あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

郷愁・・

2006年07月27日 21時51分31秒 | 地谷子のひとりごと
先日、吉祥寺で人気の焼肉屋さんに行った。
平日にも関わらず超満員で30分も待たされた。
美味しくて、ダイエット中なのにチト食べ過ぎだかな。
苦・苦しい~!腹ごなしに少し歩こうと、
仲間達と連れ立って井の頭公園へとウォーキングだ。

井の頭公園は私にとっちゃ色々なドラマがあった場所だ。
昭和29年7才の時から30才手前まで20年余り公園傍に住んでいた。
幼少期から青春期をズ~~と我が庭のように馴れ親んだ井の頭公園だが、
けっこう様変わりした所とそうでない所とまちまちだった。

夜の井の頭公園は相変わらずアベックが多く
池の周りのベンチにはアベックで花盛り、チト刺激的だった。
あのカップルもこのカップルもみ~んな別れちゃうのかしら??
だって、井の頭公園をデートしたカップルは必ず別れると、
いつの日かそんなジンクスが出来てしまっていたんだもの。

ベンチの後ろを内心ほくそ笑んで歩く意地悪バァさん気分だ。  
そう言や~私も、若い頃はかなり井の頭公園でデートしたけど・・
み~んな別れちゃったよナァw

公園の弁天様前の急勾配の階段を上がると右側に大盛寺という寺があり、
寺の前から左側に黒鳥居に通じる道が子供の頃よく遊んだ黒門通りだ。

昭和30年代はその通りには「曙」「山水」2軒の古旅館があった。
今思うと連れ込み旅館なのだろう、山水旅館の娘と同年令でよく遊んだが、
当時旅館にはお風呂は岩風呂の様な大風呂ひとつだけだった。
遊びに行くとよくお風呂に入れてもらった。気のイイおばちゃんで
「ちや子ちゃんお風呂に入っていきなさい」
私ン家にはお風呂がなかったから、お風呂屋に行く煩わしさと風呂銭が助かった。
で、今思うと迷惑な話だが、お客さまのカップルと4人でよくお風呂に入ったもんだ。
昼下がりから・・

その後カップルに何がおこるとは皆目分からない未熟な私だったから、
お風呂の中で一緒に歌を唄ったりお話したり、
「どこから来たの?いつ帰るの?」
『こんな可愛い子が欲しいわ』
なんて女性客に背中を流して貰った事もあった。
ウフフ・・牧歌的な時代だったんですねぇ。

また時代の変遷時のギャップか?その旅館の隣に何時しか不調和な建物が建った。
「プリンス会館」と言って車会社の保養地だか?文化施設だか?
玄関前には広く鋪装されたスペースでお洒落な空間があった。
近所の子供等にとっちゃ遊ぶのに恰好の場所だ。
そこでゴム段・缶蹴り・丸書き鬼・・あっそうそう、思い出した~。
そこで放し飼いの犬二匹が「ハマった~!」と、
旅館のおばちゃんが「ホレ~」バケツに水を汲んで犬にぶっ掛けていた。
二匹の犬は離ればなれになった。何の事だか分からない、目を白黒させてた私だった。

アレ~~スミマセン。話がまたまたあの30年代へと脱線してしまいました~。
兎にも角にも、先日散歩した懐かしの黒門通りは二つの旅館もプリンス会館も、
何の跡形も残っておりませんでした。    ーおそまつー m(_ _)m

『ウルトラヒロイン夢の対談』・・本音と建前!?

2006年07月23日 11時05分14秒 | アンヌのひとりごと
昨日「世田谷文学館」で『ウルトラヒロイン夢の対談』と題して
桜井浩子さん(ロコ)と私めひし美ゆり子とのトークショウがあった。
当初はふたり別々の日にトークをするという企画だったが、
何せト-クの苦手な私(チョイト一杯入ってたら別だがw)
結局ロコと一緒だったら..と実現したというのが本当のところ。

私が現地に到着した時、ロコは既に活動していた。
やはり出演者とPDを兼ねているフジ隊員は凄くエネルギッシュだ。
たくさん行き交う関係者をテキパキと紹介してくださり、
めっぽう人の顔と名前がおぼつかなくなった私めアンヌ隊員は
フジ隊員のその姿に目を見張るばかりで、
もうもう頭がボ~っとしてこれから始まるトークの事まで頭が回らない。

やはり脳細胞を普段からフルに使ってる人、
かたや呑んだくれてばかりの怠け者の己との差は如実だ。
怪獣相手に男姓に混ざって戦ってきた二人のヒロインは・・
名実ともにフジ隊員に軍配だ!

さて、トークが始まった。
会場に拍手されて入場したが、控え室でのボ~ッとした状態が続いていて
何を喋っていいのか?さっぱり脳が回転しない。
いつも一杯やりながら気楽にトークするのとは訳が違う。

円谷プロ会長さん以下たくさんの円谷スタッフの方々に視線を浴びて、
過去のヒロインとして何を喋って良いのか?
失礼があってはいけないし・・この場は本音と建前もあるだろう・・
と、察知した私は兎に角、借りて来た猫状態だった。
ロコは何年もチビッコショウなどの司会をしている経験者、堂々たるものだった。

本音を言うとロコとの唯一の共演した幻の12話「遊星より愛をこめて」を
話題にするのが一番自然ではないかと思っていたが・・
しかし始まる前に円谷プロ会長さんにねぎらいの言葉をかけられた瞬間、
私の心は乱れてしまい、建前上その話題にはすっかりブレーキが掛かってしまった。

何もあの場で語るべきではない、イエ正直言ってご丁寧なねぎらいの言葉が
私にとって凄く嬉しかったから・・・
今度そのことについてゆっくり膝を交えて語り合える日がきたらイイナ。
・・ウン!そんな日がいつかきっと来るわね。

またもやレコーディング!

2006年07月19日 11時44分46秒 | アンヌのひとりごと
昨日・・
先日の「ウルトラマンメビウス」に引き続きCDのレコーディングだ。
今度はメンバーが少し入れ代わって「ダンディーフォー」コト
黒部進さん・森次晃嗣さん・団時朗さん・高峰圭二さんを始め
毒蝮三太夫さん・二瓶正也さん・桜井浩子さんとそして私めの
「昭和ウルトラマンシリーズ」に関わった懐かしの8名だ。

唄った曲はかなり斬新に21世紀バージョンにアレンジされた
「マン」「セブン」「帰えりマン」「エース」「タロウ」「レオ」だ。
また懐かしのセリフの再現なんかもしてしまった。
私とダンは最終回の告白シーンを、また他の方は各々シリーズの名場面だ。
「セリフは当時のデュープを使えませんか?」
なんて野暮な質問をしてしまった私。

もうもうこれだけのメンバーが集まるとお喋りや笑い声が絶えまなく
昔話に話が咲き、まるで同窓会気分だ。
また40年間の時の隔たりは諸行無常だなぁ・・と思う話題もチラホラ、
セリフ憶えが悪くなったよ、説明セリフなんか尚更だ。・・とか
JRのスイカのグリーン車のお得な買い方使い方・・等々。
その間ロコ(桜井さん)はひとりスタッフとして忙しく走り回っていた。

お陰で二日間スタジオを押さえていたのに、一日で終了。
「大成功です!皆さんのお陰で素晴らしいものが・・出来上がりをお楽しみに」
ディレクターさんがかなり感動なさっていた。

終了後はお決まりの打ち上げです。出掛けに大雨だった為私は車だ。
蝮さんが「アルコールを呑まないアンヌなんてつまんないや。何とかしろよ。」
ロコのお計らいで、24時間営業している東京タワーPに車を置かせて貰った。
メンバーがメンバーだけに楽しい宴だったが、
それでも蝮さんが翌日の仕事が早い為9時過ぎにはお開き。

今朝も大雨。今し方主人を拝み倒して東京タワー駐車場まで車で送ってもらい、
車をとりに行って来た。それにしてもよく降り続く雨だなあ。

オールウェイ・井の頭4丁目の夕日・・??

2006年07月17日 11時38分12秒 | 地谷子のひとりごと
小学校高学年(S32~34年頃)の私の記憶。。

記憶力はわりにイイほうだがそれを勉強の方に活かせば良かったナ。
長嶋茂雄選手が巨人軍に入団した年がS33年。打率が3割3分3厘。
背番号が3番 「3」に縁があるルーキーでした。
その頃ちょうど算数で歩合を習った時です。歩合は得意だった。
何故って先生が長嶋選手の打率を引き合いに出して教えてくれたからです。

野球といえば当時小西得郎さんという解説者が独特の抑揚で言う・・
『え〜何と~申しましょうか~』
と言う小西節がブームとなり今だったら「流行語大賞」間違いなしです。

この頃庶民にテレビがじわじわ普及し始めたのでした。
「○○さんちがテレビを買ったヨ」と噂になるほどの時代で、
テレビのある家の子はそれが自慢で、テレビのない家の子に向って
『あんたんちテレビある??』 
テレビのない家の子供にとっちゃイタイ質問でした。

井の頭公園傍の旅館の娘が私にそんな意地悪な質問してくるんです。
テレビのない事知ってるクセに・・口惜しいから仕返ししてやったんです。
「ウンまだないけど、じゃあ、あんたんち電気椅子ある??」
どうせ電気椅子が存在する意味も解らないだろうと皮肉って聞いたのです。
『ウン??電気座布団ならあるけど・お母さんがもうすぐ買うって言ってた』
ウフフ・すっかり嘘がバレバレだけど「へぇ~イイナァ」って言っときました。

因みにウチにテレビがきたのはズーと後のS35年夏でした。

三丁目の夕日繋がりで・・

2006年07月13日 15時04分52秒 | 地谷子のひとりごと

投稿後に見つかった写真をupこんなイメージのお宅でした~(2011年1月19日投稿)

 

三丁目の夕日繋がりで・・昭和33年前後を私なりに思い出してみよう。

○小学校4年か5年の社会科見学でまさにあの東京タワーの建設中を見た。
普段ボ~ッとしていた私が、その日他に見学したものはひとつも記憶がないが、
東京タワーを見た感動は未だ鮮明に憶えている。
バスの中から見たその光景はこの世のものとは思えないほど巨大で、
丸でゴジラが出現したように他の生徒も「ウワ~」と一斉に声を上げた。
タワーのまん中の展望台?の膨らみまで出来ていた頃だった。

○初めて飲んだコーラ、初めて食べた焼肉・ショートケーキ、
初めて乗った自家用車などの新鮮な出来事のetcはこれから書かせてもらう、
近所に引っ越して来たハイソなお宅にみん~な味合わせてもらったのだ。

当時住んでいたのは東京吉祥寺は井の頭公園のすぐ上。
その頃、家の裏手に高級分譲住宅地(一軒が100坪以上)が10区画売り出された。
すべて購入者の好みの注文建築だがその一画に一際ハイカラな家が建った。

瀟洒な洋風の1階建て、外から玄関に続く階段、
周りの塀は白い網状の鉄製フェンスにバラが絡むように作られていた。
庭には芝生が敷き詰められまん中に小洒落れた噴水プール、
庭に向ってLの字に建てられた各部屋の前にはL字テラスが繋がっていた。
そのテラスやプールの縁取りにパンジーとディジーの花が交互に植えられて、
今流行りのガーディニングか。その界隈じゃ取り分け目立ったお宅だった。

兎に角あの時代じゃかなり目新しい垢抜けしているお宅だった。
そこに越して来たのが私と同じ歳の女の子・美令由(みれいゆ)ちゃん、
二つ年下の弟の絵美留(えみぃる)ちゃんとご両親との4人、
TVドラマ「名犬ラッシー」と同じコリ−犬(アリール君)もきた。
ねっ!日本人なのに命名だけでも「ハイカラ」でしょ。
私はそこの子供とすぐに仲良しになって家に上げてもらった。

広いサロン(居間をサロンって言ってたナ)にはビクターのテレビだろう?
テレビの上に陶でできたあの犬の置き物が飾ってあったから。
大理石仕様のPタイルの床に豪華なソファーがテーブルを囲んでおり、
それとは別に立派な食卓も、洒落た電話器の専用卓もあった。
居間だけで10坪はあったかな。壁には主人(あるじ)の描いた絵(裸婦)と、
子供二人の大きな写真も額無しのお洒落なカットで飾られ、
その壁の下には暖炉も備え付けられていた。

あるじの仕事は放送局の演出家かプロデューサーだったと思うが、
毎週末には仕事関係か?やはり垢抜けした来客で賑わっていた。
そー言や、そこのお母さんにこんなコト言われたっけ。
「ちや子ちゃんはおメメが大きくて綺麗だから将来女優さんになったら」
お客さんが・・
「ウンまつげの長い子だね」
「まさか~、」
内心こんなイモ無理に決まってる、恥ずかしくて話を反らした憶えがある。

私はすっかりそこの子供に化してしまい、年がら年中入り浸って
母を困らせたものだった。ウチは明治生まれの父に大正初期生まれの母、
かたや、昭和初期生まれのご両親の繰り広げる毎日が新鮮で面白かった。

別フロアの台所には冷蔵庫は勿論、ご飯を入れる魔法ジャーに・・
あっそうそう、越してきてすぐに電気冷蔵庫に買い替え、
氷を入れる冷蔵庫は我が家にくださった。

高嶺の花の冷蔵庫がきた我が家はもうもうそれだけで大騒ぎだ。
氷を半貫目買ってスイカやトマトや牛乳やビールまで冷した。
父の晩酌に冷えたビールを使いにやられる煩わしさもなくなった。
それより何よりも毎日勝手気侭に冷蔵庫を開けて氷を砕いてしゃぶる事が
あの頃の私にとっちゃ何よりの贅沢、何よりのおやつだったわね。
でも、狭い我が家にはチト身分不相応な代物だったかもしれない。
台所のすぐ傍で寝ていた姉が、
”冷蔵庫の氷がとけてパイプから流れる音がうるさいくて眠れない”
なんて贅沢な悩みをいってたっけナ。

話は戻るが・・
引っ越して来て間もなく紺色のダットサンブルーバードの新車が納車された。
試運転の時、麹町の親戚の家に行こうと・・私も便乗させてもらったけど、
当時、自家用車のある家はそんじょそこらにゃなかったわね。
井の頭から麹町へ行く道のりはまだまだすいていた。
たまにお洒落なイヤイヤ「ケバイ」と言った方が的確かも知れない、
外車シボレーが前から見るとメガネギャングの様な風貌で通り縋っていった。
もしや?当時の芸能人の車かもしれないわね。

麹町のおじさん宅で着くなりコーラを出してくれた。
叔父さんは当時有名な商社にお勤めで優雅なくらしをしていたようだ。
そこで初めて口にした「コーラ」は・・私にとっちゃサイダーには負けていた。

・・フ~~喉が乾いちゃった。
コーラでも買ってこよう~っと。続きはまた気が向いたらね。


映画は娯楽?・・年代のギャップ?

2006年07月11日 17時49分34秒 | 地谷子のひとりごと
一昨日”ALWAYS 三丁目の夕日”のDVDを観た。
「明日返すので一緒に観よう。感動したよ、三度も泣いちゃった」
次女に誘われて一緒に観た。昭和33年東京下町が舞台の映画だ。

・・が、途中次女が「ママとはもう観ない」と怒って二階に行ってしまった。
「何故?」
私が一杯やりながらつまみに目をやったりしていた姿が許せないらしい。
「何であんないいシーン見てないの?もうママとは一緒に観ない!」と。

何であんなに怒るのだろう?
私は大好きな映画「フーテンの寅さん」を見る時のように見ていたんだが・・
映画は娯楽と思っているから、押し付けられて見たくはない。
見る人が引き付けられたら自然と目を凝らすだろう。

映画館でおせんべいボリボリならして顰蹙(ひんしゅく)を買う・・
きっとあの時代(S33年)の庶民はそういった映画の見手も多々いたに違いない。

次女は同じ感動を味わいたかったのだろうけど。
年代の差かも知れないが、あの時代をレトロに見ている20才の娘と
あの時代を実際に経験した私とは見方が違うのでしょうね。
年代のギャップかな?あの時代を娘と共感を覚えないのは、
あの時代を生きた私が「時代遅れ」なのかも知れないわね(笑)

こんなもんかな・・

2006年07月09日 07時54分07秒 | 地谷子のひとりごと
先程W杯ドイツ対ポルトガル3位決定戦を見終える。
途中ウトウトもしたが、オウンゴール含め3-1でドイツの勝利を見届けた。
審判に日本人も起用されていた。C・ロナウドもカッコよかった。
ポルトガルも押してたが、さすがオリバーカーンの壁は厚かった。

いよいよ今日深夜にW杯の決勝戦フランス対イタリアだ。
私はイタリアを応援しているが、さて結果や如何に。
フゥア~・・夜っぴて大騒ぎした約一ヶ月も今夜でピリオドだ。


さて話は変るがウチの長女が、一昨日7月7日に入籍した。
成人の二人が決めたことなので反対などはしなかったが、
先方の親御さんに会った訳でもなし、こんなに簡単で良いのだろうか。

母親としてなんとも言い知れぬ複雑な気分だが、
ま、親が結婚する訳じゃなし二人が幸せになってくれればそれでイイのだ。
普通に紙切れ一枚提出して、普通に仕事していたあの日の二人。
せめて「おめでとう」の一言も言ってあげれば良かった。

私たちの結婚だって入籍した時、あまりイイ反応じゃなかったウチの親。
のちに行われた披露宴も出席して貰えなかったもんな。こんなもんかな。

日にち薬・・

2006年07月06日 21時44分12秒 | アンヌのひとりごと
”日にち薬”に身を任せ~♪・・骨折して5週間経った。
きょうは運転してて左折がスムーズにできるようになった♪
ホント昔の人は「日にち薬」とはよく言ったものであ~る。

先日、二人の年増(失礼)の友人から同音に「日にち薬よ。日一日良くなるから」
と励ましを受けたが、その言葉を耳にしてすっごく懐かしい響きだった。
てか、すでに私の中で忘れかけてた言葉だけど.....この言葉知ってましたか?

人間どんなに辛くも痛くも苦しくも、み~んな時間という薬が解決してくれる。
じーっと辛抱していれば時の経過とともに自然と癒され薄れていくものだ。
後になったら笑い話になるような。
だから人間はどんな逆境も乗り越える事ができ、そして一層強くなれるのだ。

な~んちゃってっ!そういう私が一番我慢強さがないおそまつな人間だが、
ここまで良くなるとげんきんなモノですね。
ホラ~泣いてたカラスがもう笑った!なんて言われる程に.....(嬉々)

ケ・セラセラといきたいね。

2006年07月03日 23時51分43秒 | 地谷子のひとりごと
ナンヤカヤ言ってももう7月=文月=Julyであ~る。
5月の末、ここのブログにグチカキコ『5月は時化てた・6月こそは!』
なんて気負って書いたが、ところがドッコイ6/1には見事に骨折してしまい
もうもう踏んだり蹴ったりの2ヶ月だった。まるで漫画だ、オハズカシヤ。
柄にもなく気負いや意気込みは書かない方がイイと悟ったよナ。テヘッ

きょう中田英寿クンが現役引退をHPに告白したらしいね。
男は大変だよね。弱冠30才前にして人生の岐路に差し掛かったんだもの。
私ャその倍の人生を歩んでいてもナァ~んにも考え悩んだコトもなかった。
いつもケ・セラセラの事なかれ主義で今の歳になってしまったんだもの。
幸せと言ったら幸せな人生かもしれないナ。

中田クンの様に10代から嘱望されていた人間と、私みたいに自由奔放・
苦を苦とも感じない、責任感のかけらもない人間とは比べ物にならないが、
中田クンも少し自由に肩の荷をおろしてゆっくりして欲しい。

私のモットウ『同じ一生じゃない、ジャンジャン好きに生きなきゃ。』ネッ!

W杯いよいよベスト4・・

2006年07月02日 03時36分19秒 | 地谷子のひとりごと
イングランド対ポルトガル戦、PKで決着がつきました~。
フ~~手に汗握るとはこのコトそれにしても最後にPK決めた
ポルトガルの若手選手の雄叫びが何とも印象的な光景でした。
すっかりファンに(笑)スポーツNで何度も見たいシーンですね。
さていよいよブラジル対フランスで4強が出揃いま〜す。
あと十数分、頑張って起きてよーっと。