投稿後に見つかった写真をupこんなイメージのお宅でした~(2011年1月19日投稿)
三丁目の夕日繋がりで・・昭和33年前後を私なりに思い出してみよう。
○小学校4年か5年の社会科見学でまさにあの東京タワーの建設中を見た。
普段ボ~ッとしていた私が、その日他に見学したものはひとつも記憶がないが、
東京タワーを見た感動は未だ鮮明に憶えている。
バスの中から見たその光景はこの世のものとは思えないほど巨大で、
丸でゴジラが出現したように他の生徒も「ウワ~」と一斉に声を上げた。
タワーのまん中の展望台?の膨らみまで出来ていた頃だった。
○初めて飲んだコーラ、初めて食べた焼肉・ショートケーキ、
初めて乗った自家用車などの新鮮な出来事のetcはこれから書かせてもらう、
近所に引っ越して来たハイソなお宅にみん~な味合わせてもらったのだ。
当時住んでいたのは東京吉祥寺は井の頭公園のすぐ上。
その頃、家の裏手に高級分譲住宅地(一軒が100坪以上)が10区画売り出された。
すべて購入者の好みの注文建築だがその一画に一際ハイカラな家が建った。
瀟洒な洋風の1階建て、外から玄関に続く階段、
周りの塀は白い網状の鉄製フェンスにバラが絡むように作られていた。
庭には芝生が敷き詰められまん中に小洒落れた噴水プール、
庭に向ってLの字に建てられた各部屋の前にはL字テラスが繋がっていた。
そのテラスやプールの縁取りにパンジーとディジーの花が交互に植えられて、
今流行りのガーディニングか。その界隈じゃ取り分け目立ったお宅だった。
兎に角あの時代じゃかなり目新しい垢抜けしているお宅だった。
そこに越して来たのが私と同じ歳の女の子・美令由(みれいゆ)ちゃん、
二つ年下の弟の絵美留(えみぃる)ちゃんとご両親との4人、
TVドラマ「名犬ラッシー」と同じコリ−犬(アリール君)もきた。
ねっ!日本人なのに命名だけでも「ハイカラ」でしょ。
私はそこの子供とすぐに仲良しになって家に上げてもらった。
広いサロン(居間をサロンって言ってたナ)にはビクターのテレビだろう?
テレビの上に陶でできたあの犬の置き物が飾ってあったから。
大理石仕様のPタイルの床に豪華なソファーがテーブルを囲んでおり、
それとは別に立派な食卓も、洒落た電話器の専用卓もあった。
居間だけで10坪はあったかな。壁には主人(あるじ)の描いた絵(裸婦)と、
子供二人の大きな写真も額無しのお洒落なカットで飾られ、
その壁の下には暖炉も備え付けられていた。
あるじの仕事は放送局の演出家かプロデューサーだったと思うが、
毎週末には仕事関係か?やはり垢抜けした来客で賑わっていた。
そー言や、そこのお母さんにこんなコト言われたっけ。
「ちや子ちゃんはおメメが大きくて綺麗だから将来女優さんになったら」
お客さんが・・
「ウンまつげの長い子だね」
「まさか~、」
内心こんなイモ無理に決まってる、恥ずかしくて話を反らした憶えがある。
私はすっかりそこの子供に化してしまい、年がら年中入り浸って
母を困らせたものだった。ウチは明治生まれの父に大正初期生まれの母、
かたや、昭和初期生まれのご両親の繰り広げる毎日が新鮮で面白かった。
別フロアの台所には冷蔵庫は勿論、ご飯を入れる魔法ジャーに・・
あっそうそう、越してきてすぐに電気冷蔵庫に買い替え、
氷を入れる冷蔵庫は我が家にくださった。
高嶺の花の冷蔵庫がきた我が家はもうもうそれだけで大騒ぎだ。
氷を半貫目買ってスイカやトマトや牛乳やビールまで冷した。
父の晩酌に冷えたビールを使いにやられる煩わしさもなくなった。
それより何よりも毎日勝手気侭に冷蔵庫を開けて氷を砕いてしゃぶる事が
あの頃の私にとっちゃ何よりの贅沢、何よりのおやつだったわね。
でも、狭い我が家にはチト身分不相応な代物だったかもしれない。
台所のすぐ傍で寝ていた姉が、
”冷蔵庫の氷がとけてパイプから流れる音がうるさいくて眠れない”
なんて贅沢な悩みをいってたっけナ。
話は戻るが・・
引っ越して来て間もなく紺色のダットサンブルーバードの新車が納車された。
試運転の時、麹町の親戚の家に行こうと・・私も便乗させてもらったけど、
当時、自家用車のある家はそんじょそこらにゃなかったわね。
井の頭から麹町へ行く道のりはまだまだすいていた。
たまにお洒落なイヤイヤ「ケバイ」と言った方が的確かも知れない、
外車シボレーが前から見るとメガネギャングの様な風貌で通り縋っていった。
もしや?当時の芸能人の車かもしれないわね。
麹町のおじさん宅で着くなりコーラを出してくれた。
叔父さんは当時有名な商社にお勤めで優雅なくらしをしていたようだ。
そこで初めて口にした「コーラ」は・・私にとっちゃサイダーには負けていた。
・・フ~~喉が乾いちゃった。
コーラでも買ってこよう~っと。続きはまた気が向いたらね。
今ではリーズナブルな値段で食べれますからね。
>コーラでも買ってこよう~っと。
外の仕事なので炭酸がどうしても飲みたくなります。
出来るだけ1日1本にしなきゃいけません。
その他はお茶&水にするように努めます。
私の家には仕事に使う
緑色のセドリックのワゴンタイプのバンがあって
小さい頃、いつも父が仕事に行く前に
助手席に乗せてもらって近くにある
牛乳の販売店で明治の”パイゲンC”
(だったかな…)を買って貰ったり
月1回、神戸にある須磨の水族館へ
連れて行って貰ってました
(その頃のお気に入りは”電気ウナギ”でした)
その影響なんでしょうか
今の私は乗用車はあんまり好きにはなれず
今乗っているクルマもワゴンなんですよね
氷を~貫目、アメをヒャクメ・・とか、今ではもう聞き慣れない度量衡ですね。
それで、ひし美さんが「三種の神器」を体験するのは、もう一寸後なんでしょうね。
いや、良い時代ですねぇ・・・。
ご覧になっているんですか!
この間、お嬢さんが2階に行ってしまった時、
そのシーンはまだ登場してなかったんでしょうか・・・?
お嬢さん、ひし美さんの反応が見たかったのかも・・・。
私がまだ小さい頃、カラーテレビがある家なんて
町で一、二軒でした。お金持ちの家ですね。そして
私のお隣さんちにカラーテレビがあったんです。
毎晩、妹と一緒に(テレビ見せでけへぇーー)と
おじゃましたものです。ビックリしたのは、プロレス中継でジャイアント馬場さんのパンツが真っ赤だったんですね!
しかしご近所に住んでおられたお子さんたちのお名前、ほんとハイカラですね!なにから思いついたんでしょうか・・・興味あります。
家には4本足が付いた白黒テレビがありました。
ウルトラマンをカラーで見始めたのは
いつ頃だったのかは記憶になく。
画面の隅に表示されるカラーと書かれた文字が、ひどく恨めしく思えた期間が結構あったことを憶えてます。
カラーテレビが我が家にも入り、
カラー放送番組を見始めますと
その隅にカラーの表示が。
何故か優越感にひたり、その文字を
変な余裕で見つめていました。
コーラ・ペプシ・ファンタ・ミリンダ
のふたを開けると10円~100円
ぐらいの当たりがあたような
ラムネも今は懐かしいです。
ある時友達に無理やり飲まされて、何故かそれ以来大好物と化しましたが…
不思議な飲み物です
「ジャングル大帝」
絵に色が付いて動く!
イェ~イ!
ところで、
また、展覧会今月末やりますが、
油彩復帰して「裸婦」出します。
18歳未満のお子さんには、
御風呂の絵と・・
全く格好いい車でしたね!やはりあの頃の車って味があります!
小さい私にはポインターのほうが格好よかったんだけど・・・(笑)
ポインターって今何処かに展示されているのかな?
いかん・・・車とセブン関係の話に直ぐ行ってしまいます・・・(苦笑)
現在は絵画の修復家として著名な方です。
「明日の神話」は現在日本テレビの社屋に展示中のようですね。
まったくの勘違い、人違いだったらごめんなさい。