新年、珍しく四人兄弟が揃った。
例年は母が居る我が家に夫々バラバラに訪ねて来たが、
喪中の今年はAsian Taipeiに一斉に集まった。
古稀を迎えた長女を筆頭に長男次男に次女の私、昔話に花が咲く。
私は末っ子だから知らない話がイッパイだ。
みんなよく覚えてる~昔の事はねっ、最近の事は忘れちゃうくせに(笑)
姉からは毎度訊く話だけど。。
『地谷子は汚い汚い!
いっつもセーターで鼻水拭いて袖がガビガビに光ってた。
汚れたエプロンかけて
緑の長靴履いてたわねぇ』
「だけどその頃お姉ちゃんと一緒に写真撮った事ないよね?」
『あるわよ。私持っている。まんまるに太った豚みたいな地谷子の写真』
「えっ?今度持って来て~」
その頃の写真があったとは!?
それにしても初めて知る話がイッパイだ。
次兄が・・
『親父に連れられて新宿の前田の伯母さんち(父の姉)に行ったんだ。
邸宅の殆どが戦災で焼け野原だったけど、
ちょうど今の伊勢丹辺りから花園町までの大きな敷地だったんだ。
そこで生まれて初めてレモネードをご馳走になった時思わず、
「不味い!」
って言っちゃったんだ、あとで親父にこっぴどく叱られたよ、
ホント怖かったな親父』
「エ~前田の伯母さんちってそんなにおダイジンだったの?」
『そうだよ。伯母さんは加賀の百万石の前田家の末裔に嫁いだんだ。
親父は学生時代、そこに書生に入ってたんだよ』
「フ~~~ン」
姉が・・
『地谷子覚えていない?中野の家にマイセンの陶磁器で出来たスタンドや
オルゴールや、あの時代じゃ滅多にないお洒落な調度品が沢山あったの。
あれはみんな前田さんから頂いた物なのよ。
私が中学受験に合格した時だって○○を頂いたわ~』
長兄が・・
『そう言えばあの頃ウチに居た二人のお手伝いさんの若い方が
当時の相撲取りの「名寄岩」に似てたので親父が
ナヨロイワ・ナヨロイワって彼女を呼んだら怒って出て行っちゃったな(笑)』
フ~~~ン。
みんな幾つになってもお嬢様お坊ちゃま生活が忘れられないみたいですねぇ。
姉兄等は乳母日傘で育ったらしいけど、
私は全~くイイ時代のこと知らないのです。
物心ついたときは両親がなんだか険悪な雰囲気で、喧嘩ばかりしてたよなぁ。
そのうち中野の生家から井の頭に引っ越したんだ。
私の覚えているのは父が晩年母に向って・・
「もうそろそろ、お迎えがくるだろう・・先にあの世で待っているからな」
『ヤナコッタ~!』
・・母のキツ~い一言ですねぇ(笑)それだけ苦労させられたのでしょ。
昨年母にお迎えがきたのは父がなくなってから25年後のことでした。
あらあらもうこんな時間、ではでは・・この辺にしておきましょう。
それにしても古い古~い60年前の昔話でした~。