野方駅の踏切りの横に「西武座」と云う映画館があった。
6才の時、母に生まれて初めて映画館に連れていかれた。
今井正監督の「ひめゆりの塔」内容は全く憶えていないが、
ただひとつおぼろげだが兵隊さんがおねしょしたシーンだけ憶えている。
子供らしい記憶でしょ。
「長いな~」何時間経ったのだろうか?
あの暗い小さな劇場に居ることが苦痛で苦痛で堪らなくなり、
「ねぇまだ終らないの~ねぇまだ~」の連発だ。
「シーッもう一寸我慢して」母に何回諭されたことか。
映画館を出た瞬間あれほど太陽の眩しさが嬉しいと思ったことはない。
「あれ~まだ昼間なんだ!」
眼が馴れるまであちこち総てが黄色くみえて、
ちょうど昼寝(うたた寝)から覚めた時
「アレッ今何時だ。朝かな?夕方かな?」
って辺りを見回す・・そんな感じだ。
幼稚園児に長篇のひめゆりの塔はチト厳しかったかも。
あれ以来、暗い映画館の中は丸で苦手で、
いまだに映画嫌いは三つ子の魂なのだろう。
結局母と一緒に映画を観たのはあれが最初で最後だった。
当時、野方にはパチンコ屋さんが一軒あった。
あの頃のパチンコ屋さんの記憶は外にまで大きく響く流行歌だ。
「お富さん」の曲を聴くと=「野方のパチンコ屋」と連想が働きます。
近所のマアちゃんのお母さんが割烹着姿で
パチンコに夢中になっている姿を母と買い物帰りに見つけた。
きっとご主人に内緒でパチンコ屋で遊んでいたんだろう。
母が苦笑していたのが印象的で、
今でこそ女性がパチンコ屋に出入りしてもあまり違和感ないが、
あの時代はチョット女性のパチンコは下品だったのかもしれない。
立ったまま球を一個づつ入れてはじくやつだ。
マアちゃんのお父さんは
1メートル四方もの銅板を布に磨き粉みたいなものをつけて
シュシュシュと音を立て毎日黙々と磨いていた。
何に使うモノなのか分からないが銅板の研磨職人とでもいうのかな。
買い物は野方か都立家政が近場だったが
チョイト足を延ばして徒歩30分程度の所に高円寺駅があった。
高円寺までの買い物は母は外出着に着替えて姉を伴い、
幼い私は足手纏いなのかいっつも捲かれたのだ。
置き去りにされた悔しさと寂しさから
母の脱ぎ捨てた着物に顔を埋めて残り香を嗅ぎ
帰宅するまでズっ~と泣いていたのも懐かしい思い出だ。
母の匂いは乳臭く大好きな匂いだった。
そういや私ってあの頃から匂いフェチなのかな。
父の煙草両切りピースの銀紙の匂いも大好きだし、
キャラメルやチョコレートやチューインガムの包み紙は
むいて捨てる前に必ず匂いを嗅がなきゃ気が済まない癖がある。
また小学校入学時のランドセルの皮の匂いも懐かしい。
未だに好きな匂いや残り香を楽しむ癖は変らない。
昭和29年8月(若宮小学校1年の夏休み)
父も年貢の納め時と察したか中野の家を処分して井の頭の借家に移り住んだ。
6才の時、母に生まれて初めて映画館に連れていかれた。
今井正監督の「ひめゆりの塔」内容は全く憶えていないが、
ただひとつおぼろげだが兵隊さんがおねしょしたシーンだけ憶えている。
子供らしい記憶でしょ。
「長いな~」何時間経ったのだろうか?
あの暗い小さな劇場に居ることが苦痛で苦痛で堪らなくなり、
「ねぇまだ終らないの~ねぇまだ~」の連発だ。
「シーッもう一寸我慢して」母に何回諭されたことか。
映画館を出た瞬間あれほど太陽の眩しさが嬉しいと思ったことはない。
「あれ~まだ昼間なんだ!」
眼が馴れるまであちこち総てが黄色くみえて、
ちょうど昼寝(うたた寝)から覚めた時
「アレッ今何時だ。朝かな?夕方かな?」
って辺りを見回す・・そんな感じだ。
幼稚園児に長篇のひめゆりの塔はチト厳しかったかも。
あれ以来、暗い映画館の中は丸で苦手で、
いまだに映画嫌いは三つ子の魂なのだろう。
結局母と一緒に映画を観たのはあれが最初で最後だった。
当時、野方にはパチンコ屋さんが一軒あった。
あの頃のパチンコ屋さんの記憶は外にまで大きく響く流行歌だ。
「お富さん」の曲を聴くと=「野方のパチンコ屋」と連想が働きます。
近所のマアちゃんのお母さんが割烹着姿で
パチンコに夢中になっている姿を母と買い物帰りに見つけた。
きっとご主人に内緒でパチンコ屋で遊んでいたんだろう。
母が苦笑していたのが印象的で、
今でこそ女性がパチンコ屋に出入りしてもあまり違和感ないが、
あの時代はチョット女性のパチンコは下品だったのかもしれない。
立ったまま球を一個づつ入れてはじくやつだ。
マアちゃんのお父さんは
1メートル四方もの銅板を布に磨き粉みたいなものをつけて
シュシュシュと音を立て毎日黙々と磨いていた。
何に使うモノなのか分からないが銅板の研磨職人とでもいうのかな。
買い物は野方か都立家政が近場だったが
チョイト足を延ばして徒歩30分程度の所に高円寺駅があった。
高円寺までの買い物は母は外出着に着替えて姉を伴い、
幼い私は足手纏いなのかいっつも捲かれたのだ。
置き去りにされた悔しさと寂しさから
母の脱ぎ捨てた着物に顔を埋めて残り香を嗅ぎ
帰宅するまでズっ~と泣いていたのも懐かしい思い出だ。
母の匂いは乳臭く大好きな匂いだった。
そういや私ってあの頃から匂いフェチなのかな。
父の煙草両切りピースの銀紙の匂いも大好きだし、
キャラメルやチョコレートやチューインガムの包み紙は
むいて捨てる前に必ず匂いを嗅がなきゃ気が済まない癖がある。
また小学校入学時のランドセルの皮の匂いも懐かしい。
未だに好きな匂いや残り香を楽しむ癖は変らない。
昭和29年8月(若宮小学校1年の夏休み)
父も年貢の納め時と察したか中野の家を処分して井の頭の借家に移り住んだ。