宇宙創造の主へ意識を合わせてみますと次のような言葉が感じられました。
「清いものは清いところへ。 尊いものは尊いところへ。
流れるように(そこへ行くように)見えるけれども、そうではなく
それは けじめ。
浄めようと律する心のけじめが清らかさを生み、そこに至る。
そうしようと思わぬ者は、そうしようとしなかったところへ落ちる。
これが世に云う 不揃いの例え」
訳しますと
清く在ろうとした者は自然とではなく必然と清いところへ行く。
清まろうとしなかった者も必然と清くないところへと落ちる。
それは一つのルール。
不揃いの例えとは、お金があったり無かったり、外見が綺麗だったりそうではなかったり、運が良かったり悪かったりなど現実ではそれが不揃いに見える。 の意味。
「いいな、あの人だけ」とか「何故、私だけ認めてもらえないのか」とか「どうして自分だけ不幸なの? まわりの人は皆 楽しそうなのに」とか。
不公平がある(と思っている)事に不満を持つ心の持ち主は
「実は皆が平等で不幸に思えるのは自分の心の持ちよう、または過去性での自分のつけで不幸不運現象が起きている事」を忘れている人であるのです。
最近は特に清まることの大切さを考えています。
加工した食品や濁った空気を避けたり、悪い言葉を使わないようにしたり、怨んだり憎んだりしないように注意しています。
私を偽物扱いしたり妬んだり疑う気持ちの人達の悪想念には「清らかであること」以外の対策は無いように感じます。
悪想念には善想念。
今日のお言葉は そんな私への励ましでもあると感じました。