もうあと数日で、中学受験の時期が始まるみたいですね。
首都圏の都市部では、小学生の半分前後が私立中学を受験するのだとか。
残りの子どもたちの親で「できるならそうさせたかった」という人を加えると大変な割合になるのでは。
子どもを中高一貫校などの私立に通わせることが…
まだ10歳かそこらの少年少女の「子どもでいられる時間」を削り取って、受験勉強に追い込むことが…
そんなに重要なことなんですかね。
そうした事に向いてる子も、中にはいるでしょうけれど、人数が全体の半分以上って……
私は、あり得ないと思います。
世界が極端に不安定化し、これから子どもたちがどんな時代、どんな社会環境の中を生きて行くのか…
正直言って全くわからない時代。
少なくとも学歴だけで、今後50年、60年先の時代をサバイバルするのなんて無理なことだけは確かです。
親が、今現在の、個人的な価値観で、子どもをある方向にコントロールしたり、何かを強制したりして…
その責任をとれるでしょうか。
子どもは世の中のことをまだ知らないんだから、大人が導かなくちゃ、と?
親だって、子どもが生きて行くはるか未来の世の中のこと、全然知らないのは同じですから。
そもそも、親だからといって子どもをそこまで「制御」することが果たして許されることなのかどうか。
これまでの子育てはそうだったかもしれないけれど、今、そんな時代なのかどうか。
子どもの個人としての人格や、権利について、ちゃんと考慮しているのでしょうか。
お子さんがまさにその渦中の方には「あなたに我々の気持ちなんてわからない」と…
あなたの息子が育った時代と、今は違うんだ、と言われそうですが。
(わずか10年かそこらの違いですが)
うちの息子は、小学生の頃は近隣の友達と草野球をしたりなど、暗くなるまで外でガッツリ遊んで…
子ども時代しかできないことを、思い切り楽しんでくれました。
そのことが彼の人格形成に、なくてはならないプラスの影響を与えてくれたと思いますし…
何よりも、じつにいろんな立場の友達ができて、その付き合いが今でも続いています。
これが宝物であるということ、息子自身も強く自覚しているようです。
創薬科学の研究者としての道を、踏み外さないように、見失わないようにするための手がかりとして。
「患者さんのために」という、その幅広い患者さんの顔が見えるのが、どれだけ強いことか。
私立中学を受験していたら、その準備の過程や、入試そのものによって…
身の回りにいる仲間が、家庭の経済状況や、発達の仕方や時期、生まれながら持っている特性などで…
いろいろと「選別」されてしまって、ある意味均質化された友達しか作れていなかったでしょう。
この社会にはいろんな個性を持った、そしていろんな生まれ持った「立場」のある人がいて…
結果、いろんな職業に就く人がいて。
それらの人すべてに社会の中で大切な役割があり、全部ひっくるめてまともな社会なんだということが…
実感としてわからない人間になっていたのではないかと思います。
たとえば自民党の「二世・三世議員」の連中みたいな、限られた世界しか知らない、視野の狭い人間に。
そんな人間に、状況がめくるめく変化をし続ける、まさに激動の時代を生き抜く力が本当にあるのか。
これから数十年でこの人間社会は、天地がひっくり返るような変化が、色々なところで起きますよ。
国々の勢力地図や、人々の価値観、常識、人間としての規範、我々が住む世界の認識の仕方まで…
まさに天地がひっくり返るような変化がやって来ます。もうすぐ。これだけは間違いなく。
ちょっと気取った言葉で言えば「パラダイムシフト」というやつです。そんな中で…
より「良い学校」に通う競争に、9歳10歳ぐらいから血道を上げて、その先に描ける未来図が…
この先の世界で実現可能なものなのか、じっくり考えている親御さんがどれだけいるのでしょう。
立ち止まって、子どもが生きる未来の展望をきちんと「考える」ことをほとんど、あるいは全くせず…
子育てや教育に関して、目の前に出される「情報」に、踊らされているだけなのではないか。
その情報だって、ほとんどすべてが、資本主義の論理の中で、利潤を追求している教育産業が…
自分のポジションから繰り出した、顧客の創出と、誘導の「ためにする」情報なんだと気付かないと。
安定の時代ではなく、変化の時代を生きる人に求められるのは…
広い視野と、価値観や考え方の多様性を受け止めて、自分なりの思考と行動が、柔軟にできることです。
それなのに人間形成の初期条件を決定する段階で、あまりに狭いところへ追い込むことが…
子どものためになるのか。
じゃあ公立に通わせれば、そういう力が付くのか?と言われれば…
それ「だけ」では駄目でしょうね、と答えるしかないのですが。
ここで言いたいのは、なぜみんな「うちの子」が他の子を「出し抜いて」幸せになるという…
そういう方向のことばかり考えるのか、ということです。
「うちの子さえ幸せならば」という。
どうして「うちの子」が生きて行く社会を、より良いものにすることは考えないんでしょうか?
そちらの方がむしろ、おとなとしての責務なのに。
どんなに泳ぎがうまくても、油が浮かんで汚染されまくった、極寒の氷の海に放り込まれて…
しかも嵐にもまれては、すぐに溺れてしまうのは、目に見えています。
泳ぐのではなく、どんなにでかい、タイタニックみたいな大船に乗っていたとしても…
氷山や暗礁だらけの海を航海させたら、いずれ沈んでしまうんです。
それなのに、どうして「自分の子さえよければ」という方向にしか考えられないのか。
1万人にひとりしか、まともに生き残れない社会で、その0.01%に入ることを目指すよりも…
ほとんどの人が、それなりに生きて行く余地がある社会を作る方が、本当は簡単だし、確かなことなのに。
それがわからないという。
個人の力で社会なんて変えられない、と。そういう教育を受けているからですね、日本人は。
やってみたわけでもないのに、最初から諦めちゃってる。諦めるよう、心理的に誘導されちゃってる。
それなら、こんな不確定な要素だらけの時代に、子どもなんて作らない方が良かったんですよ。
「それを言っちゃあおしまいよ」なんですけれどね……。
とにかく、パラダイムシフトが必須な、そうでなければ人類の存続さえ危うい、こんな時代に…
既成の情報、しかもある意図を持って作られた情報に踊らされて…
子どもから「子ども時代」を無理やり奪い去ることの罪と、危険性を理解してほしいです。
「もう遅い。あと一週間も経たないうちに受験だ」というお子さんの親御さんには…
今さらではあるけれど、中学受験がうまくいかなかったとしても…
それぐらいこの先の人生に大した影響はないんだよ、ということを、お子さんに言ってあげてほしいです。
「人間万事塞翁が馬」ですしね。