☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
「凝と見つめていると恋愛より恐ろしいものはない、これは処刑であると同時にあらゆる人間のくるしみが
そこで試されているようなものだ。そとで見ているような生優しいものではない。
ここにおよそ苦痛とか快楽とかの種数をかぞえて見たら、ないものは一つもないくらいだ。」
『犀星王朝小品集』室生犀星(1984)岩波書店より
「愛」について真剣に考えることが、今まであまりありませんでした。
社会の中で生き延びるために、他に考えなければいけないこと、やらなければならないことがありすぎて、「愛」って何だろう?なんて疑問に思う暇がなかったのです。
また、自分を取り巻く環境が「愛」とは程遠いもので、まるでそんなものは存在しないもの、自分とは縁のないものだと認識していたような気がします。
和歌に詠まれるような、「身も焦がれる」想いをしたり、「死ぬとぞただに言ふべかりける」心境になるほどの出会いがなかったことも確かです。
ですから、『花桐』に登場するような二人の関係は、やはり物語の中でしかありえないのだろうと思います。
これは、あくまでも理性的に考えればということです。
しかし、多くの先人たちの事例に従えば、恋愛には理性が働かないという状況が珍しくありません。
でなければ、世の中には不倫の恋などあろうはずなく、恋人の浮気に頭を悩まされる人もめでたくいなくなるのです。
利害関係から、そのような不適切な行動に走る人もいるかもしれませんが、それは恋愛とはまた別の問題になるでしょう。
まるでゲームのように、たくさんの人と性的な関係を持とうとすることも、恋愛とは呼べないでしょう。
一般的には、「恋愛」について明確な線引きがされないまま、様々な事例をごちゃ混ぜにして「恋愛」が語られているような気がします。
性的な関係があれば、それはすべて「恋愛」なのか?
あるいは、性的な関係がなければ、いくら相手に想いを寄せていてもそれは「恋愛」とは呼べないのか?
そもそも、人を好きになる、愛するとはどういうことなのか?
これらの疑問には、いくら自分の頭で考えても、納得のいく答えが見つかったことがありません。
自分の考えとは関係なく気持ちが突き動かされてしまうもの。それが「愛」だと言うのも私には刹那的にも衝動的にも思えて、「ちょっと、落ち着こうよ」と言いたくなります。
私のような人間は、恋愛音痴と呼ばれてしまうのは間違いないでしょうが、かと言って「恋愛」を否定するつもりはありません。
人を愛する気持ちは、誰かを攻撃することよりも良いことだと思いますし、良好な関係が続くのであればそれは幸せなことです。
『花桐』の中で語られているような、「これは処刑であると同時に、あらゆる人間のくるしみがそこで試されているようなものだ」という恋愛のおそろしさも、人生の中で一度くらいは経験してみてもよいのではないかと思えるくらいには、「恋愛」について前向きに考えています。
実際に経験するかどうかは、また別のお話ですけれど、、、
ヒトコトリのコトノハ vol.60
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●本日のコトノハ●
「凝と見つめていると恋愛より恐ろしいものはない、これは処刑であると同時にあらゆる人間のくるしみが
そこで試されているようなものだ。そとで見ているような生優しいものではない。
ここにおよそ苦痛とか快楽とかの種数をかぞえて見たら、ないものは一つもないくらいだ。」
『犀星王朝小品集』室生犀星(1984)岩波書店より
「愛」について真剣に考えることが、今まであまりありませんでした。
社会の中で生き延びるために、他に考えなければいけないこと、やらなければならないことがありすぎて、「愛」って何だろう?なんて疑問に思う暇がなかったのです。
また、自分を取り巻く環境が「愛」とは程遠いもので、まるでそんなものは存在しないもの、自分とは縁のないものだと認識していたような気がします。
和歌に詠まれるような、「身も焦がれる」想いをしたり、「死ぬとぞただに言ふべかりける」心境になるほどの出会いがなかったことも確かです。
ですから、『花桐』に登場するような二人の関係は、やはり物語の中でしかありえないのだろうと思います。
これは、あくまでも理性的に考えればということです。
しかし、多くの先人たちの事例に従えば、恋愛には理性が働かないという状況が珍しくありません。
でなければ、世の中には不倫の恋などあろうはずなく、恋人の浮気に頭を悩まされる人もめでたくいなくなるのです。
利害関係から、そのような不適切な行動に走る人もいるかもしれませんが、それは恋愛とはまた別の問題になるでしょう。
まるでゲームのように、たくさんの人と性的な関係を持とうとすることも、恋愛とは呼べないでしょう。
一般的には、「恋愛」について明確な線引きがされないまま、様々な事例をごちゃ混ぜにして「恋愛」が語られているような気がします。
性的な関係があれば、それはすべて「恋愛」なのか?
あるいは、性的な関係がなければ、いくら相手に想いを寄せていてもそれは「恋愛」とは呼べないのか?
そもそも、人を好きになる、愛するとはどういうことなのか?
これらの疑問には、いくら自分の頭で考えても、納得のいく答えが見つかったことがありません。
自分の考えとは関係なく気持ちが突き動かされてしまうもの。それが「愛」だと言うのも私には刹那的にも衝動的にも思えて、「ちょっと、落ち着こうよ」と言いたくなります。
私のような人間は、恋愛音痴と呼ばれてしまうのは間違いないでしょうが、かと言って「恋愛」を否定するつもりはありません。
人を愛する気持ちは、誰かを攻撃することよりも良いことだと思いますし、良好な関係が続くのであればそれは幸せなことです。
『花桐』の中で語られているような、「これは処刑であると同時に、あらゆる人間のくるしみがそこで試されているようなものだ」という恋愛のおそろしさも、人生の中で一度くらいは経験してみてもよいのではないかと思えるくらいには、「恋愛」について前向きに考えています。
実際に経験するかどうかは、また別のお話ですけれど、、、
ヒトコトリのコトノハ vol.60
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