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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

悲報! あのマサカリ投法の村田兆治、火災で壮絶な最期を遂げる。

2022年11月11日 | プロ野球

あのマサカリ投法の村田兆治さんの自宅が火事になり、
焼け跡から重体となった村田さんが運び出され病院に搬送されましたが、
先ほど亡くなったとのニュースが飛び込んできました。


まさか。。。


信じられません。



村田さんといえば、
先ごろ羽田で税関職員に暴行したかどで拘留されたニュースが流れましたが、
その時は「あの実直を絵にかいたような村田さんが、まさか」との思いでいっぱいでした。

それが今度は、
自宅が火事で焼死されたとのニュースとは。。。。

まだ全く実感がなく、
ボー然としたままです。


村田さんといえば、
ストイックを絵にかいたような「昭和生まれの明治男」と呼ばれた投手でした。

ロッテのエースとして長く活躍し、
その剛速球と”消える”と言われたフォークで三振の山を築き、
まさにパ・リーグにこそ存在するエースの一人として、
その存在感は抜群でした。

キャリアがピークの時代にひじを痛め、
その当時肘にメスを入れるのは投手の死を意味すると言われながら手術に踏み切り、
見事によみがえりその後「サンデー兆治」として、
数々の記録を打ち立てた大投手でした。

今と違い各チームに「大エース」が存在する昭和のプロ野球。
ロッテといえば、
10人が10人「村田兆治」と名前を上げるような大エースで、
テレビ放送もなくお客も入らない不遇のパ・リーグで、
少ない観客に向かって吠えるように大胆な「マサカリ投法」で、
バッタバッタと打者を三振に討ち取る姿が目に浮かびます。

古き良き時代の大エース

そんな風情を醸し出す投手でした。

引退しても60代まで、
130キロを超える速球を投げるまさに「鉄人」でした。

最近、
ひとり、またひとりと「昭和のサムライ名プレーヤー」がこの世を去っていくのを目にして、
何だかひとり、感慨に浸ることが多くなりました。
あの頃を思い出して。。。。

村田兆治

今度もまた、
ひとりのサムライの最期を、
懐かしくガラガラな川崎球場のスタンドとともに、
思い出しています。

そして朝からまた、
涙が出てきて困ります。


さようなら
そして、ありがとう。
決して忘れません。



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