いつも、ブログでも、そして実は家でも妻に向かって、いろいろと理屈をこねまわして…
ご迷惑をおかけしている私。
なるべく難しい言葉や言いまわしはやめて、またできる限りたとえ話などを通して語ることで…
一人でも多くの人に話をわかっていただけるよう努めていますが…
(そうでないと意味がないので)
うるさい、うっとうしいと感じておられる方は多いだろうと思います。
ところで…
私はクリスチャンではありますが、所属するカトリック教会をはじめ、あらゆるキリスト教会が…
偏狭で、まったく時代をキャッチアップできない「教義」(ドグマ)に縛られて思考停止していたり…
信徒個人を抑圧して、集団の論理を無理に押し付けようとしたりすること。
そして、カトリックで言えばバチカンの枢機卿や教区の司教などが「宗教貴族化」して…
本当に救うべき、弱い人々の気持ちなど分からない現実に反発を感じて…
教会や教団からは距離を取り、むしろかなり批判的な態度を続けています。ミサにも行かないし。
でも、信仰心がないわけでは、実はありません。
神の存在を確信できているかといえば、実は、個人的なことを言えば、嘘になってしまいます。ただ…
神など存在せず、死後の世界がないのだと仮定すると…
この世はあまりにも理不尽で、生きるに値しない、それどころか唾棄すべき点が多い。
罪のない子どもや善良な人が苦しみぬいた末に、無残に、何の生まれて来た甲斐もなく死んで行って…
(パレスチナを見て下さい)
一方でやりたい放題、暴虐の限りを尽くした人間が、安楽で思いのままの人生を最後まで送った末に…
死後は英雄にまつられ、かなりの数の人から慕われてさえいたりするというのが、この世の現実。
もしこれで、人間死んだらそれで終わり、なのだとしたら、あまりにもやるせない。救いがない。
だから、神様はいて「ほしい」。死後の世界はあって「ほしい」。
そうでないと、この世界はあまりにも不条理で、理不尽過ぎる、と思ってしまうのです。
人間など、これ以上生まれてこないほうが良い。文明社会など滅びてしまえばいい、と思うほどに。
そんな風に考える精神の根底には、自分でいま思い返しても、ひどすぎる集団的いじめを受けた上に…
味方をしてくれる友達がただの一人もおらず、教師には隠蔽され、親もまったく頼りにならなかった。
周囲がみんな敵で、完全に孤独な時期を、それなりの期間送ってしまった経験があると思います。
(自分で教育委員会や、児童相談所に直接訴え出るなど、11歳程度の子どもに出来るでしょうか)
私のいまの人格の形成に…
「生まれてこなければよかった」「こんな卑劣なやつら、みんな死んじゃえばいいのに」
とういう思いで過ごした日々が、影を落としている、というのはあるでしょう。
それから…
幼いころから(おそらく赤ん坊のころから)母に虐待され、どう考えても異常な接し方をされて来た…
その後遺症もあるのでしょう。
今になって思えば母だけが悪かったわけではなくて、しかも母もまた被害者だったのだろうと…
そんな風に思って、母を赦す気持ちが、最近になってようやく出て来てはいますが。
幼児虐待や、いじめによって、壊れてしまった人間。壊された人間。
その自覚がなく、悲しみや苦しみ恨みといった感情を、抑圧したまま意識に上らせず、忘れたことにして…
どこかにしまい込んでしまっていたなら、私はおそらく、何か精神の疾病を発症していたと思います。
それを自覚して、意識の表に出して、悲しみや苦しみ恨みと、まがりなりにも対峙できているから…
希死念慮がしばしば蘇って来るとはいえ、この程度で済んで、今でも生きていられるのでしょう。
「忘れなさい」と周囲に言われて、その通りにすることが…
精神疾患やしばしば凶悪犯罪という形で噴出するのは、精神医学や心理学で常に言われることです。
そういえば「京アニ」放火事件の青葉被告に、昨日死刑判決が出ました。
素人見立てではありますが、青葉被告は私の母と同じ、妄想性障害を発症していたと私は思います。
幼少期に強い精神的ストレスや、トラウマを経験した人に「そんなこと忘れなさい」と強要するのは…
無意識の精神的抑圧となった結果…
その人の人生を壊すだけでなく、社会にも、しばしばあのように大きな災厄をもたらすことになるのです。
ヒトラーや、スターリン、ポル・ポト、イディ・アミンのような、個人がなした大量虐殺の陰にもまた…
しばしばその人が受けた、虐待的な教育体験と、その事実の抑圧があると言われます。恐ろしいことです。
それはともかく…
こうしたもろもろの子ども時代からの体験が、私をキリスト教の道へ導いたのだ、と言うこともできます。
でも、実はそれだけが、大人になってから洗礼を受けた動機ではないのです。
これに関わって、ある種の神秘体験と言って良いものがありました。今日はその話をします。
西暦2000年、ミレニアムの年の暮れ、私は仕事でイタリアへ取材に行っていました。
仕事自体は、年内に全部終わることになっていたので…
しかも、ちょうど21世紀が始まる、という大きな節目を迎えるときに当たっていたので…
後から妻にイタリアへ来てもらって…
現地で夫婦一緒に、21世紀を迎えるカウントダウンイベントに参加しよう…
ということになっていました。
そして、仕事が一通り終わって。
私は北イタリア、リグーリア州の「チンクエテッレ」と呼ばれる場所にいました。
リグーリア海に面した、断崖の多い海岸にはり付くようにして、5つの小さな古い村が並んでいるエリア。
ユネスコの世界遺産にも登録されている、景勝地です。
その5つの村のひとつ「ヴェルナッツァ」というところを訪れた私は…
小さな湾に面した港の入り口に佇む…
サンタマルゲリータ・ディ・アンティオキア教会という、ちいさな教会に入ってみようと思いました。
こんな教会です。
小さな村の小さな港にある、小ぶりな教会ですが、創建は13世紀にさかのぼるものです。
この教会の入り口を入って、薄暗くて狭い通路を通ると、右側に白いマリア様の像がありました。
そのマリア様の像を見た瞬間、突然、私の目の前が白い光に包まれたような気がしました。
そして頭の中に次のようなメッセージ…というか、言葉というか、想念が降りて来たのです。
「これからの旅で、あなたの妻は大切な宝物(おみやげ)を得て、日本に持って帰る」
それは「聞こえた」というようなものでなく、一瞬のうちに、イメージとしてやって来たものでした。
それは、とても強いインパクトのあるもので、堂内に入ってからはぼーっとしてしまって…
後の記憶があまりないぐらいです。
そのときは、受け取ったイメージが何を意味しているのか、具体的には理解できませんでした。
ただ、生涯に一度あるかないかの、ものすごく重要な…
そして喜びに満ちた体験をしたのだということは感じました。
なので数日後、ミラノのマルペンサ国際空港へ妻を迎えに行き、会ったときに、挨拶もそこそこに…
妻にそのことを話しました。
妻も、話したときの私がとても嬉しそうだったので、忘れられないと言っています。
それから数日間、私たち夫婦はヴェネツィアに行って滞在し、そこで21世紀の始まりを迎えました。
その後、ヴェローナの街に行って、そこで久しぶりに夫婦関係を持ちました。
(ヴェローナはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の戯曲の舞台で「愛の街」とも言われます)
そして、日本に帰ってから数週間。
生理周期がとても正確な妻が、今月はそれが来ないということで、妊娠検査薬を買って来て調べたところ…
妊娠を示す、青い筋が一本。
すぐに婦人科に行って検査してもらったところ「妊娠されています。まだ数週間ですかね」と。
超音波での子宮の映像には、発生したばかりの、袋のような形の「我が子」が映っていました。
後にも先にも、その数か月の間に、私たちが夫婦生活を持ったのは、ヴェローナでの一回きり。
胎児の発達具合から考えて、そこで子どもを授かったのは、間違いないことでした。
結婚してから約8年。ずっと子どもはほしいと思っていたのですが、一向にできなくて。
妻も40歳が近づいて来ているし、もう妊娠はしないものなんだなと。
できないならできないで、無理に作ろうとまではしなくてもいいか、とあきらめ始めていた頃でした。
そうしたら、待望の子どもが、我が家に来てくれた。
このときになって、あの、ヴェルナッツァの教会で受け取ったイメージの意味が分かった気がしました。
「妻がこの旅で、大切な宝物を得て、持って帰る」という、あの想念。
この体験がきっかけで、私は「超自然的」な存在を感じるようになり…
その流れでキリスト教を本格的に勉強するようになり、成人洗礼を受けるに至ったのでした。
本当にそんな不思議な体験が、この世にあるのだとは、それまでは思っていませんでした。
やっぱり、通常の自然界の存在、人間の理屈で説明できる自然現象を超えたものが、あるのではないか。
それ以来、そういう風に思い始めた、ということになります。
実は、息子をめぐっては、もうひとつ不思議な話があります。
息子がまだ、2歳…たぶん3歳にはならないころ、私に向かって、こう言ったことがありました。
「あのね、お空からね、パパとママが、石のおうちの中にいるのがみえたよ」
「そんでね、あのひとたちでいいんだね、ってきかれたから、いいですって言ったの」
「そうしてね、ぴゅーって飛んでね、ママの中にはいったんだよ」
それを聞いたとき、なにか肌が泡立つような気分になりました。
「石のおうち」というのは、ヴェローナのホテルのことではないのか、という気がして。
「あのひとたちでいいんだね?」と訊いてくれたのが誰だか、幼い息子は分からないみたいでしたが。
本当に、不思議なことはあるものです。
やっぱり、私たちが生きている「この世界」でない場所や、超自然的な存在というのは…
「ある」のでしょうかね。