私が小学生の頃に社会科で習ったことで、印象に残っていることは、農業は人気がなく、専業農家の数が減っているということでした。
私が住んでいる地域では、曾祖父の時代から続く農家が多く、水田や蓮田、畑が広がっていましたが、だんだん農業から離れる人が増え、田畑が使われなくなり、今でも農業を続けている人は少なくなりましたし、畑仕事をしている人の中に外国の人をよく見かけるようになりました。
農業は家庭の食卓を支える重要な仕事であるにもかかわらず、天候に収穫量を左右されたり、出荷価格が不安定であったりと、何かと苦労の多い職業です。
おまけに、洪水や地震などの自然災害に見舞われでもしたら、せっかく整えた田畑が台無しになるリスクもあります。
そうした努力の末に立派に育て上げた作物を盗んでいく輩もいますから、本当に怒りを禁じ得ません。
では、農業は苦労ばかりで、夢を見るような話が全くないのかというと、そうでもありません。
イチゴやブドウ、マンゴーなど、ブランド化した果物は高額で取引されますし、希少価値のある作物は、その味覚を求めて沢山の人が惜し気もなく大枚をはたくようです。
例えば、世界一辛いといわれる唐辛子。
私は完全なる甘党なので、辛い食べ物は食べませんが、世の中には胃が痙攣したり、翌日のお通じでお尻が腫れ上がったりするほど辛い物を食べたくて仕方のない人たちが沢山いるようです。
激辛チャレンジという、どれくらい辛い物を食べられるか挑戦したり、競い合いをすることが最近のトレンドのように思われます。
そのため、生産する側はより辛い唐辛子を作るために品種改良を重ね、それが成功すれば大金を手にすることができるのです。
もちろん、成功しない場合もありますので、必ず富を手にすることができるわけではありません。(世の中そんなに甘くないですね。)
さて、人の味覚は本来、その物体を口にしても大丈夫なものかどうかを判断するために備わっている感覚です。
身体機能を損なうような刺激物や毒物が体内に入り込むのを防ぐため、まず入り口でその安全性を確かめる必要があるのです。
人間に備わっている五感と言われるものは、生存に関わる重要な判断を担っている場合が多いです。
視覚は自分に危険が迫っていないかを映像で確認するためのものです。
例えば、高所恐怖症というのは、高い所から落ちて死ぬかもしれないという危険を視覚によって察知する、いわば防衛本能の現れとも言えます。
恐怖症を直そうとする人もいますが、恐怖を感じる物を人は本能的に避ける習性があり、それだけ生命の危機から遠ざかることができると考えれば、恐怖症を無理に直す必要はないのではないかと私は思います。
同様に、喉や胃の粘膜を刺激する辛い物が苦手という人も無理に食べられるようにする必然性も感じられません。
刺激に対する耐性や体質は人によって違うので、他人より辛い物が食べられないことは、決して自分が弱いとか、情けないということではないですし、世界一辛い唐辛子を食べた人を英雄のように見なすのも、おかしなことだと思います。
味覚について言えば、私は濃い味のものが苦手です。
自分で料理を作る際も、塩を振り過ぎてしまうのを恐れて、少ししか塩を入れないので、味が薄くなってしまい、物足りない仕上がりになることが多いです。
「塩梅」という言葉は、物事の様子や具合を表すものですが、直接の意味は塩と梅酢で味付けをすること、またその加減のことを指します。
「よい塩梅」とは、全体のバランスがうまくいっている状態を言います。
それも、人によって判断は違いますので、何が一番良いバランスなのかという基準などはありません。
ただ、塩分の摂りすぎが健康に害を及ぼすことは医学的に実証されていますので、くれぐれも塩加減にはお気をつけください。
* * * * * * * * *
なかなか本題に入らないのが私の悪い癖ですが、そろそろ今回の話題に触れたいと思います。
毎回、音楽関係の本を選んで、なんとなく雑談する動画シリーズの【本の林】。
七冊目の今回は、ワーグナー著・北村義男訳の《芸術と革命 他四篇》を取り上げました。
※動画へは、コチラをクリックするか、YOUTUBEで「本の林」と検索して下さい。
本書には、ワーグナーRichard Wagner(1813-1883)が執筆した論文が収録されています。
ワーグナーの作る音楽は、壮大で煌びやか、聴く者に訴える力、すなわちインパクトの強さ、一種の興奮剤のような影響力で有名です。
そのため、彼の作品に魅せられる人は多く、熱狂的な信奉者は「ワグネリアン」と呼ばれ、作品のみならず、ワーグナーの思想や理念、主義にまで心酔するほどです。
つまり、とても刺激が強いのです。
比較的あっさりした味付けのものを好む私は、音楽においてもシンプルなものが好きなので、ワーグナーの音楽はどちらかと言えば苦手です。
確かに、彼の力強い音楽は不滅のエネルギーを感じさせますし、気持ちが奮い立って、まるで自分が無敵の世界の王になったかのような夢見心地になる人もいるかもしれません。
しかし、それはただの幻覚であることは誰にも分かることです。音は音でしかありません。
音楽は何もない空間に音を響かせることでのみ存在しますが、それ以上でもそれ以下でもないのです。
元来、聴覚は自分に危険が迫っていないか、音を聞いて判断するための感覚器官だったはずです。
自分が好む音、苦手な音があるのは、もしかしたら、本能的に自分にとって安全な音を聞き分けているのかもしれません。
身体に異常をきたすかもしれないと分かっていても、より辛い物を求める人たちがいることと同じように、刺激の強い音楽を求めることは、私にはある種の冒険のように思えてなりません。
生存のために必要な五感を備えながら、あえて危険を冒す人間とは、なんともおかしな生き物です。
私が住んでいる地域では、曾祖父の時代から続く農家が多く、水田や蓮田、畑が広がっていましたが、だんだん農業から離れる人が増え、田畑が使われなくなり、今でも農業を続けている人は少なくなりましたし、畑仕事をしている人の中に外国の人をよく見かけるようになりました。
農業は家庭の食卓を支える重要な仕事であるにもかかわらず、天候に収穫量を左右されたり、出荷価格が不安定であったりと、何かと苦労の多い職業です。
おまけに、洪水や地震などの自然災害に見舞われでもしたら、せっかく整えた田畑が台無しになるリスクもあります。
そうした努力の末に立派に育て上げた作物を盗んでいく輩もいますから、本当に怒りを禁じ得ません。
では、農業は苦労ばかりで、夢を見るような話が全くないのかというと、そうでもありません。
イチゴやブドウ、マンゴーなど、ブランド化した果物は高額で取引されますし、希少価値のある作物は、その味覚を求めて沢山の人が惜し気もなく大枚をはたくようです。
例えば、世界一辛いといわれる唐辛子。
私は完全なる甘党なので、辛い食べ物は食べませんが、世の中には胃が痙攣したり、翌日のお通じでお尻が腫れ上がったりするほど辛い物を食べたくて仕方のない人たちが沢山いるようです。
激辛チャレンジという、どれくらい辛い物を食べられるか挑戦したり、競い合いをすることが最近のトレンドのように思われます。
そのため、生産する側はより辛い唐辛子を作るために品種改良を重ね、それが成功すれば大金を手にすることができるのです。
もちろん、成功しない場合もありますので、必ず富を手にすることができるわけではありません。(世の中そんなに甘くないですね。)
さて、人の味覚は本来、その物体を口にしても大丈夫なものかどうかを判断するために備わっている感覚です。
身体機能を損なうような刺激物や毒物が体内に入り込むのを防ぐため、まず入り口でその安全性を確かめる必要があるのです。
人間に備わっている五感と言われるものは、生存に関わる重要な判断を担っている場合が多いです。
視覚は自分に危険が迫っていないかを映像で確認するためのものです。
例えば、高所恐怖症というのは、高い所から落ちて死ぬかもしれないという危険を視覚によって察知する、いわば防衛本能の現れとも言えます。
恐怖症を直そうとする人もいますが、恐怖を感じる物を人は本能的に避ける習性があり、それだけ生命の危機から遠ざかることができると考えれば、恐怖症を無理に直す必要はないのではないかと私は思います。
同様に、喉や胃の粘膜を刺激する辛い物が苦手という人も無理に食べられるようにする必然性も感じられません。
刺激に対する耐性や体質は人によって違うので、他人より辛い物が食べられないことは、決して自分が弱いとか、情けないということではないですし、世界一辛い唐辛子を食べた人を英雄のように見なすのも、おかしなことだと思います。
味覚について言えば、私は濃い味のものが苦手です。
自分で料理を作る際も、塩を振り過ぎてしまうのを恐れて、少ししか塩を入れないので、味が薄くなってしまい、物足りない仕上がりになることが多いです。
「塩梅」という言葉は、物事の様子や具合を表すものですが、直接の意味は塩と梅酢で味付けをすること、またその加減のことを指します。
「よい塩梅」とは、全体のバランスがうまくいっている状態を言います。
それも、人によって判断は違いますので、何が一番良いバランスなのかという基準などはありません。
ただ、塩分の摂りすぎが健康に害を及ぼすことは医学的に実証されていますので、くれぐれも塩加減にはお気をつけください。
* * * * * * * * *
なかなか本題に入らないのが私の悪い癖ですが、そろそろ今回の話題に触れたいと思います。
毎回、音楽関係の本を選んで、なんとなく雑談する動画シリーズの【本の林】。
七冊目の今回は、ワーグナー著・北村義男訳の《芸術と革命 他四篇》を取り上げました。
※動画へは、コチラをクリックするか、YOUTUBEで「本の林」と検索して下さい。
本書には、ワーグナーRichard Wagner(1813-1883)が執筆した論文が収録されています。
ワーグナーの作る音楽は、壮大で煌びやか、聴く者に訴える力、すなわちインパクトの強さ、一種の興奮剤のような影響力で有名です。
そのため、彼の作品に魅せられる人は多く、熱狂的な信奉者は「ワグネリアン」と呼ばれ、作品のみならず、ワーグナーの思想や理念、主義にまで心酔するほどです。
つまり、とても刺激が強いのです。
比較的あっさりした味付けのものを好む私は、音楽においてもシンプルなものが好きなので、ワーグナーの音楽はどちらかと言えば苦手です。
確かに、彼の力強い音楽は不滅のエネルギーを感じさせますし、気持ちが奮い立って、まるで自分が無敵の世界の王になったかのような夢見心地になる人もいるかもしれません。
しかし、それはただの幻覚であることは誰にも分かることです。音は音でしかありません。
音楽は何もない空間に音を響かせることでのみ存在しますが、それ以上でもそれ以下でもないのです。
元来、聴覚は自分に危険が迫っていないか、音を聞いて判断するための感覚器官だったはずです。
自分が好む音、苦手な音があるのは、もしかしたら、本能的に自分にとって安全な音を聞き分けているのかもしれません。
身体に異常をきたすかもしれないと分かっていても、より辛い物を求める人たちがいることと同じように、刺激の強い音楽を求めることは、私にはある種の冒険のように思えてなりません。
生存のために必要な五感を備えながら、あえて危険を冒す人間とは、なんともおかしな生き物です。
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