あれは2008年3月のことだった。まだ42歳の若さで癌という病で天国に逝ってしまったKKさん。お酒もタバコもやらない真面目でこよなく中日ドラゴンズとウルトラセブンを愛する青年だった。特に「大島康徳選手」を少年時代から追っかけする程の熱狂的なファンだった。ついでにアンヌこと「ひし美ゆり子」のファンでもいてくださった。’98年知り合って丁度10年目の3月10日彼は逝ってしまった。その間仲間達とセブンのロケ地探訪などなど楽しいイベントがたくさんありました。
今日、大島康徳氏の訃報を知って、僭越ながらこのブログの記事にKKさんが最期に涙を流した記事が書いてあります。大島さんは彼の入院する横浜の病院まで駆けつけて「最後のキャッチボール」を。お優しい方だった(合掌)
下のリンク記事はkkさんが亡くなられる3日前2008年3月7日に書いたものです。
https://blog.goo.ne.jp/anneinfi/e/559e5a52af079a57f82dcd89b7217ca6
今日、大島康徳氏の訃報を知って、僭越ながらこのブログの記事にKKさんが最期に涙を流した記事が書いてあります。大島さんは彼の入院する横浜の病院まで駆けつけて「最後のキャッチボール」を。お優しい方だった(合掌)
下のリンク記事はkkさんが亡くなられる3日前2008年3月7日に書いたものです。
https://blog.goo.ne.jp/anneinfi/e/559e5a52af079a57f82dcd89b7217ca6
また、タイトルにあります。”元中日大島さん逝去”、ドラゴンズファンとしてもとても残念です。東京新聞夕刊に4月からコメントされていたので、闘病生活に打ち勝ち、元気に復活されたと思っていました。そして、”KKさんの話題”、4/5年前か?、暫く前に読んだ事を思い出しました。コロナ状況の中、無理することなく、健康第一で頑張って下さい。!2021年ウルトラ警備隊、アンヌ隊員。。。ご機嫌よう。
どんな人生に転換するのか解らない、と
感じながら生きています。 ちょうど母親が別人のように
痴呆(現在でこそ認知症)になって。 父親と10年間
在宅介護(途中、入院)をしてきましたが、何度も職を
失いかけ。 こればかりは解らないですね。
闘病生活の記事をちらほら拝見している程度ではありましたが、名古屋在住の折、名古屋ドームのベンチ上から試合を拝見していた頃を思い出します。
勝っても負けても楽しそうにプレーをされていた印象があります。
そんな彼を人を介してゆり子さんも繋がっていらしたのですね。しかもとても素敵なエピソード。。
人の想いって不思議な力を発揮してくれることがありますよね。今頃はあちらの世界で再会を果たされている頃でしょうか・・
安からに・・ご冥福をお祈りしております。
ゆり子さんもお身体、ご自愛なさってくださいね!
失礼いたしました。
1983年(昭和58年)10月、3度目のセリーグ優勝を果たした中日は都内ホテルで祝賀会開催。
恒例のビールかけ🍺
大島選手はビール瓶持ってシェイクしながら
「ノッてるよ~!」と何度も叫びながら選手たち報道陣たちに次々とビールをかけていた。
まるで子供のようなはしゃぎっぷりだった。
野武士野球と呼ばれた近藤監督のもと、苦労して苦労して、勝利数が上回る巨人に対し、引き分け数の差で勝率でもぎ取った優勝だった。
会場での鈴木孝政投手インタビューのひと言。
「ウチが一番強いんだから」が印象的。
その年は、大投手江川から2-6で誰もが負けと思った試合を、大島選手が一振り(ボテボテゴロ…でも執念でサヨナラヒット)で決め、優勝へ勢いづかせたのでした。
「みんなで、みんなで勝ったんだ!」…クシャクシャ泣き顔のヒーローインタビュー。
そんな1983年を思い出しました。
大島康徳さんにお悔やみ申し上げます。
若い頃に本多二軍監督に背広を買ってもらった話、とレートになった時の「必要ならトレードに出さない。だが必要だと思われなければトレードで欲しいと言われない。」等、いろいろなエピソードが思い出されます。ご冥福をお祈り致します。