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●本日のコトノハ●
私たちは音楽でも相手を納得させようとする主張は控え、温和で繊細、常に相手を立て、相手の気持ちを害さない
という思慮が底にあるため、西欧の人々からは何を主張しているかが不明だと言われることが多いのです。
『人を魅了する演奏』紙谷一衞(2009)角川学芸出版より
日本人は自己主張が苦手とか、自分を表現することが下手だと言われることがあります。
もっとも、それは私が学生の頃によく耳にしたことで、現在の十代、二十代の若者たちは比較的物怖じせずに発言や行動をする傾向にあるように、私の目には映るのですが、実際はどうなのでしょうか。
私自身、子供の頃は「あまり自分の意見を堂々と人前で言ってはいけない」というような育てられ方をしましたし、学生時代もあまり自分の意見を聞いてもらえた経験がありませんでした。
それは、私が女性であることや、学歴が優秀ではないこと、そして何より周囲の人たちが私という存在を相手にする価値のない人間だと(意識する、しないに関わらず)判断していたからだと推測しています。
私が生きてきた、今から少し前の日本社会ではそれが普通でした。女性は男性よりも出しゃばってはいけない、若者は年長者に意見してはいけない、但し、優れた才能の持ち主だと周囲の誰もが認めている場合は別です。
そんなふうに、自己主張がしづらい環境の中で育てられているのにも関わらず、ある時期から突然、「女性も自己主張できないといけない」と言われるようになりました。
それまでとは違う生き方をしろと強要され、それができなければ「ダメな人間」認定をされ、社会の中でますます生活しづらくなるのです。
そもそも、社会の要求する「自己主張」は、外国人のように振る舞うべきだと言われているような気になります。
もちろん、自分が思っていることを相手に伝えることは悪いことではありません。しかし、それは必要に応じて、相手への気遣いがあってのことだと私は思うのです。
むやみやたらに、自分の要求を一方的に突きつけるということが「自己主張」ではないはずですが、私が日本で時折見かけたり、聞いたりする外国の人たちの振る舞いは、この一方的な「自己主張」のような印象を受けます。
そして、近年増えつつある、そうした外国の人たちの「自己主張」を見て育った日本の若者たちもまた、同じように気遣いと礼儀を欠いた「自己主張」をする人が多いのかもしれません。
相手への思いやりや礼節は日本人が昔から大切にしてきたことです。お互いに親切にすることで、自分も嫌な思いをすることなく平和に過ごすことができるのです。
西洋音楽は西洋人の営む文化から誕生し、発展したものです。表現方法、あるいは表現の源が日本人の持つ気質と全く違っていて当然なのです。
日本の伝統音楽のほとんどは、音そのものに焦点を当てていて、音を出している奏者自身の「自己主張」は問題にされていないのです。
音楽に対するアプローチの違いは、私自身が音大時代に実感しましたし、年を経て音楽教室で教える立場になり、よりはっきりと感じるようになりました。
日本的な演奏は、西欧的視点から見れば「無個性」な演奏ですが、見方を変えれば、楽器そのものの音を楽しんでいるのだと思えなくもないのです。
もちろん、西洋音楽における「正統性」を論じようとしている高名な先生方からすれば、それは全くの邪道であり、とんでもない間違いになるわけですが、実際、それが日本人流の西洋音楽の楽しみ方なのだとしたら、それはそれで良いのではないかと、私は思います。
(そもそも、西洋音楽という外国の文化の「正統性」について日本人がどうのこうの言うこと自体、意味がないのでは?と考えてしまいます。)
日本人の中でも、外国的な自己主張が上手な人がいるように感じますが、多くの日本人は外国的な自己主張ではなく、日本人としてのやり方で自分を表現していると思います。
国際社会を意識し始めてから、日本社会は「自分たちと同じように自己主張してみろ」という要求を外国から無言のうちに突きつけられ、今の今までその要求に応えなければいけないという姿勢でいるのかもしれません。
しかし、それは日本文化を喪失することと同じのような気がしてならないのです。日本が外国の文化を受容しているように、外国も日本の文化を理解し、認めるべきだと思うのは傲慢なのでしょうか?
少なくとも、私自身が外国を訪問する場合、あるいは外国の文化に触れる機会に恵まれた時には、その国の人々や歴史、文化について理解を深める経験にしたいと思います。
ヒトコトリのコトノハ vol.39
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●本日のコトノハ●
私たちは音楽でも相手を納得させようとする主張は控え、温和で繊細、常に相手を立て、相手の気持ちを害さない
という思慮が底にあるため、西欧の人々からは何を主張しているかが不明だと言われることが多いのです。
『人を魅了する演奏』紙谷一衞(2009)角川学芸出版より
日本人は自己主張が苦手とか、自分を表現することが下手だと言われることがあります。
もっとも、それは私が学生の頃によく耳にしたことで、現在の十代、二十代の若者たちは比較的物怖じせずに発言や行動をする傾向にあるように、私の目には映るのですが、実際はどうなのでしょうか。
私自身、子供の頃は「あまり自分の意見を堂々と人前で言ってはいけない」というような育てられ方をしましたし、学生時代もあまり自分の意見を聞いてもらえた経験がありませんでした。
それは、私が女性であることや、学歴が優秀ではないこと、そして何より周囲の人たちが私という存在を相手にする価値のない人間だと(意識する、しないに関わらず)判断していたからだと推測しています。
私が生きてきた、今から少し前の日本社会ではそれが普通でした。女性は男性よりも出しゃばってはいけない、若者は年長者に意見してはいけない、但し、優れた才能の持ち主だと周囲の誰もが認めている場合は別です。
そんなふうに、自己主張がしづらい環境の中で育てられているのにも関わらず、ある時期から突然、「女性も自己主張できないといけない」と言われるようになりました。
それまでとは違う生き方をしろと強要され、それができなければ「ダメな人間」認定をされ、社会の中でますます生活しづらくなるのです。
そもそも、社会の要求する「自己主張」は、外国人のように振る舞うべきだと言われているような気になります。
もちろん、自分が思っていることを相手に伝えることは悪いことではありません。しかし、それは必要に応じて、相手への気遣いがあってのことだと私は思うのです。
むやみやたらに、自分の要求を一方的に突きつけるということが「自己主張」ではないはずですが、私が日本で時折見かけたり、聞いたりする外国の人たちの振る舞いは、この一方的な「自己主張」のような印象を受けます。
そして、近年増えつつある、そうした外国の人たちの「自己主張」を見て育った日本の若者たちもまた、同じように気遣いと礼儀を欠いた「自己主張」をする人が多いのかもしれません。
相手への思いやりや礼節は日本人が昔から大切にしてきたことです。お互いに親切にすることで、自分も嫌な思いをすることなく平和に過ごすことができるのです。
西洋音楽は西洋人の営む文化から誕生し、発展したものです。表現方法、あるいは表現の源が日本人の持つ気質と全く違っていて当然なのです。
日本の伝統音楽のほとんどは、音そのものに焦点を当てていて、音を出している奏者自身の「自己主張」は問題にされていないのです。
音楽に対するアプローチの違いは、私自身が音大時代に実感しましたし、年を経て音楽教室で教える立場になり、よりはっきりと感じるようになりました。
日本的な演奏は、西欧的視点から見れば「無個性」な演奏ですが、見方を変えれば、楽器そのものの音を楽しんでいるのだと思えなくもないのです。
もちろん、西洋音楽における「正統性」を論じようとしている高名な先生方からすれば、それは全くの邪道であり、とんでもない間違いになるわけですが、実際、それが日本人流の西洋音楽の楽しみ方なのだとしたら、それはそれで良いのではないかと、私は思います。
(そもそも、西洋音楽という外国の文化の「正統性」について日本人がどうのこうの言うこと自体、意味がないのでは?と考えてしまいます。)
日本人の中でも、外国的な自己主張が上手な人がいるように感じますが、多くの日本人は外国的な自己主張ではなく、日本人としてのやり方で自分を表現していると思います。
国際社会を意識し始めてから、日本社会は「自分たちと同じように自己主張してみろ」という要求を外国から無言のうちに突きつけられ、今の今までその要求に応えなければいけないという姿勢でいるのかもしれません。
しかし、それは日本文化を喪失することと同じのような気がしてならないのです。日本が外国の文化を受容しているように、外国も日本の文化を理解し、認めるべきだと思うのは傲慢なのでしょうか?
少なくとも、私自身が外国を訪問する場合、あるいは外国の文化に触れる機会に恵まれた時には、その国の人々や歴史、文化について理解を深める経験にしたいと思います。
ヒトコトリのコトノハ vol.39
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