
『関係ないときによく打つ』
と言われてしまった原辰徳のキャラが、
この時すでに芽生えてしまっていたのかもしれませんね。

それでも『原辰徳行くところにファンとカメラあり!』の大フィーバーは、
大学に入るまで続いていきました。

桑田・清原の『KKフィーバー』
松坂大輔の『松坂フィーバー』
斎藤祐樹の『ハンカチフィーバー』
などいろいろありましたが、
それらすべてが【目じゃない】ぐらいの大フィーバーでしたね。


この原貢と原辰徳の3年間という、
お祭りのような時期を経て、
東海大相模は神奈川の盟主の座を横浜・Y校に明け渡し、
また平成に入って巻き返しを図り・・・・・

歴史は繰り返されるんだなあという感慨を、
深く感じることが出来ます。


上に挙げた桑田、清原、松井、松坂ら、
『ものすごい球児たち』に比べるとまだまだ荒削りではあった原辰徳ですが、
きらりと光る個性と、
きらりと光る白い歯が、
社会現象を巻き起こしたことだけは、
深く記憶されています。

*余談
 原監督が指揮官として、あんなに能力があるとは思っていませんでした。
 現役時代の姿を見ると、『監督は無理なんじゃないかなあ』と思っていたもんで。
 やっぱり名将であったオヤジさんの血を引いていたということでしょうね。
 カエルの子はカエルなんだなあ、としみじみ感じています。

 


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