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所変われば、音変わる【動画紹介】ヒトコトリのコトノハ vol.57

2024年06月07日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 ●本日のコトノハ●
  江戸時代から材木の集積所であった東京の深川の木場には、材木を積み上げる時の歌、それを下ろす時の
  歌がありました。しかし、終戦後は、作業に機械が使われるようになったため、こうした作業歌が歌われ
  なくなります。そこで、これらの歌を音楽として保存する動きが起こります。一九七一(昭和四六)年に
  木場木遣保存会ができて、会員が、神社の祭礼やお祝いの席で、木遣を歌うようになります。

 『ものがたり日本音楽史』徳丸吉彦(2019)岩波書店


 元は作業歌だった木遣が伝統芸能として保存され、やがてはお祭りやお祝いの場で披露されるようになったという話ですが、この本では木遣が純粋に「音楽」として日本の文化に定着したのだろうと推測されています。
 私には衝撃の事実でした。言うなれば、ヨイトマケの唄が結婚式の余興で歌われるようなものだと思ったからです。(極端かしら?)

 長く伝えられる間に、作品が元から持っていた出自や性格が薄れてしまい、ごく一部の特徴だけが注目され、何故か伝統的に(慣習的に)人々が慣れ親しんでいる事物は結構あります。
 音楽で言うと、例えば、一昔前の結婚式では人気のあったシューベルトの《アヴェ・マリア》やプッチーニの《ジャンニ・スキッキ》のアリア「私のお父さん」です。

 《アヴェ・マリア》は旋律の優美さ、音楽の持つ厳かな雰囲気が結婚式という儀礼の臨場感を醸すのに一役買ってくれる曲として定番でした。
 (学生の時に、結婚式場での演奏の仕事をしていた時の話です。現在は、そういった現場に関わることがないので分かりません。)
 しかし、この歌の歌詞の内容は結婚とは全く関係ないものなのです。

 そして、《ジャンニ・スキッキ》にいたっては、確かに好きな人との結婚を父親に請うものではあるのですが、その背後には遺産相続問題が絡んでおり、娘は指輪を買うお金欲しさに、結婚を許してくれないのなら川に飛び込んで死んでやるなどと言って、父親を脅しているのです。
 日本国内でこの曲が演奏される場合、歌い手はしおらしく切々と、なんとも清純に歌い上げることが多いですが、本場イタリアでは、性悪娘が珍しく聞き分けのよい娘となり、お願いを始めるものの、途中から本性が出て、父親の度肝を抜いてしまうパターンが定番のようです。

 イタリアの人に、もしも聞くことができたら、《ジャンニ・スキッキ》を結婚式で演奏することをどう思うか是非聞いてみたいです。
 おそらく、微妙な顔をされるのではないかと予想します。あるいは、ブラックユーモアとして、面白がってくれるでしょうか。

 木遣も、作業歌として歌われていた江戸時代には、お祝いの席で歌うなんて下品で非常識だと思われていたかもしれません。
 時代とともに人の価値が変わるように、音楽もまたその性格や役割が変わって行くことを再確認しました。



ヒトコトリのコトノハ vol.57


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