この間、映画『福田村事件』のことを書いたら、フォロワーさんが2人減りました。
フォロワーさんが減ることは別にいいんですけれど…
去って行った人たちは、日本人による「朝鮮人虐殺」や、朝鮮人と誤認したことによる同胞虐殺について…
単に読みたくない、信じたくないというだけで、フォロー切りまでしたのかな、と思いまして。
縁を切りたいほどの人は、実は「虐殺否定論」を強力に信じている人だったんではないかなと思いました。
百田尚樹の『日本国記』にも否定論が書かれていたみたいですが、そうした本を読んだのかもしれません。
それで今回『虐殺はなかった』という論がどうやって発生したかについて、説明している動画を紹介しておきます。
何かの事実が広められることを妨害するためのテクニックとして…
その事実を否定する「説」を後から新しくこしらえて、世に出してしまうというのがあります。
どんなに穴だらけで、怪しいを通り越してデタラメな説であっても…
「諸説ある」にしてしまえば…
「諸説あって見解が定まっていないことを広めるのはいかがなものか」と言えるからです。
少なくとも、学校で教えたりするのを妨害することはできる。
現に、関東大震災後の朝鮮人虐殺は、こうして学校の教科書や副読本から削除されて来ました。
この手法を使えば、どんな歴史的事実でも修正・改ざんして、後世に残すことを妨害することが出来ます。
このようにして歴史を記述することが無力化され、歴史や歴史学というものの存在意義さえ危うくなります。
これは、知、学問、文明の破壊であり、それは、その集団の破滅へとつながります。
そんなことぐらいで、集団や国が破壊されたりしないだろ、と思う人も多いでしょうけれど…
私たちの日々の生活は、知や学問によって形作られた、文明によって支えられています。
これを書いているIT機器も、毎日通勤に使っている交通機関も…
食べ物、飲み物が私たちの口に入る仕組みも、すべて、元はそうした学知の成果によってなり立っています。
国同士で物資や人の交流が正常に行われ、平和が保たれているのも…
社会科学系、人文系の、知や学問についての共通理解、共通認識があるからです。
たとえその仕組みを知らなくても、我々は知や学問の成果である文明に「ただ乗り」(フリーライド)して…
日常生活を続けているのです。
でもその土台である知や学問、即ちこの世界の事実・真実を明らかにすることの価値がないがしろにされ…
反知性の社会になってしまうことの危険性は、私も含めた「ただ乗り組」には、なかなか見えにくい。
しかし、都合の悪い事実の歪曲、耳障りの良いウソ、辛い真実から目を背け隠蔽することなどがまん延すれば…
そのツケは、社会の荒廃や、他の国や集団との軋轢という形で、必ず返って来ます。
結果、そうした社会は必ず滅びの道をたどることになります。
事実・真実を直視することは、つらい場合がしばしばあります。
だから、楽なウソの方に「だまされたい」と思ってしまう気持ちは理解できます。
信じたいことしか信じない人が多いのも、わかっています。でも…
めんどくさい事実や、苦い真実を避けて、精神的にラクになれるトリックや口当たりの良いウソを取るのは…
「愛国」などではなく、個人的な「自己愛」です。
それは、明らかに亡国への道だということを、理解しないと。
自虐的という言葉で、過去にあった事実を隠蔽したり改変したりすることこそ…
かえって自分で自分を損ねて、前向きな未来を閉ざすことになるのです。
というわけで、今回は「震災時の朝鮮人虐殺」否定論がどこから出て来たか、それを解き明かした書籍について…
分かりやすい動画で、内容を解説しているものを紹介します。
ちょっと長いですけれど、どうかお時間のある時に、最後までご覧いただければと思います。
そして、出来たらこの動画で紹介している書籍を読んでいただければ、一番よろしいかと思います。